フレンド・オブ・ア・フレンド
斉賀 朗数
フレンド・オブ・ア・フレンド
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友達の友達から聞いた話なんだけど。
これはフレンド・オブ・ア・フレンドと呼ばれるもので、ジャン・ハロルド・ブルンヴァンが提唱した都市伝説というものの中で比較的よく使われる。いわゆる常套句というものだ。
この言葉の面白いところは、【友達の友達】という比較的近い位置に存在する人物を使うことで、話に信憑性を持たせているところである。しかし実際に【友達の友達】という人物に、話の真偽を尋ねてみると、新たな【友達の友達】という存在が浮上する。勘のいい人ならすぐに気付くと思うが、この【友達の友達】という存在自体が都市伝説とされている。
だが本当に【友達の友達】は、存在しないのだろうか?
友達の友達を追求すること。僕の卒業論文のテーマは、それだ。
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「これがさ、送られてきたんだよ。メールで」
「なるほど。それで?」
「昔チェーンメールって流行っただろ?」
「あー。あったな、懐かしい」
「あれと同じ方式だよ」
「なに? この誰も興味を持たないような内容のメールをチェーンメールみたいに何人かに送れっていうの」
「そういうこと。それがルールだから。だって」
「ふーん。しょうもないね」
「普通、そう思うよな。だけどな、俺にこのメールを送ってきたやつに聞いたら、友達が送ってきたんだ。っていうんだよ」
「それがどうしたんだよ」
「いや、よく考えてみろよ。これってすでに俺も友達の友達ってやつに含まれてるんじゃないの? ってことだよな」
「あー、まあそうだけど」
「だろ? そう考えるとなんか面白くってさ」
「なにが面白いんだよ」
「いやいやいや、自分自身が都市伝説の存在になれるわけじゃん? 友達の友達っていう存在に。それって、なんかヤバくない?」
「よく分かんねえな。俺には」
そんな会話をしたのがいつのことだったかは覚えていなかったが、きっと二週間前だ。
『友達の友達の連鎖を断ち切りましたね』
そんな文面のメールが、俺に送られてきたのが一週間前だから。そのメールは非難の言葉と同時にもう一つ余計なものを運んできた。
それは何かの視線。
一週間前から、俺は誰かの視線を一日中感じるようになった。目を覚ました瞬間から、飯を食っている時も、授業中も、風呂に入っている時も、寝る直前でも。ずっと。最初の内は気のせいだと、簡単に思い込むことが出来た。しかしそれが一週間も続くと、気のせいでは片付けられなくなる。誰が俺を監視しているのか。
チェーンメールの作成者。
そうとしか思えなかった。
『友達の友達の連鎖を断ち切りましたね』というメッセージの書かれたメールは、意味のないアルファベットと数字の組み合わせで作られたメールアドレスから送られてきていた。そこにメールを送っても、エラーでメールは相手に届かない。
どうすることも出来ないもどかしさと、常に誰かに見られているというストレスで、少しずつ、少しずつ、俺は疲れていった。なぜ俺を監視している誰かは、なにもしてこないのだろう。友達の友達の連鎖を断ち切ったことが、どれほどの罪だというのだろう。罪には罰が伴う。それが、この監視なのだろうか。分からない。俺には、分からない。
友達の友達から聞いた話なんだけど。という一文から始まるメールを送ってきた友達に連絡を取ることで、友達の友達を辿っていくことにした。これを続けていけば、いつかはチェーンメールの作成者に辿り着けるのではないかと考えたからだ。
しかしそれは容易なことではなかった。不可思議なことがあったからだ。一つ目は、友達の友達の友達の友達が存在しないことだった。友達の友達の友達は、自分がそのチェーンメールを作成したと思い込んでいた。しかし友達の友達の友達のメールフォルダを見せてもらうと、友達の友達から聞いた話なんだけどという一文から始まるメールを確かに受診していた。どうして彼は自分がチェーンメールを作成したと思い込んでいたのだろう。
二つ目は、友達の友達の友達の友達の友達の友達まで遡っていった時に明らかになったことなのだが、このメールは何人かの間で循環していたのだ。彼のメールフォルダに残ったメールを検索した時に一年ほどの期間をあけた過去にも同じメールが届いていたことが分かった。そして、彼にその記憶はなかった。
三つ目は、この事実を確認していく内に俺自身がチェーンメールを作成したのだと思い込もうとしていること。どうしてなのかは分からないが、友達の友達という存在を探っていく内にそれは自分自身であるはずだという強迫観念のように頭にこびりついて離れなくなっていた。そんなことはありえないと分かっているのに。
友達の友達はなんらかの方法で、自分自身を友達の友達であることをひた隠しにしている。
俺の勝手な想像だが、友達の友達の発言は無責任であるが故に力があるのではないだろうか。この力は政治にも利用できる。自分の言葉ではない。あくまでも誰かの言葉であるという無責任さを含み、その一方で友達の友達という比較的近いし関係の発言であるということで信憑性があるのだと思い込ませることが出来る。ネガキャンにも使うにはもってこいじゃないだろうさ。ということは、俺の感じてる視線は政治関係者のものなのだろうか。
友達の友達の存在を探ることは御法度。
そうだからといって、記憶がなくなっていることと、俺自身の記憶を無理矢理に改竄しようとしていることに対する回答にはなっていない。
それにこのチェーンメールの作成者は俺であって俺ではなくて視線が動いて俺のあとをつけてくるのがだんだんだんだん俺のあとじゃなくて俺の中に中に入ってくる?はいってくるのか、見ている俺を俺が俺を見て?見て観て見て見ているのが俺が俺でおれがおれがおれか。俺。誰。友達?友達のおれが友達で友達の友達が視線を俺が友達の友達で視線を見てい見て見てい見ているる。
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「こういうのって、信じてないって態度のやつが一番信じてたりするんだよな」
「まさか壊れちゃうとは思ってなかったけど」
「いやいやいや、壊すの前提で見てたっしょ」
「そんなことねーよ」
「ってかさ、これ見て」
「なに?」
「この子な、世界中で150人程度しか罹ったことのない病気らしいんだけど、病気自体の認知度が低すぎて募金とか全然集まらないらしいんだよ」
「ふんふん、それで?」
「それで、このメールをさ、何人かに送っていったら認知されるじゃん? 更にメールを送るだけで一回一円この子に募金されるんだって」
「へー、なんかかわいそうだしメール回すよ」
「わりーな。それじゃあメール送ったから」
「りょ」
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人間の恐怖心か同情心を煽れば、すぐにチェーンメールの連鎖は続いていく。でも、何百人かに一人程度の割合でそのメールを止める人間がいる。それは人間としての欠陥品で、恐怖心や同情心を持たない人間である。しかし彼らは普段は巧妙にその事実を隠して生活をしている。彼らの多くは、将来的になにかしらの犯罪を犯す。恐怖心がない故に恐怖を理解出来ず、人間の多くが恐怖する死に疎い。そして他人を殺めることでその恐怖を疑似体験しようとする。同情心がない人間も似たようなものだ。彼らは人を殺めることで、その殺められた人間と生活を共有していた他の人間が悲しむという事を理解出来ない。
それを炙り出すのがチェーンメールで、炙り出した人間を監視し、時に始末するのが私たちのような組織の人間なのだ。
私は間違っていない。間違っているはずがない。それなのにこの視線はなんなのだろう。どうして、ルールに従っている私が、チェーンメールの簡単なルールすら守れない人間とは違う私が、監視されなければならないのだ。組織のルールを守っているのに。私は私は。
メール?
携帯の電源を切り忘れていた。
ランダムな英数字の並んだメールアドレス。知らないメールアドレス。
『人を殺すことは、ルール違反じゃないのか?』そんなことを言われても、私は組織のルールに従っただけだ。ルールを守るにはルールを破らないといけない。それなら、それならわたしはわたしがわたしの正解はなんだ。
フレンド・オブ・ア・フレンド 斉賀 朗数 @mmatatabii
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