KAC2: おやすみ、■番目

鍋島小骨

おやすみ、■番目

「持ち場に案内するね」


 眼鏡を掛けた技師はチョコレートをかじりながらそう言った。


「大体はコスパ考えて一体、金や心配の尽きない方々は二人以上注文する。ここでは発注受けたら作って保管、必要になった客から連絡があれば出庫。必要なくなりゃ廃棄。君がやるのはその廃棄手続き」


 昔は一体一体葬式の真似事もしてたみたいだけど今はコストカットうるさいし作業は至って事務的だから、と技師はだらだら喋りながら廊下を進む。

 地下深くにあるこの複製工場の廊下は、どこか薄暗くて人の神経を逆撫でする雰囲気に満ちている。


 ここは、原本オリジナルの身体に何かトラブルが起きた場合の部品取り用、あるいは全身ホールで交換に使われるクローンの、発生、生育から保管、廃棄までを一貫して取り扱う管理施設だ。

 個人という概念は時代の中で徐々に拡張された。今ではオリジナルから計算機上にコピーされて動かされる人格もオリジナルの人権の一部を期限付きで引き継いで個人の継続を認められるし、脳に対する全身移植の実現を機に『親から貰った身体』意識も急速に薄れてクローンボディの利用が飛躍的に増加した。定期預金や不動産を持つようにクローンのスペアボディを持つ人々が珍しくない時代がやって来ているのだ。

 クローン側の人権はどうなるんだとかそういう古典的な論争については、私は心底興味がない。保護団体は何のかのと活動してはいるが、そうした人々の中にも密かにクローンボディを自分の治療や延命に利用している者が常にいて、時折ゴシップ紙にすっぱ抜かれている。誰も身綺麗ではなく誰も無罪ではないし、考えるだけ無駄だと思う。より強く倫理的であろうとして自分の苦痛や死を許容する寛容さは私にはない。


 というわけで私は、廃棄が決まったクローンボディの登録抹消処理担当職員に採用されてこの工場にやって来た。面接官曰く、採用の決め手は倫理観が程よく薄く同情心も無さそうなところ、だそうだ。こうした工場の従業員が保管中のクローンに感情移入して脱走を手引きするような例は後を絶たない。何なら保護団体の人間が活動歴を隠蔽して従業員になり、クローンたちを逃がそうと画策することさえ珍しくはないらしい。

 その点私は満点に近い、と口の軽い面接官は言った。

 私はかつて、保護団体の手引きで脱走したクローン体に殺されかけ、脳だけを残し他のすべてをクローンボディに交換する全身移植を受けて生き延びた。クローンに対する憎悪や忌避感がありそうで、同情心はなさそう。その点がよかったのだと。

 確かに、複製工場に勤める人間には自身がクローンボディを利用した者が多いという。肉を食う奴が食肉加工品メーカーに勤めてるみたいなものか。……ちょっと違うか。


 じゃあここで手順通り入力さばいてくれればいいから、と通された小部屋は廊下よりは明るく清潔そうで、教わったことといえばマニュアルファイルの在りかだけ。開いてみると作業はまことに単純なものだった。原本オリジナルが死んだクローンの情報が自動的に届くので、それを順に確認して廃棄コードを入力する。

 この仕事をすぐやめてしまう人は、確認が嫌なのだという。廃棄コードを通したあと、そのクローン体が薬を打ち込まれ死ぬまでをリアルタイムで見届けることに耐えられないらしい。死んだら椅子ごと炉へ送り、役所に提出する書類を作成する。

 初日は三十六体廃棄した。特に問題はなかった。




  * * *




 一年ほどが経ったある日、出勤するとあの技師がいて、今日はいつもの事務部屋じゃない所に来てくれ、と言われた。

 技師の後について、どこか薄暗くて人の神経を逆撫でする雰囲気に満ちたあの廊下を進んでいく。かなり深部まで行ったところである部屋に招き入れられた。


「ちょっとここで待ってて」


 技師はそう言って部屋を出ていく。ドアが閉まる。と同時にと気づく。

 ラッチの音にもうひとつ重なっていた。

 鍵?

 違和感が高まる。小さな部屋を見回す。一人掛けのソファ。天井にスピーカーとカメラ。壁に刻まれた溝。

 ぶぶっ、と雑音がして、やがて天井からあの技師の声がした。


『やあ。座ってていいよ』


「おい、ここは何だ。仕事道具も何もない」


『うん、仕事はもういいよ。君は優秀だった。一年間ありがとう』


 クビか?

 一瞬ぞっとしたが、それよりも私はあることに気付き始めていた。

 クビなら就職活動をしなければならない。ここに採用された時のように。けれども、それをどうやっていたのか思い出せない。

 ……いや、面接はした。その記憶はある。自分が脱走クローンに殺されかけ、全身移植を受けた話を。

 

 ここの求人をどこで見つけてどこで面接した?


『……書き込み実験も、記憶視野制限実験も、いいデータが取れた。特に、書き込む記憶レシピによって一定の思想性を持たせられる点は物凄くいいよね。君、クローンに対して全く心が動かなくて最高の出来だった。今回のレシピ優秀だったわ。俺天才』


 感情が混乱している。

 この不安は何だ。

 この恐怖のようなものは?


「待ってくれ」


 私はカメラに向かって声を上げた。


「ここで何をする気だ」


『ん? 君の運用終了』


 スピーカーの向こうからかすかなキータッチの音が聞こえる。技師が何か入力している。


『あれ。……あらあら、そう。偶然もあるもんだ』


 何か呟いている。紙を破る音。いつもの板チョコか。


『……じゃあ、一緒にやっちゃおうね』


 何を、と問う間もなく壁が溝から割れて各パーツを移動させ。

 これは見たことのある部屋。


『まあひとつ手違いっちゃ手違いがあって、君は二番目だったんだよね』


 これは私が、

 今日まで毎日見てきた廃棄処理室だ。




  * * *




 今回、二番目を使ってしまったのは失敗だったが、これは発生ログから個別カルテをつけた担当者が適当な仕事をして二番目と三番目の登録順が逆になっていたせいだ。何にせよ三番目以降のボディはキープされていたのだし、そいつが書類の上では二番目だったのだから、手続き上は問題ない。

 それに、今朝原本オリジナルが死んだと連絡があった。だからクローン体はすべて廃棄処分だ。死体を炉に放り込んだあとになってから些細な登録順のことなど判明しようがない。

 薬物で死んだ元事務員を含む二番目から五番目のクローン体すべての死を確認すると炉に送り、廃棄届けを作成する。

 そうしているうちに、次の事務員の脳への書き込みと記憶視野制限処理が最終段階に入っている。また記憶のレシピを変えた。今度はどうかな、と楽しみになる。

 そうそう、勤務時間外に寝ていてもらうクレイドルも設定を更新しないと。毎晩そこで記憶を整理整頓し、自分が常に工場の中にだけいて通勤などしていないということを忘れてもらうための。


 クローンボディ利用は増えたが元々の少子化が進み、政府も民間もコストカットに邁進する。人手不足と人件費削除のスパイラル。そんな中で、複製工場に死蔵されているクローン体の脳が労働資源としてされたことは当然の流れだったと言えるだろう。

 人権のない労働力である。最高じゃないか。しかし下手に反抗されたり悲観されたりしても手間なので、あたかも原本オリジナルであるかのごとき記憶を書き込んで短期運用する手法が確立されてきた。

 俺は元々クローンのメンテナンス技師だが、同時に書き込み記憶デザイナでもある。今ではそちらの仕事の方が実入りがいいくらいだ。まあ、ざっくり言うと強めに傷付けた方がうまくいく。人間は感情を燃料にして稼働する傾向がある。


 辛気くさい廊下をくねくね曲がりながら進み、所長と待ち合わせした部屋をノックした。入れ、と声がするのでドアを開ける。ああ待ってたよ、ちょっとそこに座っててくれ、と死角から声がして、俺はいつものように一人掛けのソファに腰を下ろした。こんな時、所長は大体、隅っこのデスクで書類を片付けている最中なのだ。


「今日はどうしました。事務員の入れ換えなら問題なく済みそうですよ」


 視線を向けるでもなくポケットから出した板チョコを剥いて齧り割っていると、所長はまるでいつもの雑談のような口調で言った。


『でも二番目使っちゃったでしょ』


 バレてんのかよ。でもまあ実務上問題はないでしょ?


『君これ初めてじゃないんだよ。記憶消しても消しても必ずやるの。何度か観察したけど毎回やる。これね君、わざと二番目使って発生ログの方を順番改竄してるのよ。気付いてないよね』


「は」


『で調査の結果あれでした。うちで発注した書き込み記憶デザイナがクローン保護団体の草だったわ。クローン脳の労働活用に反対する過激派だよね、運用ミスの種植えといて記録取って、杜撰運用とか言って後でドカンとすっぱ抜こうってんでしょ』


 俺は初めて周りを見回す。一人掛けのソファ。天井にスピーカーとカメラ。壁に刻まれた溝。何を問う間もなく壁が溝から割れて各パーツを移動させ、見たことのある部屋が完成する。今まで毎日、事務員に確認させていたのと同じ性質の部屋。


「待って。所長、」


『時間ないんだよ。外注先全部、思想の洗い直しだもん』


「俺は」


 俺は何人目なんだ。原本オリジナルじゃなかったのか。

 クローンにクローンを運用させていたのか。


 スピーカーの音に細かなノイズが乗った。

 キータッチの音が聞こえる。

 それからアルミ箔を剥くような音。


 俺の手足はもうソファに拘束されていた。

 背もたれの中から薬物の針が打ち込まれる。


「あんたが俺の原本オリジナルなのか!」


 絞り出した声に、笑ったような声で回答が降ってくる。


『そうだよ。やっぱは殺しやすいね、不気味だもん。……君が二番目なら僕が死ぬまで大事に取っといたんだろうけど、まあ生まれる順番選べないよな。おやすみ、■番目』


 何番目と言ったのかはもう聞き取れなかった。

 打ち込まれた薬も、俺を殺すのか眠らせるのか分からない。

 けれども今のこの記憶と意識がここで終わることは確実で。

 ならばこれが俺の死なのだろうと思う。



 二番目じゃなかったばっかりに。






〈了〉

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