紙とペンと弁当箱

奥森 蛍

第1話 紙とペンと弁当箱

 弁当の評価をつけるのは小学4年生の中頃に始めた。里子さとこさんがお母さんになった時からだ。ずっと父子家庭だった僕は母親の味に飢えていてひどく感動したのを覚えている。出しの効いた柔らかい卵焼き、マヨネーズのたっぷり入ったポテトサラダ、手作りの鶏ハム、メニューは今でもまざまざと思い出せる。


 すごくおいしかったのだけれど小学生特有の反抗期というか照れ隠しで卵焼きと鶏ハムには5段階評価のうち星3つ、ポテサラには星2つをつけた。メモはゴムバンドに挟み、空の弁当箱と一緒に渡した。小さな頭で考えだした自分なりのコミュニケーションのつもりだった。辛辣な意見に嫌な顔一つせず里子さんはよろこんでメモを受け取ってくれた。


――次は何がいい?


 意表を突かれた僕は“から揚げ“と答えてしまった。亡くなった実母の得意料理だ。ひどく後悔したけれど訂正出来なくて翌日里子さんのから揚げを食べた。当然、実母の物とは違っていて美味しくなかった。星1つと書いたのを迷った挙句3つに増やした。それからはよく弁当にから揚げが入るようになった。



 月日を経て僕は高校になり少しメモの趣向を変えた。星で評価をするのを止めて感想を書くようにした。大体当り障りのない感想を書くときは『いつもありがとう』、好みのおかずじゃなかった時には素直に『あんまり好きくない』、短文だけどその方が伝わると思った。 時々、食べたことのないおかずが入ることもあった。きっと今頃父も食べているのだろうなと思うと心が温かくなる。三人だけれど家族、小さな絆を噛みしめながらメモに書き込む、『美味しかったよ』と。


 打ち明けてしまうと僕の高校生活はあまり上手くいってなかった。きっかけは勉強が難しくてだんだんと授業について行けなくなったことだけど、そのうちに不良仲間も出来て授業をサボるようになった。始めは保健室、次は屋上。大胆なことにベランダで授業を聞いていたこともある。そのうち学校を抜け出すようになり、制服でカラオケにも行ったし、タバコも吸った。次第に仲間といるのが心地よくてこのまま中退でもいいと思うようになった。家ではいい子ちゃんを続けていたけれどとっくに僕は普通の高校生には戻れなくなっていた。


 学校をふけるようになり、弁当はいらないと何度も断ったがそれでも里子さんは作り続けた。


――感想聞かせて。


 だんだんとその態度が腹立たしくなり、時には食べずに捨てることもあった。メモには『もう要らないから』と何度も書いた。でも、何も変わらなかった。


 ある日、里子さんは学校に呼び出された。タバコを吸っているところを生活指導の先生に見つかったからだ。先生と僕と里子さんとの三者面談。先生はノートに『大和君がタバコを吸っていました』と書き込む。すると里子さんは『申し訳ありませんでした』と書き込む。先生が再び『ご家庭でもきつく注意してください』と書き込む。里子さんが『分かりました』と書き込む。

 

 続けて先生がペンを置き「はぁ」とため息を吐いて「普段どんな教育してるんですか?」と聞くが里子さんには伝わらない。先生は繰り返す、「どんな、教育、してるんですか?」里子さんは、はてなマークを浮かべて少し困っている。仕方がないので僕がたどたどしい手話で『どんな教育してるのか、だって』と伝える。理解した里子さんはノートに書き込もうとしたが先生が「ああ、いいです、いいです」と遮る。


「親がまともに話出来ないんじゃね」


 小さな呟きを聞き逃さなかった僕は、カッとして椅子から立ち上がり先生を殴りつけた。馬乗りになり何度も何度も。驚いた里子さんが止めに入ったが僕は殴るのを止めず、騒ぎを聞きつけて職員室から何人も先生が飛んできた。結果、僕は一週間の停学。どうして殴ったのか問われたが理由は最後まで話さなかった。


 帰り道、里子さんに手話で


――どうして殴ったの?


と問われ戸惑った。困った僕は少し考えてから、


――耳が聞こえないことを馬鹿にされたからだよ


と伝えた。そう、里子さんは耳が聞こえない。出会った時から、ずっと、ずっと。里子さんはすぐさま手話で


――こんなお母さんでごめんね


と即答した。何だか急に泣けて来て零れる涙を隠せず、家まで目元を拭いながら帰った。


 停学の一週間里子さんは普通だったけれど、父にだけは停学の理由を話した。父は頷いて「よくやった」と言った。その言葉で自分は間違っていないことを自覚した。馬鹿なりに一週間考えた挙句高校は退学することにした。間違った大人のいる場所に自分の未来があるとは思えなかった。停学の最終日そのことを伝えると珍しく里子さんが怒った。


――ダメよ、ちゃんと卒業しなきゃ

――ろくでもない大人がいるんだ、行きたくない

――いい大人もいる

――ちゃんと働くから

――大学にも行きなさい

――勝手に決めんなよ

――お弁当ちゃんと作るから


「何で弁当が出て来るんだよ」


――食べて感想ちょうだい


「感想なんて……」



 里子さんは何かを思い立ったようにリビングを出て階段を駆け上がるとすぐにノートを数冊持って戻ってきた。差し出すので受け取って開いてみると懐かしい香りがした。それはスクラップブックだった。下手くそな文字で『ひじき星2つ』、『キュウリの酢の物星1つ』。里子さんが母になった日から渡し続けた弁当の評価メモ。里子さんは渡した全てのメモを大切にノートに張り付けていた。


 耳の聞こえない里子さんが母になると知った日、手話の出来なかった僕はコミュニケーションの一環で弁当の評価メモを渡すことを考えた。言葉で伝えられなくても文字にするとすぐに伝わるし良いと思った。あの日から里子さんはずっと僕の母親であり続けた。


――あんたのこと、馬鹿にしてるやつがいるんだぞ

――関係ない

――困った親だって言われてもいいのか?

――学校に行きなさい、お母さんを信じて


「あんたの本当の息子じゃないんだぞ……」


 里子さんは少し首を傾げたあと手を動かす。


――学校に行きたくなるおまじない教えてあげる


「?」


――お弁当が食べたくなーる、食べたくなーる


 里子さんは小さな子に諭すように手をグルグルと回しながらおまじないを掛けた。子供みたいだと思ったけれど気持ちは十分伝わった。笑うと里子さんは僕を後ろから抱きしめた後、目の前で


――あなたは私の大事な息子よ


と繰り出した。そして柔らかく髪を撫でてくれた。


 結局、里子さんの掛けたおまじないは解けずに、この春僕は高校を卒業する。タバコは禁煙して受験勉強も頑張った。おかげで県外の大学へと進学する。それに合わせて卒業するものがもう一つ。里子さんの手作り弁当だ。食べられないとなると少し惜しく感じて最後の弁当はじっくり噛みしめながら味わった。入っていたのはから揚げ、里子さんは勝負メニューと思っているらしく、最後の最後なので辛辣な意見を1つ、


――から揚げ 星5つ


 手作り弁当を食べることは無くなったけれど今でも弁当はおふくろの味だ。



(了)

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紙とペンと弁当箱 奥森 蛍 @whiterabbits

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