どっちも大事なものなの
「着いたよ」
「…ええ。いきましょ」
私は車から降りて、呼吸を整えた。
夜の閑静な住宅街の中。
「緊張するわね。こんな理由で訪ねるのは初めてだから」
「こんなことそうそうないわ。私も、直接生徒の家に行くのは初めて」
あたしは潤の実家の門を叩いた。
「はい、井上です」
「井上さん。潤くんの体育の担当教師の、蓮司と言います。一緒に保健の先生も来ているんですが、一度お話ししたいことがありまして、まいりました」
「まあ……潤が何かやらかしたのですね?」
決めつけるみたいな、言い方。
あたしは少しムッとして…だけどどっかで、やっぱり今日のさとみの誕生日をフイにしたことが引っかかってて。
こんなんじゃいけない。こっちを選んだのなら、きちんと最後までこなさなきゃダメよ。
「やらかしたのではなくて、彼の体調のことについてです」
「保健室でお世話になるようなこと…?まあ、とりあえず今行きますので、お待ちを」
インターホンがプツリと切れた。
保健教師兼・保健室の先生の島岡先生は、ふぅっと息を一つ、強く吐いた。
あたしもそれくらいの気持ちで行かなきゃ…!
「それで、潤は一体何をしたんですか?」
あたしたちは奥様からお茶を出されて、それを一口頂いた。
島岡先生が、潤のパニックのことや、お父さんとの関係のことを話した。
あたしがちらっと見ただけでも、ここのリビング、古いけどすごく広い。それに質の良い家具。
潤はここで育ったのね。
きっと古風な、強い戒律のところに育ったんじゃないかな?
「まあ………そんなことが」
奥様は長く黙った後に、やっとという感じでそう言った。
今度はあたしが話す番ね。
「潤くん、かなり無理してると思うんです。お母様はショックだと思いますけど、潤くんには適切な医療処置が必要だと思います」
「ええ……ですが、主人が…」
「実際、お母様は潤くんのパニック状態を見たことはあるんですか?」
「いえ。うちでは夫が厳しく育てますから。私はあまり、潤の教育に関与していないのです」
「じゃあ、普段の教育はお父様がしているんですね?」
「ええ。私はただ、ご飯を作って、潤の身の回りの世話をして……それだけです」
「潤くんはお母様に弱音を吐いたりしたことは?」
「ありません……。ただの一度も。正直…」
そこで奥様は言葉を切った。
「正直、潤のことが、私、よくわかりません。あの子はずっと仮面をつけたみたいに、私に対して強く当たることも、相談事もしないんです…。正直怖いんです、彼が。いつか、主人のことを刺してしまいそうな……殺してしまいそうな感じ…!!」
奥様は泣いていた。
そっか、辛いのは潤だけじゃなかった……。
あたしはてっきり、家庭内で辛いのは潤だけだと思ってた。
だけど、そうじゃなかった。
親も親なりに、子供とおんなじくらいに、辛さを感じる時がある……。
その時、あたしは周一さんの顔がよぎった。
一人親で、父親だけで育ててきて。
彼の苦労も、きっと、並みのものじゃなかったはず。
その大事なさとみくんの誕生日を、あたしは……。
そこでハッとして、また頭を職業のことに戻す。
「お母様、いいの。お父様と直接お話しするのは、お母様少し難しくありませんか?」
「ええ…!すごく怖いんです、それは」
「あたしたちからお話しします。お母様にも一緒に席に着いてもらうことはあると思う。けれど、潤と、ご家族が一番楽になれる方法、一緒に探していきましょ」
「はい…ありがとうございます…!」
奥様はティッシュで必死に涙を拭いていた。
「あの…よければお二人とも、晩御飯を食べていきません?いつも翌日のために多く作るんですけど、今日お二人ならちょうどいい量なんです」
奥様の提案はありがたいけど……今時間は何時!?えーっと、午後の9時ね。1時間くらいは喋ってたみたい。
「すごく食べたいんですが、実は今日、大切な人の誕生日をすっぽかしてきちゃったんです。今からでも間に合うなら、そっちに行きたいんです。また後日ご馳走になっていいでしょうか?」
「あら、そうなんですか?じゃあ、島田先生は…?」
「私は頂いていきます。蓮司先生、じゃあ後のことは任せて」
「ありがとっ!行ってくるわ!」
あたしは広い家から、大きな庭を通って、大きな通りまで出て。
「タクシ〜こっちこっち!急ぎなの!」
黄色いタクシーが一台こっちに来た!
あたしは乗り込むと、矢継ぎ早に、まずはケン兄のお花屋さんに行くこと。次に周一さんの家の住所を言って。
「めっちゃ急いでんの!事故らない程度に、猛スピードでお願い!」
なんて、お願いをした。
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