大事なものは2番目の引き出しに

葵月詞菜

第1話 大事なものは2番目の引き出しに

***


「大事なものは2番目の引き出しに入れるんだ」


 当時大好きだったアニメのヒーローがそう言っていたから、彼もそれを信じて大事なものは2番目の引き出しに入れていた。


***



 薄暗い廊下に、微かな光源を反射してキラリと光るものを見て、滝谷弥鷹たきやみたかは足を止めた。


「……鳥? カラス?」


 じっと目を凝らして少し二メートルくらい先にいるそれを観察する。先程キラリと光ったのはカラスの円らな瞳だった。そして、小首を傾げるような仕種に今度は嘴に銜えているものが鈍く光った。――あれは何だ?

 カラスは暫くこちらを見ていたが、やがて興味を失くしたのかタッタッタッと軽やかな足取りで書棚の向こうに消えて行った。


「何だあのカラス……っておい、ちょっと待て」


 ここはとある私設図書館の地下書庫だ。どうしてこんな所にカラスが入り込んでいるのだ。


「えっ、ちょっ、ど、どうしよ」


 追いかけるべきなのか、それとも誰かに報告すべきか。

 弥鷹が迷っているうちに、すぐそばの扉が開いた。そこからひょっこり顔を出したのは小学校中学年くらいの男の子だ。


「サクラ」

「どうしたの弥鷹君」

「さっきそこに、カラスが」


 ここの図書館の所有者の孫で、作業部屋に入り浸っているサクラにとりあえず報告する。

 するとサクラは驚くこともなく、困ったように息を吐いた。


「たまにあるんだよねえ、お仕事に飽きて脱走するのが」

「は?」

「まあとりあえず部屋に入りなよ」

 

 サクラに促されて小さな作業部屋に入った弥鷹は、いつものソファーに腰を下ろした。

 サクラは事務作業用の机の隣に立ち、少し屈んで机の下にある三段の引き出しを覗き込んだ。


「あー、やっぱりいなくなってる」

「いなくなってる? 何が」


 サクラは2番目の引き出しを指差した。


「弥鷹君が見たカラスは、この引き出しを守る『鍵』なんだ」

「ちょっと意味が分からないんだけど」


 またこの少年はわけの分からないことを言い出した。これまでにも突拍子のないことを言い出す彼であったが、今回もすぐに順応することはできそうもない。

 深呼吸して心の準備をする弥鷹に構わず、「もういい加減慣れなよ」とサクラは思い遣りの欠片もない。振り回すお前が言うな、である。


「弥鷹君、この引き出し、上から順に開けてみて」

「?」


 サクラに言われた通り、三段の引き出しの一番上に手をかける。鍵はついているが、かかっていないのであっさりと開いた。

 続いて二段目。こちらは鍵がついていないので、すんなり開くのだろうと思われた。

(あれ?)

 開かない。ガチャガチャと、まるで鍵がかかっている時にするような引っかかった音がする。

 不思議に思いながらも三段目を引っ張ると、こちらも鍵のない引き出しはスムーズに開いた。


「何で二番目の引き出しだけ開かないんだ?」

「だから、その『鍵』がさっきのカラスなの。だからあのカラスが戻ってきてくれないと、この引き出しは開けることができないんだよ」

「はあ……はあああああ!?」


 思わず頷いて、やはり変だと妙な声を上げてしまった。サクラは呑気にお茶を淹れ始め、弥鷹に湯呑みを渡してから自分もデスクチェアに座った。


「大丈夫だよ、定期的に仕事に飽きて脱走するんだ。今までの最高記録は一週間と半日だったかなあ。この図書館のどこかにはいるはずなんだけど」

「何が大丈夫なのか全然分かんねえよ」


 別にその引き出しが開かなかろうが弥鷹にはどうでも良かったが、問題はそういうことではない。

 この図書館でサクラと一緒にいると、時々不思議なことが起こる。前は地下にいたはずなのにどこか別の空間に出て、森を散策して青年の姿をしたフクロウに出会った。

(もういっそのこと深く考えない方が良いのか……)

 サクラが言うように、いい加減このおかしな現象に慣れた方が良いのだろうか。

 弥鷹は考えるのをやめ、改めてサクラに尋ねた。


「ここには何が入ってるんだ?」


 わざわざ鍵をかけるくらいなのだから何か大事なものが入っているのではないだろうか。それも一段目の普通の鍵付きの引き出しではなく、彼言うところの不思議なカラスの鍵を使うほどの。

 サクラは湯呑みをテーブルの上に置いて、ふふっと楽しそうに笑った。


「僕の大事なものが入ってる引き出しなんだ。何が入ってるかは弥鷹君にも内緒」


 そう言って唇の前に人差し指を立てる。


「何だそれ。でもカラスが時々脱走するんじゃ、そう簡単に好きな時に開けられないだろ」

「その時は餌でつるんだよ」

「餌?」


 サクラは三段目の引き出しを開けて、長方形の缶を取り出した。蓋を開けると、中にはキラキラと輝く光り物が詰まっていた。


「これを……そーれい!」


 サクラは部屋の扉を開くと、廊下に向かってそれらをぶちまけた。光りながら宙を舞ったそれらは、バラバラと音を立てて床に散らばった。

 次の瞬間、煌めいていた床に黒い影が過ぎった。サクラが信じられないくらいの素早さでそいつを――あのカラスを捕獲する。


「はい、一丁あがり~」

「……ちょろ過ぎるだろ」

「この作戦は後片付けが面倒なことだけがネックなんだよねえ」


 サクラの両手にがっちりと捕らえられたカラスはきょとんとした目で弥鷹を見ている。自分が捕まったことを認識しているのだろうか?

 カラスの首には細い紐がかかっており、その紐の先には鈍く光る小さな鍵がついていた。弥鷹が初めに見た時にカラスが銜えていたものはこれだったらしい。

 サクラは部屋の中に戻ると、例の引き出しの前に屈んでカラスの嘴を2番目の引き出しを突かせた。途端、ポンッと軽い音を立ててカラスが消える。代わりに、2番目の引き出しの右端にカラスを象った細工付きの鍵穴が現れていた。

 サクラが手の中に残ったひも付きの小さな鍵を、その鍵穴に差しこんで回す。

 カチリと音がして解錠されたのが分かった。


「と、いう感じ」

「……なるほどな」


 サクラが2番目の引き出しを開いて見せる。内緒と言っていた中身が見えたが、そこにあったのは薄汚れたノートと、少し日に焼けたフォトブックだった。

 これがサクラの大事なものなのだろうか。

 弥鷹が何かを尋ねる前にサクラは引き出しを閉めてしまい、結局その機会を逃す。


「でも正直、一番上の普通の鍵でも十分だと思うんだけど」


 弥鷹は心の中で思ったことを告げる。

 なぜにあの脱走するカラスを鍵にしているのか。やはり余程大事なものがしまわれているのか。

 するとサクラは大真面目な顔で言った。


「大事なものは2番目の引き出しに入れるものなんだよ、弥鷹君。昔、教えてもらったんだ」



***


 弥鷹は高校入学を機に、転勤の多い親と離れて餅屋を営む祖父母の家に世話になっていた。

 サクラのいる図書館を出て家に辿り着いた時にはすでに入り口の暖簾が外され、硝子戸も閉められていた。しかし磨り硝子越しに、中の灯りがぼんやりと漏れている。

 試しに硝子戸に手をかけると、ガラリと音を立てて横に開いた。


「あ、ミカちゃん、お帰り」

「ナギ?」


 団子と饅頭がいくつか残っているだけのショーケースの前に立っていたのは、幼馴染の立花凪穂たちばななぎほだった。弥鷹が中学で転校するまで彼女は同じマンションのお隣さんで、この春高校で再会した。


「お母さんのお遣いで大福買いに来たの。ここの大福おいしいもんね」

「そうか、それはどうも」


 作っているのは弥鷹でなく祖父母なのだが、嬉しいことには変わりないので礼を言っておく。


「ミカちゃんは今帰り?」

「ああ。ちょっとサクラのとこ寄ってて」

「サクラってあの小学生の男の子?」

「そう」

「あんたたちホント仲良いわねえ」


 凪穂は少し呆れを含んだ口調で言った。確かにこうも頻繁に兄弟でもない小学生と遊ぶ――正確には振り回されている――高校生はあまりいないだろう。一応言っておくと、弥鷹に他に高校の友達がいないとかそういうわけではない。

 しかし最近は、サクラと一緒にいるのも少し楽しいと思い始めていたりもする。今日みたいにおかしなことに遭遇したり巻き込まれたりするけれども。

 弥鷹はふとショーケースの横にある備品入れの棚に目を遣った。上半分は観音開き戸になっていて、下半分は小さい引き出しが四つと大きい引き出しが二つついている。

 無意識に、上から二番目の引き出しを引っ張っていた。

 中には様々な色のセロファンに包まれたラムネが入っていた。そう、昔から店のこの引き出しにはお菓子が入っているのだ。幼い頃、お腹が空いたときは真っ先にこの引き出しを開けていた。

 それを見ていた凪穂が、思い出したように言う。


「そういえばミカちゃん、まだ宝物は2番目の引き出しに入れてるの?」

「え?」


 それはサクラのことだろ、と思わず言いかけてやめる。凪穂は懐かしむように小さく笑った。


「ええー、もう忘れたの? 『大事なものは2番目の引き出しに入れるんだ』ってよく言ってたじゃん」


 弥鷹の脳裏を、彼の言葉が過ぎる。


『大事なものは2番目の引き出しに入れるものなんだよ、弥鷹君。昔、教えてもらったんだ』


 サクラはそれを、誰から教えてもらったのだろう。

 凪穂は記憶を手繰り寄せるように、うーんと顎に手を遣って目線を上向ける。


「あれ、何かのアニメのヒーローが言ってたんだっけ? ミカちゃんそれ信じて真似してたんだよ」

「……そうだったっけ?」

 

 全く記憶にないのだが。しかし幼馴染の彼女が言うのだからそうなのだろう。良くも悪くも幼稚園からの腐れ縁の仲だ。


「はいはい、お待たせしました。大福ね」


 店の奥から袋を持った祖母が出て来て凪穂に手渡す。凪穂は嬉しそうに受け取り、挨拶をして帰って行った。


「弥鷹、店の鍵閉めといてくれる?」

「ん、分かった」


 弥鷹は硝子戸がちゃんと閉まっていることを確認し、鍵が脱走していないことにほっとしながら錠を下ろした。

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大事なものは2番目の引き出しに 葵月詞菜 @kotosa3

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