かさねる

南風野さきは

かさねる

 小刻みな振動がふくらはぎをふるわせていた。底として続いている振動に、時折、大きな揺れが重なる。それは規則的にぼくを揺さぶり、その度に、この車両がたどっているはずの線路と枕木を思い出させた。

 ふたりがけのシートが向かい合っているボックス席に、ぼくはひとりで腰掛けていた。他に乗客はいないようだ。たとえ乗客がいたとしても、それに気づくことができないくらい、この車両は静かだった。

 車窓は夕焼けを切り取っていた。もしかすると朝焼けなのかもしれなかった。黄金に朱を流しこんだかのような、鋭い色彩が満ちていた。やわらかな赤の蕾が藍色を食みながらひらいたかのような、淡い色彩が満ちていた。

 いまは、いつなのだろう。

「きみ、暇でしょう」

 ぼんやりとしていたところに、声が叩きつけられてきた。

 顔をあげると、向かいの席に、セーラー服の少女がいた。いつの間にか相席の乗客ができていた。 

「暇つぶしに付き合ってよ」

 唐突な申し出ではあったが、下車駅に着くまですることはなかった。いや、ないわけではないはずだ。参考書をめくりなり、やっていた方がいいことややらなければならないことはあるはずだった。だが、今は何かをしようとするよりも、何かからもたらされることに身を委ねることの方が、心地よかった。

「暇つぶしって、なにをするの?」

「おしゃべり」

「得意ではないよ」

「そんなことはどうでもいいわ。はなし相手になってくれれば、それでいいの」

 少女は身を乗り出してきた。

「きみはなにをしていたの?」

「電車に乗っていた」

「どうして?」

「家に帰るためにだよ」

「おでかけでもしていたの?」

「今日は学校。それから、塾」

「学校帰りで塾帰りということ?」

「そういうこと」

「今はなにをしているの?」

「きみの暇つぶしに付き合っている」

「なら、きみはこれからどうしたいの?」

 いきなりのことであることを差し引いても、これからに水を向けられて、ぼくは黙ってしまった。

 少女が目を細める。

「この電車に乗って家に帰る。それはきみにとってのほんとう?」

「ほんとうだよ」

「きみはわたしの暇をつぶしてくれている。これはほんとう?」

「あんたが暇をつぶせているのなら、ほんとうなのではないかな」

「きみが家に帰ろうとしているということは、そらごとではないの? それは、ほんとうに、きみのほんとうなの? 誰かのそらごとを、ほんとうと見なしているだけではないの?」

「もちろん、ぼくにとって、ほんとうだよ」

「そう。じゃあ、わたしときみがしゃべっている。これは、そらごと?」

「そらごとではないのではないかな。こうして向き合っているわけだし」

「このおしゃべりは暇つぶしではなかったとわたしが宣言したら、暇つぶしであったおしゃべりは、どこに行ってしまうのでしょうね」

 車窓が切り取る景色も、少女の頬も、車両がかしぐに任せてかたむく吊り革も、すべてが紅に染まっている。

「帰路に着いているということがきみの思いこみであるとするのなら、きみのほんとうはどこにあるのでしょうね。ほんとうにそらごとを重ねたらそらごとになって、そらごとにほんとうを重ねたらほんとうになるのかもしれないけれど、そらごとにそらごとを重ねたら、なにになるのだとおもう?」

 問われていることを噛み砕いている間に、少女は声を重ねてきた。

「最初のそらごとが本物のほんとうを上塗りしたとするでしょう。上塗りしただけではなくて、それがそらごとであることすらわからなくなっているとするでしょう。そこに二番目のそらごとが重なって、最初のそらごとを食い尽くすとしたら、そこにあらわれるのは、そらごとと呼べる代物なのかしら」

 ぼくは車窓を見つめる。

「事実とは見なされるかもしれないけれど、真実ではないのではないかな」

 窓硝子のなかで、少女がきょとんとした。

 がたり、と、車体が跳ねる。

 鈴をころがすような笑声が響いた。

「もしそうであるとするのなら、そらごとを重ねてみるのも、面白いかもしれないわね」

 朝景色とも夕景ともつかないもののなかを、電車は走り抜けて行く。

 ぼくらを染めているあかいろは、艶やかで、鮮烈で、まばゆいながらもかげっていた。


 冷気に頬を張られて、目が覚めた。

 駅で電車を待っているうちにうたたねをしてしまったらしい。

 向かい側のホームで自販機のあかりが明滅している。暗さに慣れていない目にとって、その明滅はひどく白く、光に刺されているようだった。

 吐く息が白い。ここに満ちている暗さは、青く、深い。

 線路のゆくさきを見つめて、ぼくは鞄を抱き寄せた。

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かさねる 南風野さきは @sakihahaeno

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