選択

今日は水曜日、それも職員室でお昼弁当を食べてるときに。


rrrrr……ッ


「あら、誰かしら…」


ケータイの画面を見ると、周一さん、の文字が。


松田ちゃんがあたしの方を見て、ニヤリと笑った。

くそ、顔に出てたか…。


「ちょっと出てくるわね…ハーイ蓮司ですぅ、」


職員室から直接外に出れる勝手口みたいなのがあるの。そこから外に出て、周一さんと電話した。


「……彼でしょ。なんだって?」


お弁当ひとくち食べようとしたら、すかさず松田ちゃんのツッコミが。


「ああもぅ、ホント目ざといオンナ!」


「いいでしょー。こっちはもう結婚して、恋愛の甘々はできないんだからさ」


「いいわ、話すわよ。今日、さとみくんの誕生日なんですって。それのお祝いを周一サンの家でやらないかって」


「いいじゃない!」


「でも、さとみくんが受け入れてくれるかどうか……」


「そんなのは関係ないの!」


「そんな!」


「いい?蓮司先生。行かない方が問題よ。蓮司先生がおうちに行って、祝って、それをさとみ君がどう受け取るかは、さとみ君の勝手。でも行かなければ、どう思われるかは一択しかないよ」


たしかに…その通りだわ、松田ちゃん。


「行ってみるわ…行く!でも何持ってけばいいだろう?」


「お花だったら嫌いな人いないんじゃない?お金だと、いまの状況じゃイヤらしいから…」


「とりあえず、そつなくかっこいいお花は決定ね。それならいいお店知ってるわ」


「あら、二丁目時代の?」


「そそ。ケン兄のとこ〜」


そうと決まったら、早速行動開始。

二丁目のママ時代、ほかの店のママのところに持ってく時に、沢山お花作ってもらった人。


腕は一級品だわ。あそこなら(二丁目のゲイが作ったってバレなきゃ)、最高のお花ができるはず。




でも……。


あたしのカンは、よく当たるわ。

良いことよりも、悪いことの方がよく当たるの。




体育の授業中。前回の続きの1500m。


いつも通り。

潤が一番に帰ってきて、あたしがポチッとストップウォッチを押した。


その瞬間。


「ちょっと、潤!?」


あたしの肩に捕まろうとした潤の左手が、それが出来ずにばたり、と倒れた。


「潤、そんなに疲れたなら木陰で休んで……?」


でもなんだか、潤の様子がおかしいの。

胸を手で押さえて、肩で息をしてるかんじ。


最初は貧血とか疲れかと思った。だけど、どうやら違った。


過呼吸っていうか、なんかもう泣いてるし、近寄ったあたしの腕を離さない。


普段はこんな子じゃない。この子にとって今は、緊急事態なんだわ。


「陸上部!いるわね、上野先生呼んできて。今体空いてるはずだから、あたしの代わりに体育の授業お願いって伝えて。授業はいつも通り続けるって、みんなに言っておいてね」


「はっ、はい…」



そして今。

あたしは潤をよいしょっと背負って、保健室に走ってる。


「先生……俺死ぬの?ねぇ、なんで俺、こんなに怖いことが多いんだろう?……あー!」


潤は泣きながら、あたしの肩口に口を押し付けて叫ぶ。


「大丈夫よ、すぐ良くなるわ。良いことだけ考えるのよ…っ!」


保健室の扉を開けれないから、「保健室ーっ!!」って叫ぶ。


扉が開いた!


「どっ、どうしたの蓮司せんせ…」


「どうしたもこうしたも、なんだかパニクってんのよ、」


ベッドに案内されて、そこに潤を座らせる。

保健の先生が、ドアの仕切りのカーテンをピシャッと引く。


「いつから?」


「そうね、3分前くらいかな。体育の授業中に…」


「ねえ蓮司せんせい、死ぬの?」


捨てられた子犬みたいな目。


「死なないわよ、安心するにはどうすれば良い?」


あたしは目線を合わせて、極力落ち着いた声色で、潤に話しかける。


「手を…手を……」


「手ね、」


あたしの右手を、潤はがっちりと両手で、ロックするみたいに掴んだ。

そして、その手を彼は自分の額まで持って行って…。

神様にお願いするみたいに泣いてる…。


あたしはどうすることもできないから、開いた左手で、潤の背中をさする。


「潤くん、パニックって、どれくらい前から出てたかな?」


保健室の女の先生が尋ねる。


「わからない…わからない…でも、今年の春からずっと、こういうことはあって、我慢して、た」


息も絶え絶えに潤は答える。


あたしは一体、潤に何が起こってるのかわからなくって……、だけどあたしが不安になったら、それが潤に移っちゃいそうだから。あたしがしっかりしなくちゃ、って思って。


「潤。あんたさっき、なんで自分は人より怖いものが多いのか?って、言ったわよね。それは、あんたが賢いからよ。賢くて、人よりもよく考えれて、よく気付くからよ。大丈夫よ、あたしがあんたの思考、ちゃんとサポートしてくからさ…」


「どうして怖いんだろうっ?」


「考えることは悪いことじゃないわ。だけど今のあんたの頭は、なんかわかんないけど、どーしても悪い方向に考えちゃうみたいね」


「それが怖いんだ、自分でも制御できないから…」


「楽しいこと考えるのよ、大丈夫。あんた、好きなことある?」


「おと、お父さん…」


「お父さんが好きなの?」


「違う!怖い!お父さんが怖いんだ!!」


潤の張り裂けそうに大きな声が、保健室に響き渡った。


「…どこが怖いの?」


保健室の先生は静かに見守っている。


「目が……いっつも俺を責めてくる…俺のことを理解しようとしない。お母さんも、冷たくて、助けてくれない。助ける気がない…!」


「潤のお父さんは何をしてる人なの?」


「け、県会議員…」


「お父さんが怖いのは、なんで?」


「勉強しろしか言わない。少しでも失敗すると、すぐに…怒鳴るのが何時間も続いて……」


「わかったわ。もう十分。ちょっと疲れたわね、横になりましょ?大丈夫よ、大丈夫…」


潤はゆっくりと落ち着いてきて…。

あたしがベッドに横になるように誘導したら、すぐに眠った。


潤の手から力が抜けて、あたしの手が自由になって…でもあたしの手は真っ赤になってた。

それがなんだか、潤の緊迫した辛さを表してる感じ…。




「先生、潤は一体、どうしちゃったの?」


「多分、パニック障害なんだと思う、彼」


「パニック障害?」


「私たちもパニクるときあるでしょ?でもああいうのと違って、今回の潤君みたいなパニック障害って呼ばれるものは、今にも死にそうなくらいの辛さが一気に襲ってくる感じなの」


「……わからないわ、経験がなくて」


「潤君、今年の春から発作はあったって。いま八月だから、4ヶ月は我慢してたことになる。パニック障害は初期対応が重要だけど、3ヶ月までが初期なの。彼はもう過ぎてる。薬のことも言わなかったし、多分病院にも行ってない…」


「なんで、そんなに隠してたのかしら?もちろん言えない環境だったってのもあるけど、こんな辛いのを、一人で隠して背負ってたってことでしょ……」


あたしと保健の先生は、思わず黙ってしまった。

大の大人二人を黙らせちゃうくらいに、潤のパニックは凄かった……。


「とりあえず。あたしは何をすればいい?」


「そうね……まずは私と一緒に、潤君の家に家庭訪問に行くべきだと思う。彼のストレス源がどこなのか知る必要はある。まあ、あらかた父親だと思うけど…」


「あとは、病院にも行くべきじゃない?それも言わなきゃ」


「そうだけど、父親は県会議員。体裁が気になるはず…」


「体裁?それごときに潤の体をやられてなるもんですか」


「だけど、潤君が行くとしたら多分…精神科よ」


あたしはよくわからないけど、人間って体裁で、自分の子供を犠牲にできるもんなの?


「ちょっと時間をください、先生。あたしもパニック障害について調べてみるわ」


「わかった。蓮司先生、今日の夜空いてる?」


「今晩は……」


行けます、と言おうとして、あたしの頭にあることがよぎった。




『今日、さとみの誕生日なんだ。もう母親がいなくなってから、随分長いこと二人だけでやってて……。それでさ、蓮司。今日空いてる?』

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