マザーズ・ヘアー【完結】

由野 瑠璃絵

お母さん。あたし、幸せになっていいですか?

あたしのセックスってね、本当に、意味あんのかって思っちゃう。

一週間に一回会ってセックスする男は、顔は良いし、デートだって毎回良い場所知ってるし(まあ、他のヤツと行ってるトコの使い回しなんでしょーけど)。非の打ち所はない男よ。


けど前提として、この恋は「不倫」だってのがあっちゃうわけ(それありきで付き合ってるあたしもあたしなんだけどさ)。

で、どうやらゲイの彼は他にも数人男がいるみたいで。

この前ちらっと彼のケータイの画面を覗き込んだら、ロック画面にラインのアイコンがずらり。その時にあたし思ったわ、こいつ、相当やってる…って。


でもいかんせん、クソな事実をマイルドにしちゃうくらいに、その男はいい奴に見えるのよね……。



金曜日の夜、って言うと、まさに自由への扉が開く日。土曜日の夜に最高のフリーダムを感じて、日曜は誰かと遊んで。もうそれしか選択肢ないよねっていう二日間の始まりの日じゃない?


彼の連絡は、毎回決まって金曜の夜八時。

あたしが教職やってて、夜遅くまで学校に残ってるっての、彼は知ってる。それが八時ぐらいになると、ひと段落つくのも知ってる。つまりもう、結構お互いのことはわかってるのよね…そこが問題アリなんだけどねぇ…。



<蓮司、仕事終わった?今晩は何処に食べ行く?ガッツリ食べたいなら焼肉で、お酒も飲みたい気分ならイタリアンのいつもの方行こうか?>



毎週金曜の夜八時に、彼のトーク画面を開くのが定石になってきてるのが怖いわ…。



<今日はガッツリは無理。お酒飲みたい。>


<わかった。じゃあいつものAkariで個室予約しておくね。何時がいいだろう?>


<九時には着くわ>


<わかった。じゃあ、楽しみに待ってます!>



会話が終わって、パタリとケータイを閉じる。

思わず、ふぅっと勢いよくため息が出た。

あたしのこんな雑な言葉に、楽しみだなんて、イヤミなの?って感じちゃうくらいの、彼の純粋さ。


あたしは1時間くらい格闘した書類とおさらばして、校門を出た。



「でねぇ、ホントにあるのよ。そうゆう教師同士の対立。教職ってただでさえブラックじゃん?なのによくそんな喧嘩なんてしてる暇あるなって。それも猿山のボス取り合戦みたいなの。ヤんなっちゃうわ」


彼の選んだワインがえらいパスタにマッチしてたの。だからあたし、かなり出来上がってきちゃってるよね?


もう一杯頼んじゃお。てゆーか、全然足りない。二丁目みたいに、とりあえずテキーラ持って来いってできないのがつらい。


「今日はよく飲むね。いつも凄いけど、今日はなにがあったの?」


そう聞く彼の目は優しい。いつもこの優しさに甘えちゃう。


「…同い年の松田先生がね、結婚したの。あたしだけに教えてくれたんだけど、デキ婚らしくって。もうお腹に赤ちゃんいるんですって」


「へぇ、凄いじゃん!デキ婚かぁ。俺は経験ないからな…」


「ま、ゲイだったらほぼ100パー無い話よね」


「蓮司はどう?子供欲しいと思う?」


「子供?ぜーんぜん。たとえ凄腕の保育士雇ったって、あたしの子供がまともに育つはずないわ」


「君の子供時代、本当にやばかったもんね」


「そーそ。初体験が小学生とかイカれてるわよね」


「それを俺に話した時、正直やばい奴に当たったと思ったよ。今は違うけどね」


「あの時は、荒れてたわね。今は、違うけど…」


ちらっと見上げると、彼のほっぺたは真っ赤で。目もトロン。グラスに付ける唇が赤くて、色っぽ。


でもね、今日は話さなきゃいけないことがあるの。


「……奥さんはどう?」


「ああ、子育ても順調みたい。色々と、上手くいってるよ」


色々ってのは、あたしのことも含めてね。


「終わりにしたいの」


「…え?」


「周一サン、あたしだけじゃないでしょ?」


「…どういうこと?」


あら、あんた、演技が上手いのね。

さっきまでの酔いがどっかに飛んでったみたいなお顔。でもあたしのことは騙せないわよ。


「あたしは周一サンみたいな男の人と付き合ったの初めてなの。今までは全員クソクソで、二丁目の残飯漁ってるカラスみたいな男しか付き合ってなかった。だから、こんなに素敵なレストランとか連れてきてもらえて、幸せだったの」


「じゃあなんでダメなの……」


「なんなのよ、あのラインたちは?」


周一サンが黙る。


「あたしに隠し事?してるでしょ。他の男いるでしょ?奥さんに隠し事してるでしょ?」


「まって、」


「あたしは死んでも不倫なんてする男になりたくなかったわ、だって母親がそれで苦しむの見てきた。だから死んでも嫌だった!だけど、あんたみたいな男に会って……もうやめたいのよ…」


あたしは泣いてた。ワインのグラス片手に、空いた手で顔を隠すようにして。


あーあ。これじゃああたし、あの母親と一緒じゃない。


「……蓮司、君に話していなかったことがある。顔は上げなくていいよ。ただ、俺が知っていて欲しい」


ポタポタと、テーブルクロスが濡れていく。


「俺はゲイだ。それに、妻も居た。だけど、妻は死んだ」


あたしはハッと息を飲んだ。


「俺には子供がいる。妻が残してくれた子供。俺の一番の宝物だ。だけど、自分一人の手で育てられないから、妻の妹に家に来てもらってる」


あたしは、周一サンと美人な女性が一緒に買い物してるのを思い出した。

じゃあ、あれは妹さん?


「不倫は、してない。でも君には、あえて言ってなかった。妻がいないことを話してしまったら、僕が子供がいることも話さなきゃいけない。僕は子供を、心から愛してる。だから、この話を君が受け入れてくれるかどうか、考える時間が欲しかった」


「……一年半も?」


「だって…さ、子供をちゃんと愛してくれるか、わからないだろう?」


「じゃあ、今のあたしは、ちゃんと愛せるって思ってる?」


「思うよ。心から」


その言葉を聞いた瞬間。

あたしなんだか、全部が許されたように感じた。


「周一サンの子供に会いたい」


自分の口から飛び出した言葉は、今までのあたしからじゃ考えられないような言葉。

でもわかるの、あなたの子供なら、愛せる気がするって。


「さっきまで別れようって、言ってたけど。今なら引き返せるよ?」


彼が泣きそうな笑顔で言った。

でもあたし、やりなおしてみたい。

母親の顔が、今でも思い浮かぶの。

だけど、やれるなら。幸せを作れるなら。


「やるわ。あたし、その子育てるわ」


「…ありがとう」


周一サン、そんなに優しく笑えたのね。





おまけ。


「あっ。でもまだ解決してないことがあるじゃない!あたし以外のオトコ、どうなってんのよ?」


「ああ、あれは二丁目の飲み仲間。土曜に飲んで、日曜は二日酔いで潰れるんだ」


「だから、金曜しか連絡がこなかったのね……」


「それに毎日連絡したら、返さなきゃいけないだろ?」


「別に、何文字かなら返せるわよ」


「うわぁ、素っ気なさそうだな」


「これからは顔合わせて会話すりゃイイじゃない?あー子供可愛いだろうな、周一サンの子供なら」


「育ての親に似るって言うから、君に似たら大変だな」


「あら、覚悟しなくちゃね。それは!」

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