ルールワーカーの初恋 ―水星地区の異種族間恋愛のワンケース―

柳なつき

水星第五新規地区ルールワーク事務所にて

「ねえねえ、ルールって破るためにあるってほんとう?」



 ……先輩の、そんな、意味不明の質問。




 シルバーの壁を背景にして。ゴールドの受付台に、人間そっくりの両手を乗せてにこにことして。

 訪問者……先輩は、真っ黒な猫耳をぴこぴこさせていた。――猫型亜人。

 地球出身で水星第五新規地区担当の私は表情をつとめて動かさないまま、けれどわざとぴくりと眉を跳ね上げた。


 ……いまは不幸にもルールワーク事務所に、誰もいない。水星では、いつでも人手不足なのだ。

 だから、私ひとりでは……このひと、いや、この猫人ねこびとを、追い返せない。



「きゃははー。にゃんにゃん。イル子ちゃん、そーやっておっかねえ顔しても、かーわいいなー」

「何しに来たんですかっ……今日も」



 まったく。この猫……いや、猫型亜人のクルシュ先輩。

 ……毎週水曜日の流星の時間にいつもやって来るから、ほんとうに私は迷惑している。


 ほとんど私たち人類と同じ見た目をしているけれど、つやつや光る三角の黒い耳に、まるでアンテナみたいにぴょこんと飛び出ている尻尾……。

 そして右耳と尻尾の先端につけている、派手な赤いリボン。……おしゃれの意識だけは高いのよね、むかしから、このひとつ上の異種族の先輩。


 いくら水星第五地区総合種族学校の馴染みとはいえ、仕事を邪魔しに来ないでほしい――私たちはもう決別して違う道を歩きはじめたのだから。

 そう……クルシュ先輩が学校を卒業して、ばいにゃーんとか言いながら手の代わりにその尻尾をふりふりしてみせた、あの日から。




 私の仕事は、その地域共同体においてのルールを、中央銀河のお役所に提案する仕事。

 すなわち、ルールワーカーだ。


 ひと昔前ならいざ知れず。

 多数の惑星が同時に発見され、銀河体系社会のなかに生きることになった私たちには、

 ルールの早急な摺り合わせが必要となった。


 本来であれば、従来地球において各国単位で存在していたという、憲法――それに準ずるものを銀河単位で作り出すのが、理想だ。

 だが、銀河社会がかりにも成立して、まだ五十年も経っていない。


 ……ましてやこんなに沢山の種族が入り乱れる時代だ。

 トラブルは、後を絶たない。


 現実的な暫定策として、ある程度の単位に地域を分けて。

 そこでのルール――つまり暫時法律に代わる決まりを現場で作り出す、

 それが、私たち、マルチバース・ルールワーカーのお仕事――。



「にゃにゃにゃー、だってクルシュさあー、ルールって破るためにあるにゃんっていう地球人類の御本ごほん、めーっけちゃったよ?」

「……そのような事実は、地球人類にはございませんっ」



 クルシュ先輩はかばんに手を突っ込んで何かごそごそ探しはじめた。



「にゃー、だってー、これ証拠よにゃんー?」



 クルシュ先輩が手にしているのは――「ルールは破るためにある!」と旧日本語で堂々と記された、小さな本だった。

 ……ひと昔前、おじいちゃんが、この手の本大好きだったな……。




「……それはですね……あの……なんといいますか……そういう……旧地球人類社会の慣習の……自己啓発本のたぐいの……」

「にゃーん、よくわからん。イル子ちゃんは相変わらず頭がいいにゃあ」


 にゃはは、と先輩は笑った。



 人類的立場から見ると、

 猫型亜人の知能は、人類と猫の中間程度とされている――発達はそれなりにしていくのだが、上限が人類でいう十八歳くらいまでだとされている。

 もちろん、そこまで発達すれば、意思の疎通はなんの問題もないし、共存もしていける――ただ彼らが最終的にどうしても頭打ちになってしまう能力があって、それが、いわゆる「社会性」だとされている。



 遅刻をしない。

 寝坊をしない。

 気分で急に休まない。

 相手のことを思いやる。

 書類や事務手続きをする。



 などの能力が――人間でいう成人の水準には、どうしても、達しないらしい。

 ……つまり、永遠の若者のままなのだ。

 まあ、猫らしいといえば、……猫らしいけど。



「ねーえー、イル子ちゃん。最近、なんでクルシュと遊んでくれないのお?」

「……私にもこのルールワーカーという仕事があって……」

「えー、いいじゃん、お仕事なんてえ。クルシュ、仕事しなくても毎日楽しく生きてるよお。イル子ちゃんもお仕事やめよー、そいでクルシュのおとなりでひなたぼっこをするのだっ」



 永遠の若者のまま。

 ……それは、クルシュ先輩を見ていても、とてもわかる。

 私のいっこ上だから……もう二十三歳のはずなのに、あの卒業式の日から、先輩は……なんにも変わってないように見える。



 ……まあ、仕方がないことだ。

 ほんとうに、銀河にはいろんな種族がいる。


 十八歳どころか、人類でいう五歳児の知能にまで生涯達せない種族だっている。スライム型や、粘液型に多いけど……。

 亜人タイプでも猫型はまだいいほうで、鳥型のみなさんなんかは、社会関係はそれなりに築けても記憶力や愛着の点においてやっぱり知能が人類に及ばない。


 でも、逆の種族だってたくさんいるって、私たち人類はもう思い知らされている。……つまり、人類より知能の高い種族。



 ……だから。

 そういうのと、おんなじことなのよ。

 つまりは。




「……ごめんなさい。先輩。私、いま仕事中なんで、帰って……ください」

「イル子ちゃんどういうルールつくってんのお」

「それは、業務上の秘密で――って、あっ!」

「よーい、しゅたっ。……ふわー、はわわわー、これかあー」



 ――さすが猫型亜人。なんと一瞬で台をピョンと越えて、奥に置いてあったメインマシンのモニターにたどりついてしまった――って、感心している場合じゃないんですけど!



「えー、なにこれ。ふむふむ。まず……? 『水星地区ルール草案。交流の原則。種族内での交流を推奨する』」

「……せ、せんぱいっ、やめ、やめてください、そこどいて……」

「やーだよっ」



 腰ごとつかまえようとしたら、信じられない運動能力でひらりとかわされる。

 ……デスクの上にしゃがみ込んで、見下ろすかたちでモニターを観ている。

 ……私は仕方なく、デスクの前に立ち尽くした。


「『交流は、異種族間では必要最低限度にすることが望ましい』」


 先輩は、首をかしげた。

 訝しんでいるのだ。



「……『異種族を、好きになってはなりません』……かあ。

 イル子ちゃん、こんなこと考えてたのかあ。……ふにゃあ。……にゃー……」



 そう。

 そうですよ。

 ねえ、クルシュ先輩。



 私は、社会人になった。あなたの、けっしてできないことを毎日やって、私はこれから生きていく。


 あなたは私のあこがれだった。少女時代のすべてを、私はあなたにもっていかれた。



 ……毎日、あなたのことばかり見てしまった。

 人ととても似ていながら、やっぱり猫でもあって。

 両方のいいとこどりでしかなくて、自由奔放で。とても目立って魅力的なひとなのに、私みたいな地味な子どもにも、たとえ気まぐれであっても優しかったあなたを――。


 いまどき、同性どうしであることは、とくに問題ない。……行為だって、……赤ちゃんつくれるってことだって、知ってるし。

 亜人族ならば、……そういう、……行為のときには、問題ないっていうのも、知ってるし。




 そんなことを考えながら学生時代をずっと過ごした。

 私はいつしかある程度の協調性を身に着けていた。

 でも。あなたは。――異種族のあなたは、ずっと自由奔放なままで。




 ……卒業式だってさっさとひとりで尻尾を揺らして、シュタッと高く跳躍して、どこかに消えてしまった。

 黒い空。猫の瞳のような惑星の輝く、卒業式のあの日――。



 いつか、私が成長して。

 ……あなたをいつか哀れまねばいけなくなるくらいなら。

 縁を、切ろうって。

 そして、私みたいに苦しむひとを、……ルールをつくって、いなくしてやろう、って。





「……いまさら、会いに来るなんて、やっぱり先輩は、『われわれ未満の種族』です」



 それは――本来ぜったいに、言うべきではない、……差別用語。



「私がどんな思いで、って、――っ」

「にゃん?」



 クルシュ先輩の顔が、……目の前に、あった。……さすが、猫型亜人、スピードが違う……。




「んー、すごくよくわかったのはあ、イル子ちゃんって、思った以上にクルシュのこと好きだったんだなあってこと」

「は!? なんでそうなります!?」

「ええ? だって、ルールって破るためにある。んでしょー?」

「……それは、さっき、説明した通りで……!」

「えっ、じゃあ、イル子ちゃん、クルシュのこと嫌い?」

「……そ、そうは言って、な、……いや、嫌いっ、嫌いですよっ、社会性に上限があって、就労できなくて、気まぐれで、いつのまにか私のほうが追い越しちゃうような先輩のことなんて――!」





 ふと、唇が押された。

 ……キスされた。猫に。そう気づくまで、時間はそう、かからなかった。





「……なんのために、気まぐれなクルシュが、流れ星のいっぱい流れる時間、いつも、いっつもイル子に会いに来ているのかなあ?」





 一歩、二歩。

 最後の抵抗として、せめて後ずさると。


 先輩は、私なんかにぜったいかなわないスピードで、私をスピーディーに押し倒した。




「先輩、なめんなよ? ……気まぐれだって仕事できなくって、なんだってなあ、イル子なんかよりずうっと大人のとこだって、ある!」

「なめてなっ――」




 ……ちろり。

 ほっぺたに、ちょっとざらついた舌の感触――。




「……せん、ぱい、なに、してるんですか、……発情期ならよそでやってくださいよっ」

「……『異種族を、好きになってはいけません』ってか? ――にゃはは!」

「……る、るーる、るーる、だから、ですから、それっ」

「じゃあいますぐわたしを拒んでみれば? ルール……なんでしょ?」

「……あ、……あ、それ、それは、」

「にゃははっ。――イル子、いただきっ」





 そのあと、そのまま事務所で、クルシュ先輩がどんだけ「先輩」だったのかということを思い知らされて――私は、ルールの根本的な見直しをしなければいけないな、なんて、……さっきと真逆の事を、火照りに火照った身体を冷ましながら、そう思っていたのだ。

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ルールワーカーの初恋 ―水星地区の異種族間恋愛のワンケース― 柳なつき @natsuki0710

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