紙とペンと手紙飛行機
葵月詞菜
第1話 紙とペンと手紙飛行機
薄暗い、書棚に囲まれた廊下をいつものルートで歩いて行くと、目的の扉の前に到着した。
ここはとある私設図書館の地下書庫で、ほとんど人の気配がない。最低限の光量に、こんなところに誰かいるのだろうかと思わずにはいられない。
だが、この扉の向こうに、確実に一人はいることも分かっていた。
「よう、サクラ――」
扉を開けて飛び込んできた光景に、
決して広くはない作業用の部屋の中、テーブルの上を中心に様々な大きさの紙とカラフルなペンが溢れ返っていた。床には折り紙で折った紙飛行機が何十機と墜落――もしくは不時着か――していた。
と、弥鷹の顔の横を一機の紙飛行機が掠めて背後でポスっと墜落した。
「あ、弥鷹君」
デスクチェアに両足を引き上げた状態で丸くなった小学生の男の子・サクラが、ちまちまと水色の紙で紙飛行機を折っていた。
もしかしなくても、この周りに溢れかえっている紙飛行機を製造したのは彼らしい。
「今日は一体何をしてんだ?」
「飛行機屋さんです」
「何だそれ」
『ケーキ屋さん』、『パン屋さん』のノリで『飛行機屋さん』とか言わないでほしい。
弥鷹は訝しみながら、ソファーの上に不時着している紙飛行機を横によけて腰掛けた。高校の通学鞄は膝の上に抱える。
「ただの折り紙……ではなさそうだな?」
机の上には様々な色のペンがあり、それらで何か文字が書かれた紙もあった。
「これはね、手紙飛行機なんだ」
「手紙飛行機?」
サクラは水色の飛行機を完成させると翼の形を確認し、「よし」と頷いてそれを弥鷹の前に掲げた。
「この飛行機は、言うなれば『手紙』なんだよ。この地下書庫ではわりと活用されてる」
「はあ」
何となく相槌を打ちつつも、サクラの言うことは全く意味が分からなかった。
(また新たな理解不能事象が目の前に起こりそう……)
弥鷹は心の準備をすべく一つ息を吐いた。
今までにも、目の前の少年とこの地下書庫で数々の不思議現象を体験してきた。
「そうだな、例えば……」
サクラが水色の紙飛行機を脇によけ、新しい黄色の紙に青色のペンで何かを書き込む。そして紙飛行機を折ると、それを持って扉の外に出た。
扉が閉まり、サクラの姿は見えなくなる。
「弥鷹くーん! 行っくよおー!」
扉の向こうの廊下からかろうじて聞き取れるくらいのくぐもった声がして、約五秒後。
「え?」
扉をすり抜けて、黄色い飛行機の尖った先端が見えた。それは真っ直ぐに弥鷹の元へと飛んできて、出した両手の上に無事に着陸した。
黄色い折り紙を開くと、そこには青色のインクにサクラの字で『ミタカくんへ。今日も来てくれてありがとう』と書かれていた。――先程、サクラが書いていた文字だろう。
なるほど、これが手紙飛行機か。
「届いた?」
「ああ、無事に俺の手の上に着陸した」
「やったね! 着陸成功!」
イエーイ、と謎のハイタッチをしてくるサクラに応え、弥鷹は改めてしげしげと黄色の紙を見つめた。
「てかこれどうなってんの? 紙に何か秘密でもあんの?」
「さあどうなんだろうねえ。僕もおじいちゃんにもらった紙で書いて折ってるだけだから」
サクラが首を傾げる。彼に分からないことが弥鷹に分かるはずもない。
「まあこの地下書庫でしか使えないけどね」
「地下書庫っつっても、お前の他にほとんど人いないだろ。誰に手紙出すんだよ」
弥鷹がもっともなことを尋ねると、サクラはあははと笑った。
「やだなあ、弥鷹君。この地下書庫は思いの外広いんだよ? 本の数だけ世界が広がってると言っても過言ではないのに、どうしてそこに僕以外の人がいないと言い切れるの?」
さらりとこの地下書庫のとんでもないことを聞いたような気がする。
「……それは『人』だよな?」
「『人』の形をした何かかもしれないけどね」
サクラが唇の前に人差し指を立てて微笑んだ。小学生にしては大人びた、綺麗な笑みだった。たまにこういう姿を見ると、彼が本当に小学生なのか疑念が沸いてくる。
「でもねえ、長距離を飛ばすには翼の調節が超重要だし、結構コツがいるんだよね」
「そうなのか」
「それに、場所によってはちょっと時間がかかったりもするんだ」
「へえ」
この手紙飛行機にも、色々と問題はあるらしい――弥鷹には関係のない話だが。
「で、お前は誰かに手紙を書いていたのか?」
「まあ、そんなとこ」
サクラは弥鷹が来た時に折っていた水色の紙飛行機を再び手に取った。
あの紙飛行機が、サクラが書いた誰かへの手紙なのだろうか。
まるで爽やかな春の空を思わせる色の翼を再調整する手元は真剣で、喋りかけるのも憚られるくらいだった。こんな彼は珍しい。
「よし」
サクラが一つ息を吐いて、紙飛行機を構える。目線は扉の方を真っ直ぐに見つめ、そっと押し出すように手を離した。水色の紙飛行機は安定した飛行で扉を通り抜け、弥鷹の視界から消えた。
サクラがほうっと安堵の息を漏らす。そしてくるりと弥鷹の方を向くと、カラフルのペンを突き出した。
「そうだ、弥鷹君! 実はこのペンも面白いんだよ。書くと透明になるやつもあってね……」
先程までの真剣な空気が嘘のように、サクラは元通り元気な子どもに戻っていた。色とりどりのペンを順番に渡しては弥鷹に何か書かせようとする。
「弥鷹君、絵の才能はあんまりないっぽいね」
「描いた動物全てがアメーバになってるお前が言うな」
「でも字は意外とキレイだね」
「意外とか言うな」
「ふふ、僕にも手紙書いてよ。弥鷹君からお返事ほしいなあ」
かわいらしい笑顔でねだられては無碍に断れず、弥鷹はサクラへの返事を書き始めた。
小さい頃に折った紙飛行機の記憶を引っ張り出し、懐かしい気分で緑色の紙を折った。
「はいはい、じゃあ僕は廊下に出てるから、弥鷹君は僕に届くようイメージしながら、真っ直ぐ扉に向かって飛ばしてね」
サクラが軽い足取りで部屋から出て行く。扉が閉まるのを確認して、「もーいーよー!」という声が聞こえてから、弥鷹は丁寧に紙飛行機を飛ばした。
少し不安だったが、紙飛行機は安定した飛行で扉に向かって行った。
緑の飛行機が見えなくなって暫く、また扉を突き破ってこちらに飛んでくる飛行機があった。今度は紫色だ。
「またサクラか?」
弥鷹がそれをキャッチするのと同時に扉が勢いよく開いてサクラが戻って来る。
「弥鷹君! 無事に届いたよ!」
「そうか、良かったな。こっちにも今もう一機――サクラ?」
弥鷹の手の上にある紫色の紙飛行機に、サクラの目が驚いたように大きく見開いた。
「あ、もしかしてこれお前に届いたやつか?」
もしかしたら弥鷹宛ではなくサクラ宛だったのかと思い紫色の飛行機を差し出すと、サクラは首を横に振った。
「ううん。これは弥鷹君に届いた手紙だよ」
「そうなのか?」
「うん。――君に、ずっと会いたがってる人からの」
後半を消え入りそうな声で呟くと、サクラは眉を下げて少し困ったように笑った。
彼はこの手紙飛行機の送り主に覚えがあるのだろうか。
弥鷹は紫色の紙を開いた。中にはたった一文。
『弥鷹君、また会える日までサクラをよろしく』
送り主の名前はどこにもない。
「なあ、これ……」
どう反応して良いか分からずサクラを見るが、彼は黙って微笑むだけだった。たとえ何か知っていても、教えてくれそうにない。
弥鷹はもう一度、じっと手紙の文章を見つめた。
少し角ばった、特徴のある文字。少しサクラの文字と似ている。
(もしかしてやっぱりサクラからの手紙か? ――いや、でも)
サクラの様子を見る限り、彼が書いたとは思えない。それに、『サクラをよろしく』なんてサクラ自身がわざわざ書くだろうか。
(『また会える日まで』ってのも……俺と以前に会ったことがある?)
考えても思い当たる節はなく、弥鷹は溜め息を吐いた。サクラは相変わらずだんまりだし、これ以上考えていても答えは出そうにない。
「なあサクラ」
「うん?」
「腹減ったからおやつにしないか? 実は今日はみたらし団子を土産に持って来たんだ」
「え、ホント!?」
途端にサクラの顔が輝き、「お茶の用意をしなくっちゃ!」とパタパタと給湯室に向かう。
弥鷹はその後ろ姿を見送りながら、手の中にある紫色の紙を折り目の通りに戻し、飛行機の形に復元した。
サクラの言葉が正しければ、この地下書庫のどこかに弥鷹を知り、会いたいと思っている者がいる。――この手紙飛行機の送り主が。
不思議な現象ばかりが起こるこの場所では、その者が『人』であるのかどうかも分からない。
だが、意外にも不安はなかった。むしろ、楽しみな気持ちが膨らみつつあった。
(いつか、本当に会えるだろうか)
弥鷹はそっと紫色の紙飛行機をテーブルの上に置き、おやつスペースを作るべく周りを片付けた。色紙とペンをそれぞれまとめて端に寄せる。
「弥鷹君、玉露でいいよね。この前おじいちゃんが置いてったのが残ってて」
「おう、何でも。みたらし団子もちょっとあっためた方が美味いんだけど」
「じゃあ電子レンジで温めてくる」
弥鷹からみたらし団子が入ったパックを受け取ったサクラがまた給湯室に引き返し、チンという音がしたかと思うとみたらし団子を載せた皿を持って部屋に戻って来た。
前から思っていたが、サクラのおやつに関する行動はテキパキしている。弥鷹は思わずふふっと笑ってしまった。
温められたタレからはうっすらと湯気が立ち昇っている。香ばしくて甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「「いただきます!」」
弥鷹とサクラは手を合わせてハモると、同時にみたらし団子に手を伸ばした。
紙とペンと手紙飛行機 葵月詞菜 @kotosa3
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