Paper,Pen,Person

長廻 勉

いつか、遠い未来の地球上で

「我々もようやく、お役ごめんとなりました。」


「誕生してから五千年以上、思えば長いものでした。」



紙とペンは、互いの労を労っていた。

人が文字を発明し、記録と言う概念が生まれたと同時に彼らは誕生した。

文明の始まりからずっと彼らは人の傍に寄り添ってきたわけだが、それもようやく終わる。


テクノロジーの発達によって、高度に築かれた情報化文明。

人は仕事の全てを、自身の思考をフィードバックする高性能情報端末によって行う時代。

最早、人が体を動かすのは”娯楽”や”趣味”の為だけになった。


無論、文字を書くと言う行為も過去のもの。

自然環境に配慮したペーパーレス化と速記手段の高速化と正確化の追求によって、人は字を文を思うだけで端末に映し出すことが出来る。


紙媒体の書物は過去の遺物となり、好事家の関心をそそる一部を除いて、完全に文明から消え去ろうとしていた。


「私とて人の発明ゆえ、文明の発展は喜ばしいものであり、私自身その発展に少なからず寄与してきた自負はございます……ですので、忘れ去られると言うのは些か寂しく思います。」


紙が独り言の様に呟く様を見て、ペンは苦笑した。


「何を仰います。貴方は、"記述"以外にも、ダンボールのように梱包したり、障子のように空間を仕切ったり、はたまた燃える燃料となられる時もある。忘れ去られるのはもうしばらく後の事になるでしょう。」


ペンはそういうと小さくため息を吐いた。


「私など、貴方がいて初めて存在意義が生まれるのです。しかし、何時の時代から、人は指で盤を叩くだけで文字を記載する術を覚えた。人は誰もが同じく正確無比な文字を記述できるようになったのです。そこには、個人の癖はもちろん、平仮名の柔らかさも、片仮名の硬さも、アルファベットの異質さも、漢字の複雑さも無い。全ては、指が盤の何を弾くか?それだけなのです。」


ペンの言葉に、紙は浅くない共感を覚えた。


もともと、地球上には様々な地域の、様々な文明があった。

それらは独自の色を持ち、互いに影響し合いながら様々な色を地球上に残してきた。



しかし、時代は進み、利便性は正義となり、即効性が最優先事項となった社会。

余計な物は削り取られ、理解できぬ物は別の何かに置き換えられた。

地球上の様々な地域の様々な文明の色が、どんどんと統一色になってきている。


紙とペンはそのような歴史の移り変わりを幾百年いくももとせと眺め、そして記述してきた。


歴史の選択を見てきた我々にも、遂に歴史に選択されるときが来たのは皮肉な話である。


「人類が一度滅んで再び文明の灯火を見る事になれば、我々がまた日の目を見ることもあるでしょう。」


紙の発言は冗談だった。

少し黒い意味を含めたのは、白い紙面に落ちたインクの染み程度の意趣のつもりだった。


「いやぁ、それが本当の事になりそうなのですよ。」


紙の発言に対して、それを認める声に驚いた紙とペン。

そこには、自分達の怨敵、と呼ぶには文明的かつ自分達と親和性の高そうな存在が困り顔で立っていた。


「電子情報端末君……どうしたんだ?」


「それが、私も人間達からお役御免となりまして。」


電子情報端末。

紙やペンに取って代わり、人間の文明を支える記録媒体であり情報通信手段である。

いわば紙とペンにとっての後輩のような存在である。


しかし彼は単なる情報通信手段の枠組みを飛び越している。

彼一つで今の人類は、本を読み、音楽を聴き、口臭や腋の臭いを測定し、料理を調理させ、夜伽を行わせることが出来るのだ。

出来ないことは、端末を使用する人の本心について調べることぐらいである。


そんな彼が、人類からお役御免を言い渡された。

そのことに紙とペンは互いに顔を見合わせて驚いた。


人類はそれほどまでに進歩したのか!?


「いえ、それが、どうも退歩してしまったみたいでして……。」


「退歩?君のような存在がいてか?」


「話は、少し遡るのですが……。」


電子情報端末はゆっくりと語り始めた。




それは突然やってきました。


太陽の異常運動による太陽フレアによって、我々のような電子機器の類は一切の動作を停止させました。


電子制御によって維持・管理されていた各種インフラは消滅。


ネットワーク上に存在し人類の知識のほとんど管理していたデーターベースへのアクセスも永久にできなくなったのです。


そして、人が持つ知識は、自身の頭脳にある知識と、好事家たちが持っていた数少ない書物のみとなりました。


しかし現人類の頭脳ある知識など、知識のほとんどをデータベースと情報端末に頼っていたいたので元来有しているものなどたかがしれています。


ですので、正確性のある知識は書物のみ。


人は書物を知識の源として奪い合うようになり、書物の一ページは樽いっぱいの金貨よりも価値のあるものとなりました。


「しかし、書物も複製すれば……。」


ペンの言葉に、電子情報端末は頭を振った。


人は情報端末の情報を"読む”能力は依然保持していましたが、情報端末によって"書く"能力を失っていたのです。

人は、まともに体を動かすことすら放棄してしまった時代。

そのような状態で文字を書くという繊細な行為が、どれほどに難儀な物か分かるでしょう。


もっと言えば、極端なペーパーレス化によって製紙技術もロストテクノロジーとなっています。

人類は複製の為の紙すらまともに準備出来ないのです。



そして、知識と情報が、何よりの財産となった時代に突入しました。


一般市民が文章や文字を目にする機会が減り、日に日に読み解く能力も低下していきます。


一方、知識を独占することに成功した実力者は、知識の流失や情報の価値の低下を恐れ、複写や描写の能力を持った数少ない画家や書道家を粛清しました。


次に文字を読み解き文を構成することに長けた作家が粛清され、詩を編みメロディに乗せる音楽家が粛清されました。


こうして、地球から芸術の灯は消えたのです。


芸術が消えると、多くの人間はいよいよ自然へ回帰し始めました。

文字を読むことも無ければ聴く機会も無くなり、語彙は次第に減ってゆき、会話は散文的になっていく。

人の口から発せられる言語の数がみるみる少なくなっていきます。


そして、いよいよ人の声が、音以上の意味をなさなくなった時。



人は猿になったのです。





そこまで話すと、電子情報端末は紙とペンに頭を下げた。


「お願いします!お二人のお力で自然に回帰してしまった人間達に文明の光を今一度与えてやって下さい!

文明の始まりから人類と共に歩んできた貴方達ならば、きっと再び人類に文明を築かせることが出来るはずです!」


電子情報端末の必死の懇願は、人類の為以上に自身の存在意義に対して救いを求めているようだった。

彼も人類の文明によって誕生した存在である。


その人類が文明を放棄したとなれば、彼の存在意義はあぶくよりも儚く消える。


しかし紙とペンは、必死な電子情報端末に対して困惑する表情を浮かべるばかりだった。


「君の言うことは分かるのだが……我々とて人類によって生み出されたのだ。そういう意味では君と立場は変わらない。0から1を、猿から人を生み出すような事は出来ないのだ。」


ペンの言葉を受けて、紙は言葉を繋ぐ。


「そう、我々は神では無いのだから。」

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