拙者のお尻の穴をお知りのあなた

沢田和早

拙者のお尻の穴をお知りのあなた

 張州ちょうしゅうの豪族尾田おだ家は小領主ながら源氏の流れを汲む由緒正しき家柄である。

 当主の尾田信永のぶながは智謀と武勇に優れた名将として、遠く京の都までその名は知れ渡っていた。もちろん武士のたしなみとして文武両道だけでなく、男と女どちらもイケる両刀使いでもあった。


「ああ、御屋形おやかた様は今宵もまたこの乱丸らんまるを呼んではくださらなかった」


 乱丸は襖の陰で涙をぬぐった。

 尾田家に仕えて五年、信永の小姓となって一年、今日に至るまで夜伽を命じられたことは一度もない。他に三名いる小姓たちはいずれも御屋形様に呼ばれ一夜を共にしているというのに、乱丸だけはただの一度もその任を与えられてはいなかった。


「何故です、何故乱丸にだけこのような酷い仕打ちをなされるのです」


 薄い襖の向こうからは信永と小姓の息遣いが聞こえてくる。小姓の尻を責める信永の姿を想像しただけで、乱丸は嫉妬で気が狂いそうになる。

 一年間辛抱したがもう耐えられぬ。我が尻にも御屋形様の寵愛が欲しい。乱丸は悩んだ末に家老の釜衛門かまえもんに相談した。


「なるほど。そなたの悩みはよくわかった。しかし思い悩んでいるだけでは何も変わらぬ。まずは己自らが動くのだ。そなたの尻が他の小姓より如何に魅力的であるか、それを御屋形様に知らしめるのだ」


 釜衛門の言葉を受け、乱丸は己の尻の研鑽に励んだ。毎日米のとぎ汁で尻を磨き、形良い尻を作るために尻体操を行ない、尻肉を分厚くするために馬の尻肉を食らう。血の滲むような努力を続けた結果、見事な尻が出来上がった。


「この尻を見れば御屋形様も責めずにはいられなくなるだろう」


 ある日の早朝、庭で素振りをしている信永を見掛けた乱丸は、石につまずいた振りをして豪快に転んでみせた。


「あいたた」


 乱丸の着物の裾は派手にまくれてしまった。もちろん、己の尻を見せるためにわざとまくったのだ。


「大丈夫か、乱丸……やや、おまえふんどしを締めておらぬではないか」

「あ、はい。忘れましてございます」


 もちろん嘘である。完成した己の尻を見せつけるために、敢えて褌を締めずに参上したのだ。


(ふふふ、究極美とも言えるこの生尻なまじりを見れば、如何に御屋形様とて放ってはおけぬはず。今宵こそ御屋形様の一物いちぶつによって我が尻は歓喜の悲鳴をあげるのだ)


「風邪をひくぞ。早く戻って締めるがよい」


 信永は素っ気なくそう言うと屋敷へ戻ってしまった。思いもせぬ反応を見せられ、乱丸は呆然となった。


「な、何故だ。何故これだけの生尻を目にしながら、あそこまで平然としていられるのだ」


 一気に失意のどん底へ突き落される乱丸。しかし諦めはしなかった。

 それからも乱丸は信永に対して事あるごとに尻を見せようとした。例えば農民から桃が献上されると、


「御屋形様、今年初めての桃でございます」

「ほう、美味そうだな」

「拙者の尻も桃の如く丸々として美味そうにございます。(ペロン)」

「これこれ、このような場所で尻を出すものではない」


 とたしなめられて不発に終わる。

 あるいはまた、馬の遠乗りで疲れた信永から腰を揉むように頼まれると、


「御屋形様、尻が随分と凝っておりますね」

「うむ。今日はいささか無理をし過ぎた」

「拙者の尻は餅のように柔らかでございます(信永の手を取り己の尻に当てる)」

「ふむ、確かに柔らかい。が、女子おなごの尻の柔らかさには勝てぬな」


 といなされる。


「駄目だ。何をやっても我が尻は相手にされぬ」


 もはや乱丸に打つ手はなかった。悶々としながら過ごす日々が続いた。

 そんなある日、転機が訪れた。信永と釜衛門の会話を耳にしたのだ。


「ところで殿にとっての名器とは如何なるものでありましょうや」

「やはり締め付けであろうな。きつく締まる穴でなければただの穴に過ぎぬからな」


 信永のこの言葉を聞いた時、乱丸は己の間違いにようやく気がついた。そうだ、尻の形ばかりに気を取られ穴を忘れていた。御屋形様が重視するのは見てくれではなく実用性。形が良くても穴が役立たずでは一文の価値もない。


「よし、尻の穴を鍛えよう」


 その日から乱丸は尻穴の鍛錬に励んだ。苦しい修行の日々であった。時には穴の力が抜けず脱糞できない朝もあった。が、ようやく満足できる尻穴が出来上がった。


「御屋形様、見ていただきたいものがございます」

「どれ、見せてみよ」


 屋敷の中庭に立った乱丸は尻穴に細い人参を突っ込んだ。


「ふん!」


 中腰になった乱丸が尻を振ると、立木に当たった人参は真っ二つに折れた。


「おう、天晴あっぱれじゃ!」


 信永は大喜びだ。勝った、と乱丸は思った。これだけの芸当ができる尻穴の持ち主はおるまい。ついに我が尻穴にも御屋形様の寵愛が注がれる日が来たのだ。乱丸は歓喜に震えた。が、


「しかしこれではただの見世物に過ぎぬな。乱丸、人参ではなく刀を振ることはできるか」

容易たやすいことにてございます」


 意外な申し出に驚きながらも、乱丸は言われた通り脇差を尻穴に差した。


「よし。ではその巻藁目掛けて尻を振ってみよ」

「ふん!」


 乱丸が尻を振ると巻藁は一瞬で両断された。素晴らしい切れ味だった。


「これは使える。乱丸よ。今日より剣の稽古に励め」

「ははっ!」


 まったく想定外の成り行きであった。しかし主君のめいには逆らえぬ。

 乱丸は小姓の任を解かれ、尾田家随一の武力を誇る喝家かついえの指導の下、剣術の鍛錬に励むこととなった。もとより努力家の乱丸である。腕前は見る間に上達した。


「右手、左手、尻、三刀流の完成じゃ!」


 ついに喝家から免許皆伝のお墨付きをもらった乱丸は、信永と共に戦場いくさばへ出陣するようになった。敵兵は乱丸を怖れた。


「なんじゃ、あの尻刀は。あのような剣術は見たことがない」

「化物じゃ。信永は尻に手を持つ化物を呼び寄せたのじゃ」


 乱丸の働きによって尾田家の勢力は拡大した。もはや豪族ではなく小大名と呼ぶに相応ふさわしいまでになった。


「我が尻穴の威力は十分におわかりになったはず。ああ、御屋形様。早くその猛々しい一物で我が尻穴を責めてくださりませ」


 戦いの日々の中でも乱丸は待ち焦がれていた。信永の寵愛によって我が穴が満たされる日がきっと来る、そう信じて尻刀を振るい続けていたのだ。

 そんなある日、


「我が尾田軍は遠征することと相成った」

「ついにこの日が来たか!」


 乱丸は歓喜した。これまでのいくさは全て領地の近隣で行なわれていた。戦いは数刻で終わり、夜は必ず屋敷へ戻るのだ。だが、遠征となればそうはいかない。正室も小姓もいない寺や陣屋で休むことになる。


「遠征先では御屋形様の夜伽をする者はこの乱丸しかおらぬ。此度の機会、絶対にモノにしてみせる」


 乱丸は嬉々として出陣した。最初の夜は寺で休むこととなった。乱丸自ら申し出る。


「今夜は少々冷えまする。添い寝いたしましょう。この乱丸を湯湯婆ゆたんぽ代わりにお使いくださりませ」

「うむ。良き心掛けじゃ」

(やった!)


 いそいそと信永の傍らに身を横たえる乱丸。そのまましばらく待つ。信永は何もしてこない。焦れったくなった乱丸が誘い水を差す。


「御屋形様。拙者の尻は今宵も桃尻でございます」

女子おなごならば安産間違いなしのデカ尻であるな」

「御屋形様、拙者の尻穴の締まり具合は天下無双でございます」

「さもあらん。でなければあのように刀を振ることなどできぬ。さあ、無駄口はやめてそろそろ寝ろ。明日も強行軍なのだからな」

「御屋形様……」


 遂に乱丸の心は折れた。それ以上、言葉を続けられなかった。

 これだけ尻を磨き、穴を鍛え、同じ床に枕を並べているというのに、信永は指一本触れようとしないのである。乱丸の頬に涙が流れた。


「……どうした乱丸、泣いているのか」

「はい、いえ、泣いてなどおりませぬ、ヒック」

「泣いているではないか。何があった。申してみよ」

「御屋形様……」


 乱丸は全てを話した。小姓の中で己一人だけ夜伽をさせてもらえなかったこと。釜衛門に相談して尻を磨いたこと、尻穴を鍛えたこと、それだけの努力をしても寵愛を注いでもらえぬ不遇を、乱丸は切々と話した。


「なるほど。よくわかった」


 話を聞き終えた信永は深いため息をついた。


「乱丸、おまえの苦しみを察してやれなかったわしを許してくれ。ただ、おまえは考え違いをしている。確かにわしは小姓と夜伽をした。しかし小姓の尻を責めてはいない」

「……それは、どのような意味ですか」

「わしが責めるのは女子おなごだけ、正室か側室のみだ。小姓と夜伽をする時、責めるのはわしではなく小姓。小姓がわしの尻を責めているのだ」

「な、なんと! では拙者が夜伽に呼ばれなかったのは……」

「おまえが粗チンだからだ。あのように貧弱な棒で尻を責められても気持ちよくはないのでな」


 なんという勘違いをしていたのだろう。まさか信永がではなくであったとは。それならば尻に興味を示さないのも当たり前だ。


「拙者はなんと愚かなことをしていたのであろうか。御屋形様の性癖を勘違いして無駄に尻を鍛えていたとは」

「いや、無駄ではないぞ。その証拠に三刀流なる剣技を身に着けたではないか。乱丸、わしとの房事を望むのであれば今度は棒を鍛えてみよ。あれほどまでに見事な尻穴を育て上げたのだ。三国一の棒を作り上げるくらい容易たやすいはず」

「ははっ! この乱丸、本日より棒の鍛錬を開始いたしまする」


 乱丸と信永は固く手を握り合った。主従を超えた愛がそこにはあった。


 それから一年も経たぬうちに、張州はある武人の話題で持ちきりになった。股間の前後に二本の刀を生やした姿、それはあたかも一面四臂の軍神のようであった。


「ははは、我こそは四刀流の使い手、信永様の寵愛を一身に受けた尾田家の乱丸じゃ! 腕に覚えのある者は掛かってくるがよい。前からでも後ろからでも相手になってやろうぞ!」


 今日も乱丸は四本の刀を振り回し戦場を駆け巡る。あたかも主君信永の尻を責めるが如くに。

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