潜入ミッションは楽じゃない

@hatomugi_x

第1話

 俺の名はツナオ、32歳。アメリカはニューヨークシティのスラム街でバイオレンスな日々を送るマフィアの1人だ。戦闘も諜報もこなすエリートマフィアとして組織では一目置かれている。

 俺は今、とある辺境の街に潜入している。目的は敵対組織の幹部、"殺戮機構"デイビッドを暗殺する事。そのために俺は、日夜ホテルの一室からターゲットの情報を探っているという訳だ。

 今日も俺は、能天気に街を歩くドサンピン共をホテルの一室から見下ろしていた。



「フン、能天気な連中だ。あそこを歩いてる奴らは全員"自分が死ぬ事"など微塵も考えていないアホに違いない。」

 単眼鏡で街を見下ろしながら悪態を吐く。この街に滞在してから二週間、ツナオは一向に進展しない状況に嫌気が差し始めていた。

「そもそも俺が望んでいたのは、魂がヒリつくような"命"の奪り合いだ。あのデイビッドが暗殺対象と知った時は心躍ったが…こうも成果が無いと、流石にハートが腐っちまう。」

 イライラを反芻したせいで余計にイライラしてきたツナオは、ポケットに入れてあるアメスピに手を伸ばす。


「フゥ—ッ、早いとこニューヨークに帰りてぇな…。」

 行きつけのバーのママ、エリカの顔を思い出しながらタバコを吹かすツナオ。すると、突如PHSの着信音が室内に鳴り響いた。

(これが鳴ったって事は…ボスからの連絡!!もしやデイビッドに関する情報が…!)

「こちらツナオ。要件は?」

「こちらアッシュ。ニシキマグロ、マズイ事になった。」

 相手は俺の同期でプライベートでも付き合いがある"ギロチン"アッシュだった。その慌てた口ぶりが事態の深刻さを物語っており、思わず唾を飲み込む。

「いいか、一度しか言わないからメモを取っておけ。証拠隠滅を怠るなよ、記憶したら胃液にでも溶かせ。」

「オーケーアッシュ。ちょっと待っててくれ。」

 ツナオは机の上に紙とペンを

「ちょっと待って」

 ツナオは引き出しを開け、紙とペンを

「待って」

 ツナオは部屋中を探し回り、紙とペンを

「…」

「ニシキマグロ、早くしてくれ。」

 彼のフルネームはツナオ・ニシキマグロという。"ツナオ"でいいと常日頃から公言しているにも関わらず、皆頑なに彼の事を"ニシキマグロ"と呼ぶ。何故かは分からない。


「…アッシュ、落ち着いて聞いてくれ。この部屋に、紙とペンは存在しない。」

「いや、それは嘘だろ。」

 即答だった。出来ればツナオだってこんな事言いたくなかったが、事実なのだから仕方がない。

「本当だ。現に今お前を待たせている間、俺は部屋中の引き出しを開けて、紙とペンが無いかを探していた。」

「トイレットペーパーがあるだろ。」

「宿内にトイレは無い。」

「お前何でそんな所に泊まってるんだ?」

 お前らが手配したんだろ。そう言いたくなる気持ちをグッと抑え、ツナオは打開策を提案する。


「一先ず、ホテルを出る。流石に街に出れば紙とペンの一つや二つは確実にあるだろう。」

「いや、そこが宿屋ならフロントがある筈だ。お前もチェックイン時に名前ぐらいは書いてるだろう?ニシキ…フフッ、マグロって。」

 なんか普通に笑われたが、事は一刻を争う為ツナオは華麗にスルーする。

「名前は書かなかったぞ。というかフロント自体無かった。」

「そこ本当に宿屋か?」

「だからお前らが手配したんだろ!」

 流石に二回目は我慢できなかった。



 ツナオは取り敢えず従業員に話を聞いてみる事にした。無論、未だ通話中である。

「紙ぃ?馬鹿言っちゃいけねぇ、俺みたいな庶民が持てるような甘っちょろい代物じゃねんだって!文房具屋に行けばあるかもしれねぇけどな!」

「ペンはあるか?」

「んだそりゃ、鳥の名前か?」

 どうやらこの土地で紙は高級品らしい。ペンすら知らない事を考えると、そもそも文字を書く文化が根付いていないのだろう。

「アッシュ、状況は絶望的だ。クソッ…まさかこのご時世に紙とペンを求めて走り回る事になるとはな…。」

「トイレには無かったのか?」

「さっき確認しに行ったが、便器の横にはデカ目の葉っぱが大量に積まれていた。」

「そう…。」


 明らかに気落ちするアッシュをよそに、ツナオは初めから疑問に感じていた事を口にする。

「そもそもだ、絶対メモを取らなきゃ駄目なのか?暗記出来るものなら無理に紙とペンを探す必要も」

「10件だ。」

「多いな!一気に伝える量じゃないだろ!」

「いや本当に、大量の情報が急に飛び込んできたんだ。その全てがデイビッドに関する情報…このままだとお前は…いや、何でもない。」

 束の間の沈黙。

「アッシュ。」

「どうした?」

「俺は、紙とペンを絶対に見つけ出すぞ。」

 ツナオはプレッシャーに弱かった。



「どうやらこの土地で一番金を持ってるのは領主らしい。だが、今俺がいる場所から屋敷までは軽く見積もっても10km離れている…中々のハードミッションだぜ…。」

「いけるのか?ニシキマグロ。」

「やるしか無いだろ。まあ見てろ、中高と長距離走に打ち込み、"デトロイトの回遊魚"と恐れられた、俺の走りをな。」

「んフッ…期待してるぜ。」

『お前水泳部じゃないのかよ』と言いたげな笑い声が聞こえた気がしたが、ツナオは気にしない。

 そして、入念な体操を終えたデトロイトの回遊魚は、領主の屋敷に向かって泳…走り出したのだった。


 屋敷は遠目からでも分かるぐらい豪勢な建物で、驚くほどあっさり私室へと通された。テーブルを挟んで向かい合う形で、領主とツナオはソファに腰かける。

「ホッホッ、儂がこの街の領主じゃ。して…今日はどういったご用件かな?」

「初めまして。私はツナオ・ニシキマグロと申します。本日赴いたのは、領主様が"紙"をお持ちになっていると伺ったからで御座います。」

「おお…紙。うむ、あるぞ。」

「もしよろしければ、それを私めに譲っていただけませんか?」

「構わぬ。少し待っておれ。」


 領主はそう言うと、すぐ傍で待機させていたメイドに紙を持って来させた。それはどこからどう見ても一冊のノートであり、表紙にはデカデカと"Campus"の文字が書かれていた。

「…ありがとうございます。それと、もう一つお願いがあるのですが。」

「おお、何でも言いたまえ。」

「ペンは、ありますか?あればいただきたいのですが…。」

 領主の顔が僅かに険しくなる。

「ペン、か。それはこの家の家宝に当たるもの。そう簡単に譲り渡す訳にはいかぬ。お主の覚悟を、見せてもらおうか。」

 一丁のリバルバー式拳銃が卓上を滑り、ツナオの手元で止まる。

「これは…。」

「ホッホッ、弾倉六つに対して弾は五発。ペンが欲しければ1/6…引き当ててみせよ。」


「…」

 顔を伏せるツナオを見て無理を悟る領主。だが、彼は分かっていなかった。

「…分かりました。」

 確かにツナオはプレッシャーに弱い、だが

「やらせていただきます…!」

 決して"臆病チキン"ではないのだ。


 弾倉を回転させ、撃鉄を起こす。銃口を側頭部に押し当てたツナオの額には汗が浮かんでいた。そして

 —————カチン

 ツナオは、見事1/6を引き当てたのだった。


「お主の覚悟、しかと見せて貰ったよ。これが、約束のペンだ。」

 渡されたのは、何の変哲もないノック式ボールペンだった。

「"フリクション"といったかな。自分で筆跡を消す事が出来るらしい。」

「そうですか。」

「"フリクション"だぁ…!?」

 突如、ポケットの内側から声が聞こえてきた。まだ通話中だった事をすっかり忘れていたツナオは、慌ててアッシュを黙らせようとする。

「馬鹿喋るなアッシュ!色々ややこしくなる!」

「てめぇ…俺からの大事な言伝を、あろう事かフリクションでメモしようってのか!あんなもん『肝心な時に何の役にも立たない文房具』の筆頭だろうが!!何考えてんだ!!」

「お前こそ何考えてるんだ!少なくとも今この状況では何よりも役に立つだろ!!!」

「ホッホッ、若いのぉ。」

 領主の私室で発生した二人の言い争いは、最終的に『ツナオが酒を奢る』という形で幕を下ろした。


 領主の屋敷を後にする。言い争っていたせいか既に日は落ち、辺りは闇に包まれていた。

「取り敢えずメモを取ろう。明かりはライターの火でどうにかなる。じゃあアッシュ、頼む。」

「ああ。まず、暗殺対象はデイビッドじゃない。」

「何…どういう事だ!?」

「…」

「アッシュ?」


「悪いな、ニシキマグロ。」


 パパパパァン

 周囲に銃声が響く。ツナオは痛みを知覚するより先に、全身が熱くなっている事を感じた。そして糸が切れたように、その場に倒れこむ。

「暗殺対象は、お前だ。」

 電話越しに聞こえるアッシュの声は、今までに聞いたどの声よりも冷たかった。

「う…ぐっ…」

「まだ息があるのか、じゃあついでにいい事を教えてやる。デイビッドはこちらが送り込んだスパイだ。お前が向こうの人間である事も、全て筒抜けだったんだよ。」


 ツナオは痛みにのたうちながら状況を整理する。

(ここは街の外れ、加えてこの闇の中では人目は期待出来ない。屋敷での口論は日が沈むのを待ってたのか。そうなると、不自然なまでに緩かった領主も身内である可能性が高い。)

「よくもまぁ…俺一人のためにここまで…」

「虫一匹を全力で踏み潰す。だからこの組織は生き残ってこれたんだよ。」

「チェック、か…」


 諦めの表情を浮かべたツナオを、拳銃を構えた男達が取り囲む。

「分かったか、お前はずっと泳がされてたんだよニシキマグロ。」

「ニシキマグロ、正直お前とは仲良くやっていきたかった。残念だよ。」

「ニシキマグロ…ニシキマグロォォ!」

「言いたい…だけだろお前ら…」


「…じゃあな、。お前の事は…別に嫌いじゃなかったぜ。酒は…あの世で奢ってくれ。」


 最期に聞いたのは、その場に居ないアッシュの声だった。

 —————プツン



 彼らが歩むのは、陰謀渦巻くマフィアの世界。その中で生き残っていく為には———


 ———誰よりも"臆病チキン"になるしか無いのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

潜入ミッションは楽じゃない @hatomugi_x

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ