コックリさんに飽きた。
斉賀 朗数
コックリさんに飽きた。
「視線を感じるの」
あれから何年も経ったというのに、その言葉を思い出すたびに、
播磨は都市伝説が好きだった。しかし信じてはいなかったので、【飽きた】という都市伝説を試した時も、「もう小栗とは会えなくなっちゃう」などと、酒に酔い、ふざけた声色を使い電話をかけてきていた。またふざけたことを始めたなという気持ちで、聞き流すように小栗は話を聞いていた。
「まず五センチ四方の紙に、三角形と逆三角形を書くの。
酔っているせいか、自身の知識を披露するように播磨は喋った。溜息を吐く小栗。酒に酔うと都市伝説の話をするのはお決まりで、【飽きた】も、もう何度聞いたか分からない。知っている話を何度もされるのは苦痛でしかない。それがいくら恋人という関係であってもだ。
「ああ、知ってるよ」
その言葉を聞いていたのか聞いていないのかどちらかは分からないが、播磨は返事もせずに続けた。
「六芒星の真ん中に、飽きたって書くの。赤いペンで書けば効果倍増らしいから、赤色のペンで書いてるよ」
聞いてもいないことを逐一報告する播磨が、紙にペンを走らせる音がスピーカーから小栗の耳に響いた。
紙とペン。それだけがあれば実行出来る、簡単な都市伝説。しかし実際には、そう簡単に実行出来るものではない。実際には、紙とペン以外にも必要なものが一つある。
「美奈には、恐怖心とかないの?」
「恐怖心より関心とか興味が勝っちゃうかな。そんなことより、あとはこれを持って寝るだけ。朝になって、紙がなくなっていれば成功」
播磨にはそれが備わっていた。そうでないと、ここまで貪欲に都市伝説という社会の闇の入り口を覗き込もうなんて思うはずがないのだから。
「異世界に行っても、ちゃんと戻ってこいよ」
一方で、小栗には紙とペン以外に必要なものが備わっていない。
「私のこと、心配じゃないの?」
スピーカー越しに聞こえる声。そこには僅かに苛立ちが滲んでいたが、小栗はそれに気付かなかった。
「はいはい。心配してるって」
欠伸を噛み締め面倒臭そうに答える小栗。
「優しくないね。三助」
急にしおらしくなった播磨に少し違和感を感じた小栗だったが、播磨は普段からコロコロと表情が変わる節があったので気に留めなかった。
「そんなことないだろ」
「最近ね」
「ん?」
「視線を感じるの」
話がいきなり変えられたことに、小栗はどう答えるべきか悩んだ。
「もういい。おやすみ」
そういって電話は切られた。
ツーツーという音が何度か鳴ったが、今となってはそれに播磨の悲痛な叫びが含蓄されていたのではないかと小栗には思えて、再び心がぎゅっと締め上げられた。
行方が分からなくなる以前から播磨は、誰もいないのに視線を感じると小栗に相談することがあった。とはいえ、それは播磨が端正であるから仕方のないことだと小栗は思っていた。しかしそうではなかったと今は考えている。
播磨の行方が分からなくなってから、小栗は都市伝説について熱心に調べあげた。そこで気になったものが、コックリさんだった。それは小栗自身、馴染みがある――とはいっても、小栗がコックリさんを試したわけではない――都市伝説で、当時学校ではコックリさんが禁止されるほどだった。なぜ都市伝説に興味のなかった小栗にも馴染みがあったかというと、クラスメイトが一人死んだからだ。コックリさんによる、なにかの仕業で。
当時あんなのはただの集団ヒステリーだと考えていた。しかし播磨がいった、「視線を感じるの」という言葉を死んだクラスメイトもいっていたことを小栗は思い出し、あれはなんらかの霊的な力に伴うものではないかと疑い始めていた。
コックリさんは降霊術の一つであるために、周囲の低俗な霊を引き寄せてしまう。そうするとその霊に見初められてしまったものは、霊の存在を感じるようになる。それが視線の正体なのではないだろうか。小栗はそのような仮説を立てた。
仮説というものは、証明されなければいつまで経っても仮説のままである。自分の仮説を証明したい気持ちと証明したくない気持ちが入り乱れる中、小栗は後悔と恋慕の気持ちを溜めていった。
気持ちをいつまでも溜め続けることは難しい。いつしか蒸発していって、気持ちがなくなってしまうか、あるいはどんどん溜まっていった気持ちが心を決壊させて、洪水のように激しさを伴って溢れ出してしまう。小栗は後者だった。止めることの出来ない気持ちは感情を強く刺激した。
小栗は願った。美奈に会いたい。と、強く、強く。小栗を止める者は誰もいなかったし、いたとしてもどうしてそれを止められるというのだろう。
小栗の手には、紙とペンと十円玉が握られていた。
紙の上部中央に、鳥居を簡易的に模した絵。その左側に、はい。右側に、いいえ。鳥居を模した絵の下には右から下に向かって、あいうえお、そして左に一列ずれて、かきくけこという風にひらがなが全て書かれている。
その紙の中央に十円玉があり、その上に人差し指が添えられている。
「コックリさん、コックリさん、どうぞおいでください。もしおられましたら【はい】へお進みください」
指を添えてそういったのは、紛れもなく小栗だ。彼は視線の正体を探る目的と、播磨の所在を探るためにコックリさんを実際に試すことにしたのだった。
小栗は少し緊張していた。いくら都市伝説について調べあげたとはいえ、実際に都市伝説の現場にいったり都市伝説を試すというのは初めてのこと。それが緊張の原因であるように思えるが、実際にはそれだけが原因ではなかった。小栗は播磨と同じように都市伝説を信じてはいなかった。しかし、信じていなかったのは、都市伝説に恐怖を感じていたからだった。都市伝説は、社会の闇の入り口。昔でいうところの、妖怪のようなものである。その時代を生きる人間への、ある種の戒めや教訓と呼ばれるものが形を変えたものであると小栗は考えていた。ただ、そうであれば恐怖を抱くことはないはずだ。それなのになぜ小栗が恐怖を消せないのかというと、もしその戒めや教訓だけではないなにかが、その中に紛れ込んでいる可能性があるのではないかと考えていたからだ。
紙とペンと以外に必要なもの。そこに十円玉を持ち込んだところで、小栗は都市伝説を実行するに値する人物にはなれない。それを思い知らされることになるとは、この時の小栗はまだ知らない。
十円玉が紙の上を動いていく。驚きの表情を浮かべる小栗の人差し指に力は入っていない。しかし十円玉はゆっくりとゆっくりと移動を続け、【はい】に辿り着いた。
小栗は、コックリさんに三つの質問をした。
一つ目は、播磨が【飽きた】を成功させたのかどうか。十円玉は【はい】に進んだ。
二つ目は、播磨が感じた視線は誰のものなのか。十円玉はひらがなの上をいくつか動いては止まってを繰り返した。順番に【わ】【か】【ら】【な】【い】。コックリさんにもわからないことはあるのだと、小栗は少し恐怖を覚えた。それは次の質問の答えに対しても、わからないという回答が返ってくるのを恐れたからだった。
三つ目は、播磨の生死について。
「コックリさん、コックリさん。美奈はいきていますか?」
十円玉が動くことはなかった。
十円玉から人差し指を離して、乱暴に紙をぐちゃぐちゃにすると床に十円玉が落ちた。ちゃりんという音が静かな部屋によく響いた。
小栗はしゃがんで十円玉を拾おうと手を伸ばした。しかし、その手は十円玉を掴む前に止まってしまった。なにかが小栗の視界の端に立っていた。
視界の端にいるなにかの視線を感じ、総毛立つ小栗。振り返る。つもりなのに、体が動かない。
これこそが小栗に足りないものだった。
紙とペンとそれ以外に必要なもの。
それをひしひしと肌で感じながら、小栗はずっと視界の端に立つなにかの視線を浴びせ続けられることになった。とはいえ、小栗は播磨とは違う。その視線に耐えることは不可能だった。
小栗は無様にも、また紙とペンに頼る。
五センチ四方の紙に、三角形と逆三角形を重ねて書く。ダビデの星。本来であれば、これは魔除けの効果を持つ。しかし、時代と共に日本語が変化していくように、都市伝説というものによってダビデの星もまた変化しているのだ。
ダビデの星の中央に飽きたと書くと、目を瞑り眠りについた。なにかの視線を感じながら。
小栗は夢を見た。播磨が優しく小栗を起こし、行方が分からなかった期間がなかったかのように仲睦まじく平穏な日常を過ごす二人の夢。それは一瞬にも無限にも思えるものだった。しかし無限というものは存在しない。
目を覚ました小栗の手に紙はなく、当然ではあるが近くに播磨もいなかった。
ただ視界の端に立つなにかと、その視線だけはいまだに小栗の側から離れてはいなかった。
コックリさんに飽きた。 斉賀 朗数 @mmatatabii
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