受験界の西横綱
明石竜
第1話
東大。
ご存知、日本の大学受験における最高峰だ。
学力は伴わずとも、目指そうかなっと一度は考えたことのある高校生も多いだろう。
また、東大に合格出来る学力がじゅうぶん備わりながらも、自由の学風などに魅かれて二番手の京大を第一志望で狙う受験生も少なからずいるだろう。
「ぅおーい、謙一ぃ。マグロの目ん玉ケーキ食ってみろ。山中伸弥先生のように賢くなれるぞう」
「秀樹祖父ちゃん、気持ちはありがたいけど、そんなもん食ったくらいで賢くなれたら誰も苦労はしないから」
四月下旬のある月曜日。
大阪府内のとある文教地区で生まれ育ち、この春高校二年生になった柏岡謙一(かしおか けんいち)は、今朝も相変わらず祖父の秀樹から特製天才メニューを振舞われた。
「オウマイゴッド、僕、夜なべして一生懸命研究して作ったのにぃ」
「……秀樹祖父ちゃん、毎朝、毎朝いい加減にしてくれ」
祖父のいつものこの行為にほとほと困り果てている謙一だが、祖父のことは幼い頃
から秀樹祖父ちゃん、と親しみを込めて呼んでいる。
明治十年代以降、柏岡家で生まれ育った男、昭和以降は女も皆、東京大学に次ぐ入学難易度と謳われる京都大学に進学していた。五人兄弟姉妹の末っ子として育てられた秀樹祖父ちゃんの三人いる姉も皆、京大卒である。
ところが、戦前昭和十年代生まれの秀樹祖父ちゃんがそれを途切させてしまったのだ。
彼の一学年上の兄が京大へ進学して以降今に至るまで六〇年以上、柏岡家から親戚一同含めても京大に進学出来た者はただ一人として現れていない。東大は尚更である。
秀樹祖父ちゃんは三浪もしたものの京大には己の学力が及ばず、最終学歴は神戸大卒。それでも世間一般的にはじゅうぶん高学歴といえよう。しかし秀樹祖父ちゃん自身は柏岡家の一員としての引け目を感じていた。そんな彼は息子、謙一の父に当たる振一郎と、他二人の娘に京大進学の夢を託したのだが……三人ともダメであった。
二浪経験を経て岡山大学卒業後、私立中高一貫校の理科教師となった振一郎は、息子の謙一を京大に是が非でも進学させようなんていう考えは全く持たなかったのである。
それでも振一郎は謙一に一生懸命勉強して将来は国公立大、出来れば大学院まで進んで公務員か教職員か研究者になって、知的で心豊かに有意義な人生を歩んで欲しいという主旨のことを、彼が小学校に入学した頃に伝えていた。
謙一は父のその考えを特に疑問を持つことなく受け入れ、それなりに真面目に勉学に励んで来た。現に彼は今、東大・京大・その他国立大医学部現役合格者を毎年コンスタントに輩出している公立進学校に通っている。さらにその学校の中でも成績上位層が多く集う理系特進クラスに二年次から在籍している。
秀樹祖父ちゃんは、そんな謙一に京大進学を大いに期待しているのだ。謙一を京大に合格させてやりたいという思いを、柏岡家の他の誰よりも強く持っている。
ただ、謙一の今の成績では京大合格はとても厳しい状況にあった。そして謙一自身も、べつに京大を狙おうなんて現時点で考えてはいないのだ。
「世間では東大ばかりが持て囃されておるが、僕は京大こそが日本一天才秀才の集う大学じゃと思っておる。理学部は特にな。なんといっても日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹を輩出したからのう。僕の名も湯川秀樹から付けられたのじゃ。振一郎は朝永振一郎、おまえの名は福井謙一から付けたのじゃぞ。三人とも全て京大卒のノーベル賞受賞者なのじゃ。ちなみに僕が生まれた当時は、湯川さんはまだノーベル賞を取っておらんかった。彼が取ったのは昭和二四年じゃからのう。ただ、当時から有名な物理学者で、ノーベル賞受賞はかなり期待されておったぞ」
これが、秀樹祖父ちゃんの持論である。
「秀樹祖父ちゃん、その話、もう百回くらいは聞いてるから」
この話が出る度、謙一はこう対応している。
ちなみに、謙一には姉の聡実もいるのだが、前述の通り京大受験に失敗し、今は私大文学部生だ。
☆
その日の夜、柏岡宅。
「聡美よ、仮面浪人して、もう一度京大を目指してみてくれんかのう」
「嫌っ。うち、今の大学でじゅうぶん満足してるもん」
「聡美ぃ、もっと目標は高く持たんといかんぞ」
「お祖父ちゃん、うち、お祖父ちゃんが勝手に京大に願書出したこと、まだ怨んでるよ。予想通り二段階選抜で足切りに遭っちゃったし。うち、センターの自己採点結果見て、国立は滋賀大か大教大受けるつもりだったのに。そこでも合格は難しいかなぁっと思ったくらいなのよ」
「京大は二次の配点の方がずいぶん高いから、センターの点が悪くても二次で挽回すれば理論上は合格出来ると僕は思ったのじゃ。聡美なら受かると確信しておったぞ」
「センターが悪かったら二次なんかもっと点数取れないに決まってるでしょ」
リビングでの聡美と秀樹祖父ちゃんとのやり取り。険悪モードではなく二人ともほんわかとした雰囲気だった。
「父さん、べつにそこまで京大に拘らなくてもいいじゃないか。自分に合った大学へ進むのがベストだろう」
振一郎はにこにこ笑いながら秀樹祖父ちゃんに意見してあげる。
「そうだよねーお父さん。というか、お祖父ちゃんが受験して入ればいいじゃない。大学入学に年齢制限はないんだし。うちと同じ学科にも八四歳のお婆ちゃん女子大生がいるよ」
聡美は大いに同意し、秀樹祖父ちゃんにこう勧めてみる。
「……そうしたいのはやまやまなのじゃが、僕、もう年じゃから脳の衰えがな。若い頃ですら無理じゃったし」
秀樹祖父ちゃんはそう呟くとリビングを後にし、二階へと上がっていった。
「ぅおーい、謙一ぃぃぃ。絶対、京大に受かってくれぇぇぇ。我が家で、京大に受かりそうなのはおまえしかいないんじゃぁぁぁー」
そして謙一の自室に上がり込み、悲しげな表情で頼み込む。
「はいはい」
机に向かって英語の宿題をしていた謙一は呆れ顔で生返事し椅子から立ち上がり、秀樹祖父ちゃんの背中を押して廊下へと追い出した。
こういったことはわりとよくあることなので、謙一も対応に慣れていたのだ。
柏岡家の夜は、今日も平和に過ぎていく。
☆
翌朝、まもなく午前八時を迎えようという頃。
「ぅおーい、謙一ぃ。昨日のやつよりもDHAとEPAをたっぷり含ませたぞう。脳の働きを活性化させる糖分も豊富じゃ」
「いらねえ。秀樹祖父ちゃん、食べ物を粗末に扱っちゃダメだろ」
謙一はやはり秀樹祖父ちゃんから
特製天才メニュー(今日はタラとニシンとサケとイワシのすり身をチョコレートケーキにブレンドさせたもの)を振舞われ、即効生ゴミ入れに捨てる。秀樹祖父ちゃんの研究意欲ますます高まる。
次の日も、
「ぅおーい、謙一ぃ。今日は新緑シーズンにぴったりの特製メニューじゃぞ。食べてIQをぐんぐん伸ばせ」
「だからいらねえって」
謙一は特製天才メニュー(鯛とカサゴのペースト状すり身入りのチョコバナナシェイク)を振舞われた。
今回はコロイド分散体なので生ゴミ入れではなく流しに捨てる。
秀樹祖父ちゃんの研究意欲ますます高まる。
こうして柏岡家の日常は、今日も平和に過ぎていくのだった。
受験界の西横綱 明石竜 @Akashiryu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
近況ノート
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます