パンデミック・エネミー・ナンバー・ツー

かきはらともえ

『パンデミック・エネミー・ナンバー・ツー』


     ●


 ある日のことである。

 倉庫整理をしていた男が、倒れた。

 ひと目見ただけで、高熱であるとわかる状態だった。発見した男は、すぐに、その男を工場内にある医務室に連れていった。

 四〇度の高熱に加えて、筋肉痛のような痛みと頭痛、更には嘔吐感と寒気を訴え、呼吸が極めて不安定で荒いというものだった。


 この倒れた男は、のちに新種のウイルスによって冒されていたことが判明するが、このときは『季節外れのインフルエンザ』ということになった。


「念のために」

 と、ドクターが患者を隔離したことで感染の拡大は防げた。

 ドクターがこれらの診断に要した時間は、発見されてから一時間のことだった。

 極めて迅速な対応に、スタッフ間では称賛された。


 しかし、同時に。

 ここまでの流れでいくつかの不可解な点が浮上する。


 まず、感染者が倉庫で倒れたときに発見した人物が、ほかならぬであったことに加えて、ドクターは安易に感染者に近づかなかった。


 まるで、男が感染者であることがわかっているような振る舞いである。

 そう、わかっていた。

 いや、それは正確ではない。


 推理することができたというべきだろうか。


 感染者が働いていたこの工場の■■グループは、一般的には食品工業の工場である。それは事実である。しかし、その■■グループのもうひとつの側面は、兵器開発である。

 化学兵器や生物兵器の開発を行っている。

 専らは化学兵器だが、人里離れた土地に位置する■■グループのこの第三工場は、生物兵器などを倉庫で管理していた。

 とてもじゃないが、これらの兵器を開発している工場とは思えない粗さが目立つ。

 感染者が整理していた倉庫には、生物兵器が保管されていた。

 それを、防護服を着用せず、ただの作業着で扱っていた。

 わかっていれば、そんなことはしない。この感染者は、ここが『そういう場所』であることを知らされていない。

 この第三工場で働く九割がこの事実を知らない。


 ドクターは、残る一割の人間である。


 だからこそ、ドクターはウイルス感染である可能性を考慮した行動を取れた。とはいえ、この倉庫で管理されている三十トンのウイルスは、広域に感染することを考慮してデザインされたものではない。地域を絞って確実に殺害するための、ウイルスである。


(……空気中での生存能力は極めて弱く、感染者の体液や血液が、体内に入ることで感染する。加えて感染者を、急速に弱らせて衰弱死させる。潜伏期間は二日から三日)


 あれから二日経った。

 ドクターは自室にあるパソコンのモニタに表示されている情報を確認する。

 ドクターの迅速な行動で、ほかの医療関係者への拡大もなく、加えて、上層部の動きによって感染者は病院に移ったことになっていて、現在、あの感染者のことを知るのは、このドクターのみである。

 ドクターは、別の文書ファイルを開く。


(……『α型ウイルス感染者には下記に該当する抗生物質の投与を行い、容態への変化及び経過を観察し報告せよ』と)


 既にモルモットから動物、加えて人体実験も済んでいるであろうα型ウイルス。

 事故とはいいえ、研究対象が惜しいということなのか。

 いや、本格的に調査するならば、もっと人を増やすだろう。


(僕に一任しているのは、どういうつもりなのだろうか)

 煙草の煙を吐く。


(α型ウイルス――確か、通称■■■■だったかな)


 人工的な、デザインされたウイルス。

 それが、表に出て流行すれば、それはもう。


(――新種のウイルス、といっても十分だよな)


 煙草の火を消した。

「…………」

 パソコンを操作して、メールを開く。

 感染者の倒れた倉庫での被害と感染拡大に関する件だった。

(倉庫のほうは現在調査中。当日、感染者が整備していた区画にある物品からは漏れなどは確認されていない。…………あの感染者以外にも感染者らしい人物はいない、と)

 パソコンを閉じた。


     ●


 感染者の元へ向かう。

『治療』と銘打った『観察』の続きだ。

 感染者の病室にやってきた。

 防弾ガラスウィンドウに立ち、マイクを通して病室に音声を届ける。


「――■■さん。調子はどうですか」

『ああ、先生……』

 人工呼吸器の中に備えつけられたマイクが音声を拾う。

『随分と、調子がいい、よ……。熱も下がっている……』

「それはよかった」

 そんなわけがない。

 感染者の声は小さく、吐息のようなものだ。運び込んでから四十八時間、繋ぎっぱなしの心電図も通常な数値を映し出したことは一度もない。熱も三九度から一度も下がっていない。

 点滴でなんとか栄養供給は補っている。

 解熱鎮痛薬で誤魔化しているに過ぎない。


『先生が、あのとき見つけてくれなければ……』

「…………」

 確かにあれは偶然だ。

 本来は、もっと事情を知らない『死んでもいい人間』が担当する見回りだったのだが、遅刻してきて、『事情知る者同士』で押しつけあってゲームに負けた。

 それで倉庫にやってきたら、倒れていた。


「■■さん。僕はただ通りかかっただけです」

 ただの偶然だが、あのとき、もしもドクターが発見していなければ、もっと対応が遅れて感染は拡大していただろう。

 ドクターは、防護服を着用する。

 空気のシャワーを浴びて、紫外線処理を行って、隔離室に這入る。

(きっと、■■さんは気づいているんだろうな)

 もう自分が助からない、と。

 だが、そのことで罪悪感が芽生えることも、何かしらの感情が生まれるほど、まともな人間性をこのドクターは、もう持ち合わせていない。

 慣れた手つきで、指定されていた抗生物質の接種と行おうとしたときだった。

「…………!」


 血まみれになっていた。


 服が部分的に、赤黒く変色していた。

 袖をまくると、腕には真っ赤な丘疹ができていた。そのいくつかが潰れて、出血している様子だ。今朝、点滴をしたときにはこんなものはなかった。


「■■さん! あなた、指先に感覚はありますか?」


 手を握るが、握り返して来ない。

『……そういえば、昨日から痺れていて、感覚がありません……ね』

「――――」


 いつもどおり、最低限度の治療をしてドクターはすぐに部屋を飛び出した。

 採取したウイルスと、上層部が送ってきたデータ。

 それぞれの症状から、構造を見返した。今まで『同一のもの』であるという前提で行動していた。


 これがもしも、


 データと、患者の症状――そして、すべての諸々を改めて見直した。調べ直した。

 調べていると、いつの間にか翌朝を迎えていた。


 そこでやっと気づいた。

 …………


 丁度、そのタイミングだった。

 ドクターの部屋に電話があった。どうやら倉庫の調査が終わったらしく、調べた結果――何の異常も見受けられなかったとのことだ。

 となると。

 あの感染者は、どこでウイルスに感染した?

『患者に聞いてみる』とだけ告げて、電話を切った。


 今までは、この感染者が表に出れば工場そのものに調査が這入る恐れがある。そうなったときのリスクを考慮して、感染者をこちらで抱え込んで、事故を揉み消そうとしていた。だからこれまではデータにあるものの経過を診るだけだった。


 しかし。

 これが、事故による感染でないならば。


 話は別だ。


 これは。

 正真正銘の、新種のウイルスだ。


     ●


 それから、一週間。

 これまでとは違う献身的な治療が始まった。


 私利私欲に塗れた、治療が始まった。


 上層部には、虚偽を報告した。

 感染者は、物品を誤って破損させ、中にあったウイルスに触れたことで感染。よって潜伏期間を経過して二日後に発症。感染者は、その物品を焼却物に紛れ込ませて処分した――と。


 これで、あとは自分が好きなように調べることができる。

「――■■さん。こんにちは」

『…………』


 もう、感染者は喋らない。話せない。

 経過を調べるため、血液採取を行った。

 もう、両腕は動かない。血液を採取する。感染者は、ひたすら虚ろだ。もはや元気はない。

 もうじき死ぬだろう。


「――まあ、死んでもほかに誰かで調べればいいか」


 ちょっとした独り言だった。

 ウイルスのサンプルは沢山手に入った。この感染者一号が死んでしまったなら、ほかの誰かに感染させて調べればいい。

 なんたって倉庫事故を理由にすれば、いくらでも感染者を人為的に作れる。


 じゃあ、先生で調べなよ


「え?」

 声が聞こえた気がした。

 その声に反応した頃には遅かった。


 ――


 を、


「がっああああ――!」

 咄嗟に振り払った。

 腕が、痛い。まずい、まずいぞ。このウイルスが、未知であって、投与する薬が効かないのは知っている。

 注射器が、間違いなく――


「うわああああああああああああああああああああああああ」

 絶叫するドクター。

 そのドクターの耳に言葉だけが届く。


『――――ここが普通じゃないのは、みんな知っている』


 いいや。

 違う。

 これは人工呼吸器に備えられたマイクが拾っている音声だ。


『それでも、俺たちが働いているのは、そうしないと生きていけないからだ』


 ベッドに弱々しく、そして勇ましく倒れている患者に。

 恐怖を覚えた。


『先生があのとき、見つけてくれなければ――』


 こんな目に遭わせたお前を殺すことなんてできなかったんだから。


 その言葉を最期に。

 感染者一号は息を引き取った。


     ●


 その年、とある発展途上国で感染爆発が起き、三十万人に及ぶ死者が出たという。感染源とされる■■グループ第三工場へ調査が這入ったところ、■■グループの実態が明らかとなった。


 この一方で、ひとりの英雄譚が語らえることになる。

 ひとりの医師のことだ。


 ひとりの勇敢な医師の献身的な治療によって、最初の感染者による感染拡大は阻止できたが、その医師は悲しいことに治療中にそのウイルスに感染し発症してしまったという。医師は感染後、なんとか拡大を阻止しようとするも、すべて意味をなさなかった。


 一番目の感染者を止めることはできたが。

 二番目の感染者は止めることができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パンデミック・エネミー・ナンバー・ツー かきはらともえ @rakud

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ