エースをねらうな

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エースをねらうな

 

 優勝賞品に温泉旅行をかかげた深町商店街卓球大会は予想以上の盛況ぶりだった。

 足りなくなった参加賞を確保するためスタッフが走り、参加者は観覧客と一緒になって「ゆっくりでいいよ」と声を掛ける。和気あいあいとした雰囲気だった。


 ――決勝までは。


 十分もかからず一試合が終わり、その度に小さな歓声と健闘を称える声がする。

 そんな、のんびりとした空気と春の青空が、二人の異様を隠していたのだ。


 拾って、拾って、拾って、拾い切り、怪鳥の如き雄叫びをあげるカットマンの少年を。

 パキン! と硬質な音を立てる鬼スマッシュの少女を。

 

 ――二人が決勝の舞台にあがったとき、それは始まった。


 少女の放つ子供を泣かせお爺ちゃんを苦笑いさせた鬼スマッシュ。

 ニャーーォゥ! ヒョゥワーーー! と頭の痛くなるような声とともに打ち返す少年。

 少女はラケットを構えながら回り込み、


 オレンジ色の玉が卓上で弾んだ。瞬間、

 ボールは急激に進路を変え、暴力的な速度で

 少女は半ば力任せに踏み込み、

 ピンポン玉が床で弾んでカツンと鳴った。


 審判役の椛島かばしま金物店の店主がゴクリと喉を鳴らし、ホワイトボードに数字を書き込む。

 三十四 対 三十五――デュースの末。

 一点先行させられた三島勇気みしまゆうきは顔をしかめる。


「……よく躱したね。わざとでしょ?」

「……緊張するー……サーブ、


 勇気の問いには答えず、東島文香とうじまふみかは猫のように笑った。


「がんばってー! 二人ともー! 優勝したら温泉旅行だよー!」


 試合を観覧していた長島美奈子ながしまみなこが言った。


「任せてミナっち! 優勝したら一緒に行こうね!」


 そう答える文香の瞳はしかし、準優勝の副賞、金のフクロウぬいぐるみに向いていた。


 、と、


 呟くように言った。


「残念。ミナっちにプレゼントしてあげられないね?」

「……お前っ!」


 文香がボールをトスし――、

 空振る、その直前、


「ヒョゥーーーアァ!」


 怪鳥の声をあげた勇気が神速で回り込み、トスされたボールを床に叩き落とした。

 一瞬の静寂。

 観客の誰もが、何が起きたのか分からずにいる。だが、


「緊張してサービス前に打っちゃった! しくじったー!」


 空々しい勇気の宣言に、金物屋の店主が慌ててスコアボードを書き換えた。

 三十五 対 三十五――再びのデュース。

 勇気は自分のコートに戻る間際、文香に言った。


「悪いね。僕は美奈子ちゃんにアイツを渡すと約束したんだ」

「……知ってる」

「もー勇気くーん! 緊張しすぎだよー!?」


 異様な気配が漂う会場に、能天気きわまる美奈子の声援が響いた。

 勇気と文香が再び対峙する――。


 遡ること三時間二十五分ほど前。

 深町商店街の祭りに、勇気は美奈子と訪れていた。娯楽の少ない田舎町の健全な中学生にとっては貴重過ぎるイベントだ。勇気はデートもどきにドキドキだった。しかし、


「あっれー? 二人も来てたんだー? って、当たり前か。お祭りだもんね!」


 そう言って文香が現れた。猫のように笑う瞳からして、偶然を装っているのは明らかだ。何かにつけて勇気と美奈子の邪魔をする文香は、今回も二人きりの時間を邪魔しにきたのだろう。


 こ、この! なんだっていつもいつも僕の邪魔を!


 と、忸怩たる思いを抱える勇気をよそに、美奈子は文香とハイタッチである。


「フミちゃんだー! ねね! 一緒に焼きそば食べよう? 一人だと多くって」


 そこは僕と分けるんじゃダメなの!? とうなだれるも、勇気は何も言えない。

 文香は勇気を横目にくふふと笑い、美奈子と出店の焼きそばをつつき始めた。と、そこに。


「あー! よかった! やっぱ三人とも来てたな!」

「か、椛島!? なんでここに!?」

「なに言ってんだよ。言ったろ? オヤジの手伝いだって」


 椛島正人まさとは肩越しにチラシを配るおじさんを指さした。


「でさ、ちょっと頼みがあるんだけど」

「頼みって……」


 君も僕の邪魔しに来たのかと頬を引きつらせる勇気。二人は美奈子を取り合う仲でもある。

 正人は申し訳なさそうに首を振り、チラシを出す


「いやさ、卓球大会をやることになったんだけど、勇気は卓球部だろ? だから――」

「誰がそんな――」


 敵に塩を送るようなことをするか。

 そう続けようとした瞬間、チラシを見て美奈子が言った。


「あ、この金のフクロウ、ちょっと可愛いかも」


 途端、勇気の目がキランと光った。


「じゃあ僕がもらってきてあげようか?」

「ほんとに!?」


 美奈子は目を輝かせたが、しかし、すぐに顔を曇らせる。


「でもこれ、準優勝にばんめの副賞だって書いてあるよ? 優勝じゃダメなんだよ? まさか――」


 八百長するの? そんな感じの、ちょっと吊られた瞳に勇気は声をつまらせる。

 すかさず文香が猫のような笑みを浮かべて言った。


「――じゃあ、卓球部の私も出るよ」


 文香の殊更に女子を強調した発言に、美奈子はぱぁっと顔を明るくする。


「そっか! 二人で一番と二番をとっちゃえばいいんだ! すごいすごい! 私、応援する!」

「…………!」


 こいつ……どこまでも邪魔する気かっ、と勇気は文香と視線を交わす。

 絶対にあげさせないよと、文香のいたずらっぽい目が雄弁に語っていた。


「ふふふふふふ……」

「くふふふふふ……」


 バチバチと火花を散らす二人を横目に、正人が美奈子に言った。


「それじゃ、俺ももうちょっとチラシ配ったら応援に行くから、またあとで!」

「うん! 頑張ってね、正人くん!」


 ――。

 ――――そして、今。


 カツゥーン、とピンポン玉が床で弾んだ。


 四十三 対 四十三。


 卓球のデュース世界記録を遥かに上回る死闘は、未だ終わりをみない。

 胸元に両手を重ねて試合を見守る美奈子。いつまで続くんだと半ば呆れ始めている観客。


 カン! と今度はまともにサーブが入った。

 それは異様なラリーの開幕を告げる音色。


「シャァラァッ!」


 文香の鬼スマッシュが唸りをあげた。

 ピンポン玉は卓球台にふれることなく矢のように床へ迫る。落とせば文香がポイントを失う。

 言い換えれば、


「――ヒョォォォォゥッワァ!」


 勇気はカットマンとして持てる技術のすべてを駆使して強引に玉を拾う。

 ラバーの粒を限界まで使い回転をかけ、文香のラケットにぶち当てる。躱させない。

 絶対に文香に負けてやる。

 そんな、怪鳥の気合を込めた一撃――だったが。


「んなろーっ!」


 文香は天性のバネを使って回り込み、鬼スマッシュで得点を回避した。

 勇気のカットマンとしての性質がミスを狙い、文香のアタッカーとしての本分が自滅を狙う。

 二人の、『相手にポイントさせたろう』ラリーは、すでに二十を超えていた。

 勇気の体力は限界。文香も足にキている。

 観客は何を見せられているのかと困惑している。そのとき、


「しまったっ!」


 文香が叫んだ。スマッシュの軌道が甘い。これまでで一番、拾いやすい一球だった。

 ダン! と床を蹴りつけ、勇気はラケットを一閃。


「これで終わりだぁぁぁぁ!」


 カットされたボールが高々と上空に舞った。

 それは絶対に負けてやろうという一打。百を超える鬼スマッシュで足が鈍った文香が追えないように、遠く、高く、台の外を目指す一撃。

 しかし。


「んんんんんぅ、にゃぁぁぁぁぁ!」


 発情期の猫でも出さなそうな咆哮をあげ、文香が高く跳ね飛んだ。


「――まさか!?」


 勇気は戦慄した。

 それは卓球のスマッシュではない。

 もはやテニス。ウィズアウトテーブル。

 文香の振りかぶる手が残像を残し、赤い軌跡を描く。そして、


パァァァァァァァァン!


 ピンポン玉が爆ぜた。

 まるでクラッカーの紙吹雪だ。千々に裂かれたピンポン玉の破片が舞い落ちる。

 観客達の誰もが、ボールが割れたときのルールを知らない。


『ラリー中にボールが割れたらレットとなり、サーブからやり直す』


 それを知る唯一の人間、勇気も、疲弊と困惑と文香の猫めいた気合で頭が真っ白だった。

 水を打ったように静まり返る会場に、正人の声が響いた。


「親父! 同点優勝でいいんじゃね!?」


 はっ! と金物屋の店主が顔を上げる。

 えっ? と勇気と文香が顔を見合わせる。


「ゆ、優勝は勇気くんと文香ちゃん! 二人に拍手を!」


 そんなばかな。

 限界まで酷使された肺は、その言葉を音にできない。

 会場に割れんばかりの拍手が響いた。


「すごいすごい! 二人ともすごい試合だったよ!」


 歓声に紛れて聞こえる美奈子の声に、勇気はふっと苦笑した。


「……仕方ない、か。引き分けだ」


 言って勇気は満足げな顔をしている文香に手を差し伸べた。


「んだね。でもまぁ、私の勝ちみたいなものだけど」


 くふふ、と文香は猫のように笑った。

 健闘を称え合う二人――だったのだが。


「あ、美奈子ちゃん、これ。欲しがってたぬいぐるみ」


 なぬ。


 聞こえてきた正人の声に勇気は弾かれたように顔を向けた。

 正人がどデカい金色のフクロウを美奈子に差し出していた。


「えー!? くれるの!? でもなんで!?」

「俺ほら、三位だったから。優勝賞品はあの二人で分け合うからってんで、ね」

「すごーい! ありがとう正人くん!」


 金のフクロウを抱えてご満悦な美奈子と、こちらにゲス顔を見せる正人。


「あ、あの野郎……」


 勇気はギリギリと歯を軋ませた。


「やられちゃったね。勇気」

「どうして、いつも……こんな……」

「……ところで、優勝賞品どうする? 分け合うって言ってたけど」

「どうするもこうするも、そんなもの……」


 文香はもじもじしながら言った。


「ふ、二人で行ったりしちゃう?」

「…………えっ?」


 二人で? 二人って僕と美奈子ちゃん……ではないよね?

 勇気はシュバっと文香に向き直る。

 ほんのり頬を染め、文香は目を逸した。


「い、いつまでもじゃ、嫌だし」

「――そ、それって……」


 ごくり、と勇気は喉を鳴らした。

 死闘を終えて収まりかけていた鼓動が、また早まった。



「……いや、君ら中学生だから二人では行かせらんないよ?」


 金物屋の店主がさらりと言った。

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