二番手の老将軍

左安倍虎

王翦、項燕の首と語らう

 もはやそうして首だけの姿となり果てた貴公にも、まだ聞く耳というものがあるだろうか。いや、首などただの肉塊であろうが、いまだ貴公の魂魄はこの首の近くをさまよっているのであろう。わしに大敗したことをさぞ無念に思うておるであろうからな。なればこそ、儂は貴公の首をこの寝所へ持てと言いつけたのだ。従卒は怪訝な顔をしておったが。


 なに、大した話があるわけでもない。ただ一言貴公に礼が言いたくてな。儂のような老い先短い年寄りが、こうして生きて貴公の首と向かい合っていられるのも、ひとえに貴公──大楚にその名を馳せた名将項燕──のおかげなのだから。貴公があの若く盛んな李信の力を削いでくれたからこそ、儂はこうして呑気に酒など飲んでいられるのだよ。どうだ、貴公も一献やらぬか。

 

 どうやらまだ納得がいっていないようだな。なぜ我がお前のような老いぼれに敗れたのか、その詳細を聞かせろ、と言いたげだ。そうだな、少し言葉が足りなかったかもしれぬ。勝敗など時の運であろうが、あえて言うならば、儂が二番手であることに徹したからであろう。一番手とは、貴公もよく知るあの李信だ。実は儂とあの男とは浅からぬ因縁があってな、今より三年の昔、儂は燕の国都、けいを攻め落とした。この後、遼東へ落ちる太子を追い、大いに破ったのが李信というわけだ。老いぼれた儂に代わり、若い世代が台頭してきたことを秦王は大いにお喜びであったよ。だがこの勝利こそがあの男の転落のはじまりであることを、当人は知る由もなかったであろう。


 燕が平定されると、いよいよ天下に残る大国は楚と斉の二国のみとなった。この二国を平らげれば、秦の天下統一は為る。このとき楚を攻める大将としては、李信がもっとも有望視されていた。老いさらばえた儂にはもう出番などない、というのが衆目の一致するところであったのだ。そこで儂は一計を案じ、李信をしばしば碁に誘った。定石は押さえているものの粘り腰に欠け、激しやすい性質を儂は李信の手筋に見てとった。そしてある対局の最中、「楚の国力をどう見るか」とかれに問うてみた。すると案の定、「秦の精兵が二十万もあれば、鎧袖一触できましょう」などと明らかに楚を見下した答えが返ってきた。燕での勝利にすっかり奢っていた李信は、完全に戦というものを舐めきっていたのだ。


 なれば、儂のすべきことはかれをさらに奢り高ぶらせることだ。傲岸で激しやすい李信の人柄を知っていた儂は、「貴様ごとき豎子こぞうに戦の何がわかる、二十万で楚を下せるはずがあるか」と怒鳴ってみせた。するとあの若造は「そんなに楚が怖いのですか、麒麟も老いては駑馬に劣るとはこのことでございますな」と青筋立てて罵倒してきた。実にわかりやすい男だ。儂が李信の経験不足を突けば突くほど、痛いところを突かれたかれは必死に反撃してくる。これで李信はもう後には引けない。いよいよ軍議が催され、秦王に楚を討つにはいかほどの兵が必要か、と問われた李信は、あの対局の場と同様に二十万で十分、と声を張ったものだ。対して六十万は必要、と答えた儂に、李信は秦王とともに軽侮の目をむけたものであったよ。ついにこの男も耄碌したか、とな。


 かくて、あの青二才と貴公とが対峙することとなったわけだ。あとは知ってのとおりだ。李信は平輿と郢で楚を破ったが、そこまでだった。城父の地で蒙恬もうてんと軍を合わせた李信はすでに得意の絶頂にあった。もっとも、それは儂が蒙恬に李信の将才を絶賛するよう言い含めておいたせいでもあるのだが。勝利を重ね油断しきっていた李信の前にあらわれた貴公は秦軍をさんざんに破り、秦は七人もの都尉を失うほどの大敗を喫した。そして李信に代わり、いよいよ二番手の儂の出番となったわけだ。ふたたび表舞台に出るために、儂はまず李信の信用を失墜せしめる必要があった。そのために貴公の手を借りたのだよ。

 貴公は知らぬだろうが、秦王はたいそう疑り深い方でな。この国で生きながらえるには、熟慮に熟慮を重ねる必要があるのだ。儂は白起や呂不韋の轍を踏むわけにはいかないのだよ。楚を討つのに六十万の兵が必要であることを儂は知っておったが、六十万といえばほぼ秦の全兵力に等しい。それほどの大軍勢を最初から儂が率いておれば、奴が王になるのではと痛くもない腹を探られよう。なればこそ、まずは李信に一番手を務めてもらったのだ。李信が敗れ、二十万では楚を討つに足りぬと知れれば、儂が六十万の兵を率いる理由ができる。二番手は一番手の者に地ならしをさせ、平らとなった道を悠々と歩いていけばよいのだ。そしてようやく、儂は貴公に挑むことになった。


 儂が楚に勝利できたのは、儂が塁壁のうちに閉じこもって戦わず、戦に倦んで退却をはじめた貴公の軍の背後を突いたからだ──と後世の者は言うであろうが、果たしてどうであろう。楚の敗因は、貴公こそが楚の唯一の人材、すなわち一番手だったことにあるのではないか。もし貴公の後ろに多くの人材が控えていたなら、貴公の失敗に鑑み、二番手、三番手の者が儂と良い勝負をしたかもしれないではないか。李信の後から儂が出陣したように。しかし、すでに楚は滅びた。いずれ貴公の名を掲げ、楚の復興をたくらむものが出てくるやもしれぬが、それはいつの日になろうか。秦王には子孫のため美田を賜るよう願い出ておいたから、願わくはこの王翦おうせんの孫の代くらいまでは、わが秦が安泰であってほしいものだ──貴公の名を継ぐ二番手が登場するその日まで。

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