天気は曇り時々血の雨

くろまりも

プロローグ(続く……かもしれない)

 差し込まれた鍵でガチャリと錠が解かれ、鋼鉄の赤い箱が口を開ける。帽子を目深にかぶり、分厚いコートを着た少年がその中を探り、鴉色の髪を掻き上げながら小さく舌打ちした。

「……くっそ、入ってやがる。もっと生産的なことしろよ、暇人どもが」

 口調とは裏腹に、箱から取り出したものを丁寧にカバンにしまうと、少年は鍵を閉め直してから近くに停めてあった自動車へと走る。

 転がるようにして助手席に座った少年は、ハンドルを握って待機していた少女に叫んだ。

「回収した!後ろ来てるから、早く出せ!」

「おっけ~!!しっかり掴まっててね、フミヤ!」

 少女がペダルを踏みこむと、鉄板で強化された配達車が急発進する。

 ガキンという金属音が背後から聞こえたのでフミヤが振り返ると、車体後部の補強に使っている鉄板が引き裂かれ、何かの鋭い爪が引っ掻かかっているのが見て取れた。

 車が速度を上げることで鉄板に引っかかっていた爪が外れ、何か巨大な黒い生物が車から振り落とされて地面を転がっていくのを、フミヤはサイドミラーで見送って不機嫌そうな声を出す。

「ったく、また補強し直しか。俺は肉体労働は苦手だってのに……」

「また大工さんみたいなことができて楽しいね!ちょっと時間がかかってたけど、手紙の方はどうだった?」

「まったくもってついてないことに一通入ってた。スマホが使えた時は便箋すら買ったことないくせに、こんな時は頼るんだから都合のいい話だ」

「わっ、ラッキー!久しぶりのお仕事だね!こんな状況でも手紙を書いてくれる人がいるなんて、とっても素敵なことだね!これこそ愛だよ!」

「アイカ、おまえの頭は相変わらずのお花畑だな。本当に愛があるなら、自分で渡しに行けばいいだろうに」

 この世すべてに不満があって仕方ないという様子の陰気な少年とは真逆に、少女の方は嬉しくて嬉しくて仕方ないといった満面の笑みを浮かべている。アイカと呼ばれた少女はフミヤとまったく同じ帽子と分厚いコートを身に着けているが、彼とは正反対に雪のように白い髪色をしていた。

「ホラーがたくさんいるんだから仕方ないよ。ポストに投函してくれただけでもありがたいわ!フミヤの活動、少しは知れ渡って来てるんじゃない?」

「面倒ごとが増えるだけで嬉しくもないな。俺の噂を広めたやつがいるなら、殴ってやりたい気分だ」

「えー、私はフミヤがみんなに認められて嬉しいんだけどなー」

 白髪の少女が少年の顔を覗き込もうとすると、フミヤは再度舌打ちし、帽子を目深にかぶって顔を隠した。そして、カバンから一通の手紙を取り出すと、それでアイカの顔をはたく。

「ほれ、住所だ。とっとと働け、運転手。俺は寝る」

「はいはーい、まっかせて!音楽つけてもいい?」

 返事を待たずにアイカはラジオをいじる。公共放送なんてとっくの昔に死んでいるが、ごくごくまれにどこかの物好きが海賊放送を流している。

 本日は世界終了からちょうど三年目。天気は曇り時々血の雨。都市部はホラーの徘徊密度が高まっているので、外出の際は準備と覚悟と遺書を用意しておきましょう。


◆◆◆


 手紙に書いてあった住所は、ポストからそう遠く離れていない工場跡地だった。ホラーの姿は見えないが、一応バールを持っていく。ヒグマ相手に木刀で挑むようなものだが、ないよりはましだ。

「ごめんくださ~い。郵便屋でーす!お手紙お届けに参りました~」

 フミヤが警戒しながら歩を進める中、アイカは無警戒に声を出しながら敷地内に入っていく。しかし、その声に応える者はいなかった。

「うーん、私たちのこと警戒してるのかな?住所変えちゃったとかだと、探すのが大変になりそうだね」

「それなら、まだマシなんだがな」

「えっ、どういうこと?」

 少女の質問を無視して、フミヤは建物の中へと入っていく。バリケードもなにもなく、人が住んでいる、あるいは住んでいた場所とは思えない。

 嫌な予感が増してくる中、建物を反響して子どもの鳴き声が聞こえてきた。声の出所を探って顔を巡らせると、奥の方で小さくなっている人影らしきものが見えた。

「フミヤ、あそこ!子どもがいるよ!」

「あっ、バカ!待て!そいつに触るな!」

 傍らにいた少女を止めようとしたが間に合わない。

 アイカはすでに走り出しており、人影らしきものに手を伸ばす。彼女が人影に触れるとそれはパタリと倒れ、子どもの声を録音した録音機とマネキンの姿を現した。

「ちくしょう!やっぱり罠だ!」

 気づいたときにはもう遅い。突然、アイカの足場が崩れ、彼女の姿は階下の部屋へと消える。フミヤは彼女が落ちた大穴に駆け寄ろうとしたが、背後から忍び寄っていた影に殴られ、昏倒してしまった。


◆◆◆


「っ……」

 意識が戻ると同時に腕に走る痛み。ありがたくもない目覚ましとともに、朦朧としていた視界が戻ってくる。

 そこは台所か精肉店のようだった。おそらく用途としてはそれが一番近いだろう。フックにはいくつもの肉の塊が吊るされており、壁には解体用の包丁やノコギリが並んでいる。調理台にはシーツのかけられた何かと、いくつもの調味料が置かれており、その前で男が鼻歌を歌いながら包丁を研いでいた。

 ただ一つ、普通の精肉店と違うところを挙げれば、吊るされている肉塊が腐った人間の死体であることだ。

 フミヤは他の肉塊同様、両腕を鎖に繋げられ、それをフックに引っ掛けるようにして吊り下げられていた。手首が鬱血して酷い色になってきている。鎖から逃れようと少年がもがくと、包丁を研いでいた男が気づいて振り返った。

「やぁ、起きたんだね、郵便屋さん。『ポストに入れた手紙を届けてくれる二人組の郵便屋』。噂で聞いただけだったけど、本当にいたんだね」

「……やっぱり、あの手紙は偽物か」

「うん、正直半信半疑だったんだけど、君たちが来てくれて助かったよ。冷蔵庫なんてないから、肉の保存には苦労しててね」

 男の言葉に、フミヤは周囲に吊るされている腐った肉塊を見る。

 自分と同じようにどこかからおびき寄せられた哀れな犠牲者か、あるいは元仲間を殺して食料にしたのか。どちらかはわからないが、自分もこうなる予定らしい。

「……だから、噂が広がるなんてロクなことじゃないと言ったんだ」

「あぁ、君は保存食でまだ殺さないから安心して。腐りやすい方から食べないとね」

 そう言って、男は調理台にかけられていたシーツを取り去る。その下から現れたものを見て、フミヤは心が凍るような思いになった。

「あぁ、もったいないことしたなぁ。こんなに可愛い子だってわかってたら、即死するような罠にしなかったのに。これじゃあ、食料にしかならないじゃないか」

 鉄棒に胸を貫かれたアイカの死体。死してなお美しいその顔を、男は味見するように舐める。少年は歯ぎしりの音が聞こえるのではないかというほど奥歯を噛みしめた。

「変態野郎、が」

「僕だって好きで食べてるわけじゃないよ。生きるために食べてるんだ。君たちが持ってる食料も貰おうと思ったけど、こんなものくらいしか持ってないんだもん。じゃあ、君たちを食べるしかないだろう?」

 男は懐から便箋を一通取り出す。歳月の影響で変色し、ぐしゃぐしゃになっているそれを見て、フミヤはアイカの死体を見た時以上に動揺した様子で叫ぶ。

「おい、貴様!勝手に人の手紙を盗むんじゃない!まさか、読んだりしてないだろうな!?」

「……は?読むわけないだろ、こんなくだらないもの」

 フミヤの慌てぶりに訝しげな目を向けてから、男は付箋を床に捨てて踏みつける。ぐしゃりと紙が潰れる音がした。

「くだらない……と言ったか?」

 怒りで声を震わせながら、少年は氷のごとき冷たい殺気を男に向ける。

 吊るされて捌かれるのを待つだけの非常食。ただそれだけの存在であるはずなのに、目があった男は得体のしれない圧力を彼から感じ、びくりと身体が震える。

 この少年を生かしておいてはいけない。男は本能的にそれを察する。非常食だの保存だの言っている場合ではない。すぐに殺さなければと、男は包丁を手にフミヤへと歩み寄った。

「あぁ、おまえにはわからんだろうな。いや、俺の思いなんて誰にもわかるわけがない。その手紙は届ける気はないし、届く気もしない。自分でも頭がおかしいと思えるような代物だ。だが――」

 ズブリ、と刃物が深く深く肉へと突き立つ。

「貴様に笑われる筋合いはない」

 男は、自分の胸から生えた血に濡れた鉄棒を見下ろす。なぜ、と言葉にしようとした口からは血が溢れ、男の声を飲み込む。

「冥途の土産に、一つ正してやろう」

 フミヤの方はこの結末を当たり前であるかのように平然と、男の方はありえないことだと言うように呆然と振り向いた先を見る。

「郵便屋は俺一人だ。もう一人はただの動く死体ホラーだよ」

 そこには、哀しげに笑う白髪の少女が立っていた。


◆◆◆


「やー、びっくりしたね!でも、気絶してる間に裸にされなくてよかった!」

「心配するところはそこか?おまえが起きるのがもう少し遅かったら、俺は死んでたんだぞ?俺は貧弱だからな!」

 殴られた頭と手首の治療をしてもらいながら、フミヤは相も変わらず不機嫌そうに言う。アイカはくすくすと笑いながら、そんな彼の頭を抱きしめた。

「手紙が偽物だったからって、すねないすねない。次はきっと本当のお手紙だよー」

「……すねてない」

 心臓の音が聞こえない少女に抱かれながら、少年はポケットに忍ばせている一通の手紙を握り締めた。


◆◆◆


 紙とペンとゾンビ。終わった世界で少年の手に残った三つのもの。

 これは、世界を救うような大それたことをする気はみじんもなく、死体の少女と一緒にただ手紙を届けるだけの物語。

 

 本日は世界終了から三年と一日目。天気は晴れ時々血の雨。都市部は異常者出現密度が高まっているので、外出の際は準備と覚悟と遺書を用意しておきましょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天気は曇り時々血の雨 くろまりも @kuromarimo459

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ