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 満開の桜の下にウェディングドレスを着た香夏子がいた。この二十年、一度も顔を見ていなかったが、山中には確信があった。

「香夏子……」

 思わず声が漏れる。風が桜の花弁とドレスの裾を優しく揺らしている。綺麗だった。


 色々と間違いを犯してきた人生だったと思う。それでも、自分の人生に何かの意味があるのだとすれば、それは間違いなく香夏子がいまここにいることだと山中は思った。香夏子が、自分の人生に意味を与えてくれた。


 ふと、目に集中していた意識が耳へと移る。何かが聞こえるのだ。歌?

 はっとして、山中はバックミラーを見た。間違いなかった。バスのほとんどを埋めた高校生たちが、歌い始めている。初めは恥ずかしげに聞こえた歌声が、次第に大合唱へと変わる。


 娘の結婚を祝う男親の歌。そうか、あの夜、俺は歌っていたのか。気がつけば、山中の目から大粒の涙が零れていた。


「夕輝」と山中は正司しょうじに声をかける。下の名前で呼ぶのはこれが初めてだった。

「なに? 山さん」

「あいつを……香夏子を、幸せにしてやってくれ」

 泣かないと決めていた正司は、慌ててキャップを被り直した。


 信号は青に変わっていたが、山中は窓の外の光景から目を話すことができなかった。合唱は終わらない。


「何言ってんだよ」

 正司の声が歌声に重なる。「当り前じゃないか、山さん」

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祝婚歌 Nico @Nicolulu

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