桜の魔女と悪の科学者は永遠にわかり合えない

冬野ゆな

第1話

 魔女という存在は、いつの世も恐れられてきた。

 だが、物事にはいつも例外というものがある。


 佐倉桃花は、例外的に正義を行使する「桜の魔女」として有名だった。

 なぜなら――この街には、悪の科学者がいるからだ。


 *


 地鳴りのような音が響き渡ると、商店街に緊張が走った。

 あちこちからあがる悲鳴や戸惑いは、すぐさま轟きに掻き消された。細く尖った鉄の塊が轟音を立てて地面に突き立つと、石畳にひび割れが走った。

 蜘蛛の脚だ。

 しゅうしゅうと立ち昇る土煙の中から、人体よりも巨大な蜘蛛のロボットが音を立てて現れる。

「な、なんだこいつ!?」

 蜘蛛型ロボットのちょうど頭の部分が開くと、コックピットが現れた。そこには白衣に身を包んだ男が座っていた。

 顔の半分を覆うゴーグルからはぼさぼさの髪がわずかに覗くばかりで、ほとんど顔は見えない。だがその姿だけで充分だった。


「やぁ諸君! ご機嫌麗しゅう!」

「ドクター・紫電!」と声が揃う。

「な、何をしに来たんだ!?」

「ハッ、我が最高傑作。このスパイダーボットの実力をお披露目に来ただけさ、フハハハハハ!!」


 そう叫ぶと、手元の操作パネルに手を叩きつけた。低い機械音が唸り、指先のパネルから次々に光が走ると、蜘蛛の脚が大きく持ち上がり、ガシャガシャと店舗にぶつかりながら前身を始める。


「うわぁっ!?」

「さぁ退け雑魚ども!潰されたい奴だけ前に出ろ!」

「でもなんで蜘蛛!?」

「流行ってるだろう、最近! 映画とか!」

「結構どうでもいい理由だった!」

「ほざけ!」


 通行人のツッコミをものともせず、スパイダーボットは商店街を無尽に蹂躙する。店の前の商品がワゴンごと吹き飛び、店舗の看板が引き剥がされ、敷き詰められた古い石畳が割れていく。屈んだ女性の頭の上を蜘蛛脚が悠々と通過し、逃げ遅れた男が路地に転がり込んだ。蜘蛛はやがて建物に脚をひとつかけふたつかけ、よじ登っていく。

「うわっ!?」

「な、なんてことを……」

「シンプルにすごい」

 人々の口に登る声に気を良くしたのか、紫電の笑い声が響いた。

「フハハハハ!!まだこんなものではないわっ!」

 紫電が操作パネルに手を掛けようとしたそのとき。まだ季節外れの桜の花びらが一枚、目の前を通過していく。

 ひらひらと落ちてくると、人々の顔が変わった。

 同じ桜色のリボンが風に舞い、何者かが空から近づいてくる。風が渦巻き、桜の花びらとともに誰かが降りてくる。紫電はニタリと笑った。


「来たな! 桜の魔女ぉ!!」


 風がやみ、竜巻のような桜の花びらが散ると、特徴的な三角帽子が現れた。黒いシンプルな魔女衣装に似つかわしくない桜色は、ゆらゆらと風に乗っている。箒に腰掛けて桜色を引き連れた魔女に、わっと人々の目が惹きつけられる。


「大丈夫か?」

 魔女が尋ねると、それこそぱぁっと桜が咲いたように人々の顔が変わる。

「ここは任せろ。キミたちは避難を!」

 よく通る声に、住民たちは次々と頷いて走り出す。

 その様子を苦々しげに見ていた紫電は、ギリリと歯ぎしりをした。魔女はようやく紫電に視線を向け、口の端をあげた。


「やあ、ドクター・紫電! これまた派手なものを作ったじゃないか!」

「はっ。今日こそお前の余裕ぶった顔に泥を塗ってやるわ! このスパイダーボットに勝てると思うな!」

「キミはもうちょっとその技術を良い事に使いたまえ」

「抜かせ!」


 コックピットが素早く閉じた。歪曲した硝子が覆い、巨大な目となる。

 その真下の牙を持つ口元が光ったかと思うと、白い糸が噴出した。魔女に向かって一直線。

「おっと」

 魔女は箒に乗ったまま糸を避けると、間髪入れずに吐き出される糸から逃げるように、商店街を駆け抜けていった。右に左に、時に上下へ移動しながら糸を巧みに避けていき、操縦しながらスパイダーボットを引き連れていく。

「蜘蛛は口から糸を出すもんじゃないぞ!」

 答えは無かった。

 猛スピードで駆け抜けていく魔女とスパイダーボットを、人々が横に避けて目で追った。

「はっや……」

 思わず誰かが呟いた言葉すら、二人には届いていなかった。


 やがて狭い商店街を抜けると、魔女は箒に乗ったまま上空へと飛び上がった。それを追い、スパイダーボットが器用に商店街の壁を登り、屋根の上まで現れる。

 二人の眼差しが交錯すると、屋根の上はたちまち戦場と化した。スパイダーボットの糸が魔女を捕らえんと吐き出されると、魔女はひょいと華麗にそれを避ける。花びらとともに風が渦巻くと、蜘蛛脚が近くの風の中心部を貫いて霧散させた。魔女がスパイダーボットに近づこうとすると、蜘蛛の脚が飛び回る魔女を貫く槍となって飛行を邪魔した。ぴっ、と小さく魔女の服や髪が揺れ、箒を貫かれそうになって離れるのを繰り返す。糸があちこちに張られ、やがて足場が増えていく。

 魔女の目がやや細まりながら、空へ近づいてくる蜘蛛脚から離れようとしたときだった。

 ぐるんと箒に糸が巻き付き、ぴんと張りつめた。


「捕まえたぞ桜の魔女!」


 ニタリとコックピットの中で紫電が笑う。


「そうかな……?」

「何?」


 箒に巻き付いた糸を、そのままぐんと引っ張る。すると、蜘蛛の足がきゅっと纏まった。魔女に導かれるように吐き出された糸は、自らの脚に絡みついていたのだ。


「んなっ!?」

「そのスペースだと後ろが見えないのが残念だったな」


 魔女は箒の上へと器用に立ちあがる。


「それじゃあ――」


 人差し指に導かれ、どこからともなく桜の花びらが風に乗る。次々にスパイダーボットの前面に貼り付き、コックピットで電子パネルを叩きつける紫電を隠していった。花びらは細かい関節部から中に入り込み、しゅうしゅうとやがて内部から煙があがった。

「はっ!?」

 コックピット内も電撃が走り、ばちばちと異常事態を伝える。


「私の勝ちだ」


 桜舞い散る暴風に乗り、ピンク色の塊が空からたたき落とされていった。それは下から戦いを見学していた野次馬からもよく見えたのだった。


 それからしばらくした後。

 地上では桜の花びらが川を染め、その発生源からガコンと音がした。


「ぐえっほ、げほっ! ごはっ!」


 水浸しになった男が咽せながらコックピットから脱出する。


「……お、おのれ桜の魔女……」


 自らの糸でぐるぐる巻きになったメカは、水でトドメを刺され、しゅうしゅうと煙をあげている。その姿は死んだ蜘蛛そっくりである。そこまで同じにしなくても、と言いたくなるようなできばえだ。


「派手に壊しやがって……! こいつを作るのに一体いくら掛かったと……!」

「具体的にいくらなんだい?」

「あ!?」


 紫電が振り返ると、ふわりと足が床についたところだった。

 箒から降り、堤防から降りて紫電に歩み寄る。桜色のリボンがたなびく魔法の帽子を取ると、長い桜色の髪の毛が一瞬にして黒い色に変わった。黒い魔女衣装も桜の花びらと一緒に風に溶け、ごく普通の少女が現れる。


「懲りないな、キミも」

「……ふん」


 紫電もまたぼろぼろの白衣を脱ぎ捨て、頭の部分を覆っていたメカメカしいゴーグルを外す。どこからどう見てもただの少年だ。


「お前は魔女だろうが。そして俺様は科学者。なら、答えはひとつ!」


 桜の魔女は――もとい佐倉桃花は、記憶の中の紫電を思い返す。



 ――おまえ、魔女なんだってな。魔法使えるんだろ? 見せてみろよ!

 ――だめ? なんで?

 ――魔法は正しく使わないとだめって言われてる……?

 ――よくわかんないけど、俺が悪いやつならいいのか?

 ――俺が悪いやつなら、おまえは正しく魔法を使うんだろ!?



「……そうだな」


 生意気だとか、魔女のくせにとか、怖いとか気持ち悪いとか、そういうことを言わなかったのは紫電だけだ。


「キミとは一生わかり合えないかもしれないな」

「ハッ! わかってるじゃないか。そのツラ絶対歪ませてやるからな、覚悟しておけよ」

「はいはい、怖い怖い。それじゃあ今日のところは――」


 桃花は口の端をあげて勝者の笑みを浮かべながら、自分の幼馴染みに手を伸ばす。


「一緒にお茶でもどうだい。奢るよ」

「……ふん、まあいい」


 ぱちんと手を叩くようにその手を取る。

 桃花が引っ張り上げてやると、紫電は立ち上がった。ばしゃり――と水が跳ねる。


「でもその前に片付けと着替えだな」

「勝者の特権と義務をそんなことに使うとはな」

「……悪事は計画的に、だよ。紫電」

「ぬかせ」



 ――ちくしょー、また負けかよお!

 ――……? なんでお前がそんな顔してんだよ。

 ――勝ったんだから勝者の顔をしろ! ほら、帰るぞ!



 悪の科学者はいつも後ろを見ない。

 そこだけは譲らずに、魔女の手を引いて少し前を歩くからだ。手が揺れても、握り返しても、そっと寄り添っても見ない。


 だから彼は、本当の勝者の顔を――桜の花びらが舞い散る、桃花の嬉しそうな顔を見たことはないのだった。

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