子供を覆う、オトナの影。

「へぇ、そういう経緯だったわけね」


この前の続きで、周一さんとのことを放課後の職員室で説明すると、松田ちゃんが超納得したって感じで、深く頷いた。


「じゃあなによ。あなたはこれから、その子とコミュニケーションとってかなきゃいけないって事でしょ?」


「まあ、そうなるわねぇ」


「そんなおませ相手にして大丈夫?」


「二丁目のクズに比べれば、どうって事ないわよ」


「あはは!そりゃそうだね」


松田ちゃんは大笑いして、ふうっと息を吐いて涙を拭いた。泣くほど面白かったらしい。


私はそんな松田ちゃんを尻目に、次の体育の準備に取り掛かった。


今日の授業はマラソンだから、ストップウォッチと、生徒の評価の紙と……ああちょっと待って、時間がないわ!


「じゃっ、松田ちゃんまた後で!」


「うん〜またね」




「今年の生徒は、えらい速いのがいるわね……」


男子の1500mで、14歳平均の6分4秒より随分と速く走る子がいた。


「ねえちょっと!」


「?はい」


「あんた、陸上部?」


「いえ、減量のために走ってて……」


「今まで知らなかったわ。そんなに速いなら、陸上部入ればいいのに?」


「…嫌なんですよ、ああいう練習とか、暑苦しいの。自分のためにやるからいいのに」


彼の名前は……潤ね。ジュン。


「とりあえず、このタイムは陸上部の顧問が見たがってるから見せることになるけど、そうなると多分あんたには勧誘のお声がかかるわよ」


「うわぁ、最悪ですね」


「そんなに嫌?ちょっと話しましょうよ。はーい、あんたらもちょっと休憩ね!」


みんなに休憩の声をかけて、あたしと潤は、校庭の隅の木陰でおしゃべりを始めた。


なんで、そんな些細なことで声をかけたのか、私もわからないけれど…何かを感じたのよ。


「もしかしてあんたさ、大葉潤?」


「……そうですけど、」


「聞いたことあるわ。学年トップでしょ?テスト。いつもそうだから、ちょっと覚えちゃったわ」


「他の生徒の名前は覚えてないんですか?」


「あたし、人の名前覚えるの苦手なのよ。うちのクラスで覚えてるのは……サクラくらい?」


「三人いますよ」


「ああっもう、そうなるとダメね!」


「ふふ」


あ、ちょっと笑った。なによ、笑うと可愛いじゃない?


「いいわねぇ、勉強もできて、体育もできる。あたしは一応体育教師だけど、もうなまってっからなぁ」


「現役の頃は?」


「凄かったわよ、正直ね。プロ目指そうと思ってたの。でも途中でお金稼げないことに気づいて、じゃあ関われる体育教師になろうって。あんたは?なんかやりたいことあるの?」


「…悩み中ですかね」


「そうね、わかったわ」


こんなセリフ言う子って、たいてい将来のことでなにかしら悩んでるのよね。

だから、無理に追求はしないの。そんなの他人に言われても、凝り固まって辛くなるだけだからさ。


「勉強は好き?」


「、ええ。好きですよ」


「うふ、しょーじきには?」


「……嫌いって言うと、支障が出るんで」


「ふぅん。じゃあ、誰かから強制されてるのね?何かはわからないけど」


潤は黙り込んだ。体育座りしてる潤が、一つ重い影を背負ってる気がした。


その時あたし、頭に電流が走るように感じたの。


この子、なんだか、ほっといちゃいけない気がする。


「センセー!休憩長過ぎ!教師がそれでいいのー?」


遠くから、女子生徒の甲高い笑い声が聞こえた。


「もう終わるから、筋肉痛予防にストレッチ各自でやってなさい!チャイムが鳴るまでね!」


「じゃあ、僕も…」


「潤。何かあったら言いなさいよ」


その言葉に、なんでか潤はピクリと反応して。

じっとりとした目で、あたしを見た。

その目は、しんじてないぞ、って言ってた。


「……いいわ。あんたの気が向いたらでいいの。でもあたし、一応オカマバーでママやってたのよ。それくらいのトーク力はあるわよ?」


潤の肩を叩いて、生徒たちのところへ戻った。


チャイムが鳴って散り散りになった生徒たちの中に、長身の潤が目立つ。


あ、そうだった。松田ちゃんにまだ話してないことが…。


あたしは校庭の砂の上のペンケースとかを持って、生徒を追いかけるように職員室に走った。



潤が倒れたって聞いたのは、それからたったの3日後のことだったの。

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