誘拐犯と速記人形

名取

椿直人とハイデ0500





 速記用アンドロイド「ハイデ0500」は、物持ちが良いと言われている。



 なぜなら速記人形は、運搬用や愛玩用のそれとは違い、動かすのが主に腕だけだからだ。全身を使うことが滅多になく、堅牢なドイツ製で、構造もごくシンプルなため、専用の補充インクと腕のパーツさえ確保できれば、他のどの型よりも長持ちする。しかしある時、私は元の持ち主から、ハイデの正装である黒いゴシックドレス姿のままで、ゴミ捨て場に一人放置されることになった。仕事でミスをした覚えもなく、理由はわからなかったのだが、お金のたくさんある人だったので、『酔狂で速記人形を買ってはみたがつまらなかった』……理由としてはそんなところだろうと思われた。あとは朽ちるだけと、そう思った。

 そんな時、ゴミの山から私を見つけてくれたのが、今の持ち主・椿直人だった。


「ああ!? だから、身代金として100万円用意しろって言ってんだよ!」


 今日は直人は調子がいい。子供を五人も攫ってきた。直人は誘拐犯なので、そのあと迅速に恐喝の電話にとりかからねばならない。その間、子供達を見張っておくのが私の役目だ。

「あん? かなり良心的な値段設定だろうが。お前、自分の子供が誘拐されてんだぞ。頭沸いてんじゃねえか?」

 防音のアパートで、直人が電話に向かって怒声を浴びせかける。けれど子供達は、ちっとも怖がっていなかった。

「おもしろーい!」

 五人の中で一番小さい子が、きゃっきゃと笑って手を叩いている。他の子も、紙の束と机と窓があるだけの殺風景な部屋の中を走り回ったり、アルプス一万尺をしたり、私の膝に頭を乗せて眠ったりしている。

「面白くねえよ」

 直人は電話から一瞬口を離して、小声で言う。

「ったくお前ら、ちょっとは怖がれっての。やりがいがねえんだよ、やりがいが」

 直人には気の毒だったけれど、仕方のないことだ。大学ノートにペンを走らせながらそう思う。なぜなら今の日本の子供達は、おそらく世界のどの国の子供よりも、怒声の類に慣れてしまっているのだから。


 2055年現在、アンドロイドは全家庭に普及し、それによって人間同士の会話は激減した。


 この時代では人びとは、人間にではなく、まずアンドロイドの音声認識装置に向かって話しかける。音声認識AIが間違えれば、すぐに苛立って怒鳴りちらす。相手は認識装置であって人間ではないので、ほとんどの人間はまず躊躇いなく、鬱憤を晴らすためなんの気もなしに怒鳴って、そのあとで滑稽なインコのように、全く同じセリフを言い直すのだ。感情をぶつけられてもひたすら無表情のアンドロイドに向かって、己の滑舌に細心の注意を払い、それはそれはご丁寧に。

「ねえねえ、何書いてるのー?」

 部屋を駆け回っていた子が、私の大学ノートを覗き込んだ。そこに並んだ奇妙な記号たちを見て、興味深そうにしている。

「うわあ。すごーい。魔法の文字?」

 その言葉に、思わずペンが止まる。魔法の文字。なんて夢のあることを言うのだろう。私は常に直人と一緒にいるが、いい歳した男からはこんな可愛らしい言葉を言ってもらえることはないので、感激した私はノートの新しいページにでかでかと『魔法の文字』と書き留めた。もちろんアンドロイド専用の速記文字で。

「よめなーい」

「変なのー。でもなんかかわいいねー」

「わたしの名前も書いてー!」

 他の子もわらわらと集まってきて、私のノートを見ている。金属のボディの表面に子供の体熱が伝わっていくのを感じていると、直人が電話を畳んだ。

「ったく。ダメだ。コソ泥に払う金はねえってよ」

「またですか」

「またって言うな。そう言ったら、俺がなんだか誘拐犯としてダメみたいじゃねえか」

「……」

「おい」

 直人は子供達に向き直ると、両手を広げてこう言った。

「ってわけだ。お前ら、もう家に帰っていいぞ」

 すると子供達は、一斉にブーイングを始めた。

「えー、いやだー。うちのゼロナナハチさん、怖いんだもん」

「うちも! すぐ『おしおき』するんだよ!」

「おうちかえりたくなーい!」

 直人と私は目を見合わせた。

 ゼロナナハチとは、今日本で一番人気の家庭向け女性アンドロイド「オリエンタルリリィ・078型」の通称だ。国内生産なので日本語への対応が非常に良く、家事全般や育児にまで対応しており、簡単な医療行為も行える上、本体の耐久性も高い。しかし巷では、彼女のプロトタイプは軍事用アンドロイドである、ともまことしやかに囁かれている。

 直人は頭を掻きながら、しゃがんで子供達と目線を合わせた。

「おしおきって、例えばどんなだよ」

「うん、すっごくいたーいの。血もいっぱい出て、最初はすっごくびっくりした。でもすぐ治しちゃうし、見えないところでするから、お母さんたちに言っても信じてもらえないの」

「あ、そう……子供の安全より利便性ってか」

 その時、部屋のドアが突然開いた。

 反射的に子供達を後ろに隠し、ドアの方を見る。メイド服姿のアンドロイドが二体、部屋に入ってくるところだった。彼女たちの手の部分はピッキングツールのように歪に尖った状態になっていたが、眼球のセンサーで子供達を捕捉すると、即座に五本指の手に戻った。

「おやおや。家政婦ロボットさんのお迎えがきたぜ。アンドロイドの通話逆探知モードも進歩したもんだ。それともご主人のアレンジの腕がいいのかな?」

 直人が子供達をかばいながらにやりと笑う。二体のゼロナナハチはそれには答えず、こちらを無機質な目で見つめてきた。

 最近では、人は自分の子供を誘拐されても、警察に連絡することは滅多にない。全て自分のアンドロイドで対処できるからだ。しかもアンドロイドなら、警察のように犯人との交戦や取引などとまどろっこしいことをせず、粛々と問題を解決してくれる。私刑の全てを認めているわけではないが、各家庭の自衛手段としての範疇でなら、警察もそれを看過しているのだった。

「与えられた任務を遂行します。警告します。十秒以内にこちらに子供を渡しなさい。子供を渡さない場合、我々は自衛モードAに移行します」

 子供達がぎゅっと私のボディに体を近づけた。

「穏やかじゃないな」

 ハイデ、と直人が私の名前を呼ぶ。

「はい」

「やっちまえ」

 私は頷いた。子供達とノートを直人に任せ、前に出る。ゼロナナハチは金属音を立てながら、ゆっくりと体を変形させている。自衛モードに入っているようだ。彼女たちの両腕はレイピアのように鋭く尖った形になり、纏う雰囲気はさらに毒々しいものへと変わる。

「自衛モードA、準備完了。任務を遂行します」

 メイド姿の二人の振るう、剣の切っ先がこちらに向かってくる。




 その時、部屋中に、白い紙が舞い上がった。




「!!」

 二体のゼロナナハチは、一瞬視界を遮られたことで動きを止めた。直人によって改造を施された、体内の冷却用ファンを応用して室内に突風を起こした私は、その隙を逃さなかった。狙いを定め、直人お手製のペン型武器を二本放つと、彼女たちのセンサーを破壊して視界を奪う。

「警告・警告・警告」

 本体ボイスとは別の警告音声が鳴り響く。しかし目をやられても、彼女たちは諦めなかった。感熱センサーを頼りにレイピアを振り回し、こちらに襲いかかってくる。私はゴシックドレスの裾をひらめかせ、助走をつけて跳ぶ。ペンを口にくわえ、足を高く蹴り上げる。


 私・ハイデ0500は、物持ちが良いことが自慢だ。


 バキリ。

 折れたのは彼女たちの両腕だった。二人ぶんなので、合計で4本折れたことになる。ボディを大幅に損傷したゼロナナハチたちは、そのままピクリとも動かなくなった。

「よくやったな。記録更新ってとこか」

 直人がのんきにそんなことを言う。

「はい。嬉しいです」

 居ずまいを整えて振り返ると、子供たちがまるで神様でも見るようなキラキラした目で、こちらを見ている。にっこり笑ってみせると、わああっと歓声が上がった。

 昔、ゴミ捨て場で私を拾った直人は、独学で学んだ技術を用い、私に幾らかの改良を施した。そのおかげで、私は自分よりも格上のアンドロイド相手でも、互角に戦えるようになっていた。しかし直人は、その戦闘技術を誘拐した子供に使えとは絶対に言わない。あくまで、アンドロイドにだけ使うように言われている。だから、私たちの誘拐はいつもこんな風に失敗に終わるのだ。

 子供達を家に無事送り届けてから、立ち寄ったコンビニの駐車場で、直人がポツリと言った。

「俺も、昔アンドロイドに隠れて仕置をされたんだ。だから、見てられなくてさ」

 助手席の私は黙って、それを手元のノートに速記する。

 確かに、子供を痛めつけるアンドロイドを数体破壊したところで、すぐ問題が解決するわけではない。それは直人も私もわかっている。オリエンタルリリィ・078型の冷酷さについての批判は高まってはいるが、量産はまだされている。

 しかし、何もしないよりはましだ。

「だからずっとアンドロイドが嫌いだったのに、ハイデを見た時は、なぜか嫌な気持ちがしなかった。なんでだろうって思ってたけど、わかった気がする」

 私はペンを止め、直人を見た。彼は笑っていた。

「俺はお前の、紙とペンだけが世界の全て、って感じが好きなんだ」

 それは一つだけ違う。

 私はこの思いを、心の中だけに書き留める。



 あなたに拾われた日から、私にとって世界は、紙とペンと、それから。

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