終末に花束を
名取 雨霧
二番目の願い事
元東京の夜空は嘘みたいに輝いていた。
星々が我こそはと煌めき合い、雲は彼らの合間を遠慮がちに流れる。そんな静かな上下関係の背後でまた一筋、光の矢が放たれた。やがて遠くから花火のような音が聞こえる。また、彗星の欠片が地面に衝突したのだろう。
街灯を失い、苔と暗闇に包まれた俺たちの故郷は、完全に死んでいるようだった。今高台にいる自分は、故郷でなく地球の残骸を俯瞰しているに過ぎない。夢のような天空と死に損ないの地球が隣り合わせのこの光景は、もはや皮肉だ。もちろん、全身擦りむいてボロ切れのようになったスーツを着てもなお大事に花束を抱えている自分もまた、地球とセットだろう。
ツワイトン彗星がこの地球に衝突するまであと二十分。日付けが変わって数分で、地球は終わる。
俺は観念して、小型ワームホールを準備した。美菜はもう、どこを探してもこの捨てられた地球── 一番目の地球にはいないのだろう。強情な我が恋人ながら、喧嘩したくらいで2万光年離れた実家へ帰ってくるほど酔狂な奴ではなかったのだ。美菜と最後に会い、直後彼女が行方不明になってから二週間が経ったが、ワームホールが壊れて帰れなくなったのだろうかという心配は杞憂なのかもしれない。
諦めを含ませた溜息は白く残り、ふんわりと広がってすぐに消えた。さあ、この地球が終わる前に今の地球──二番目の地球に戻ろう。このままでは俺も死んでしまう。
システムを起動するまでもう少し。最後にもう一度あの嘘のような夜空を見つめようと高台の手すりに手をかけたその時、
「......浩太?」
綿あめのように柔らかい声が右耳に入った。
この世界で一番愛おしい、栗色のミディアムボブの女性が一人。美菜が困惑した様子で俺の右後ろに立ちすくんでいる。
「美菜......やっと見つけた」
他人事のように呟いたその言葉は次第に意味を成し、気づけば俺の腕の中に包まれた。美菜の潤んだ瞳には銀河が広がっている。大きな存在感を放つ一等星の隣に、情けない自分の顔が見えて正気に戻った。
「探したんだ。一体どこにいたんだよ」
「それは私の台詞なんだけど」
「どういうことだ?」
「私だって浩太を探してたのよ......!」
星々が照らしてくれる彼女の頬は赤く、ぽたぽたと流れる涙は彗星の欠片を彷彿とさせた。その様子に見惚れていると、彼女は何かに気づいたように目を見開いた。
「二週間前からずっと私のこと探しに、一番目の地球に来てたの......?」
「当たり前だろう。怒らせてしまったんだから、素直に謝るのが紳士ってもんよ」
それを聞いて、今度は彼女の方が抱きついてきた。ぎゅっと胸のあたりが締め付けられ、ぼろぼろのワイシャツに温かい涙が滲む。ごめんね、ごめんね。彼女の口から漏れた謝罪もまた、白く残って消えた。
「だから、謝るのは俺の方だって。意地張ってごめんな」
俺も腹を決めて、美菜に謝った。
俺の胸に埋まっていた彼女の頭がコクリと微かに上下した。これは、仲直り成立でいいのだろうか。ならひとまず、目標達成だ。
本当に、仲直り出来て良かった。
──これが最期になるとしても。
美菜は花屋の娘だった。
しがない研究者として教授にこき使われていた大学院生時代、俺は嬉々として客に花の魅力を伝える彼女に一目惚れした。宙ぶらりんな状態で研究を引き延ばし続ける自分とは違って、活き活きとした表情をした彼女を希望の象徴とみなしていたのだろう。気づけば、週末にはいつもそこへ一輪だけ花を買いに立ち寄っていた。
「尾道さん今日もいらっしゃったんですか!」
「こんにちは美菜さん。またオススメの花を紹介して頂けますか」
「ええ、もちろんです。でも一つ気になることがあるんですけど......」
俺は首を軽く傾げる。少し間を置いて、彼女はぼそりと呟いた。
「私が紹介したお花、尾道さんは誰に贈っていらっしゃるんですか?」
悪戯心が垣間見える丸っこい瞳で尋ねてきた。目元より下をクリップボードで隠して上目遣いを炸裂する彼女の可憐さに心臓を撃ち抜かれそうになるも、なんとか返答した。
「べ、別に......研究室に飾っているだけですよ」
「それは勿体ないです!」
美菜は目を少し見開いて迫った。
「私、お花は言葉を超えたメッセージだと思うんです。愛してるだとか幸せになろうだとか、言葉にすると陳腐になってしまうような想いも、綺麗なお花の中に閉じ込めれば伝わるものなんですよ!尾道さんは折角素敵な外見を持っているのですから、女性の一人や二人に贈ってみては......いかがで、しょうか......」
途中から恥ずかしくなったのだろう、最後の提案は消え入るように勢いを減らしていった。彼女の表情は再びクリップボードに隠されたが、顔が真っ赤になっているのは容易に見て取れる。美菜は一歩踏み出して、俺に花を贈る意味を教えてくれたのだ。俺が一歩踏み出さないでどうする。
俺は以前美菜から紹介されたピンクの繊細そうな花を指差して、一輪だけ買い求めた。
「さっきはなんか、熱くなっちゃってごめんなさい......」
「いえいえ、美菜さんの気持ちは凄く分かりましたよ」
「じゃあ、こちらになります。ナデシコのお花ですね」
彼女の華奢な手から受け取ったその花を、一度受け取ってからまた彼女に手渡した。
「ナデシコの花言葉を教えてもらった時のことを思い出しました。どうか、受け取ってくれませんか」
その瞬間の彼女の上気した顔を、俺は今でも忘れない。
その日から、俺と美菜は結ばれた。
美菜との交際によって彩られた日々は輝きに満ち溢れていた。美菜は両親の営む花屋を手伝いながら大学で植物学を研究し、生態系保護に貢献することを夢見ている。彼女の強い意志と時折見せるはにかんだ笑顔に触発されたのか、俺の研究も軌道に乗り始めた。いつしか二人は恋人であると同時に、互いを叱咤激励し合う好敵手に近い関係にもなった。
今から半年前の話。
ついに俺の研究が実を結んだ。論文を公開しさえすれば、世界的に評価される事が約束されるような研究結果だ。大学入学から数えて10年近い努力の賜物であり、美菜はその成功を俺よりも喜び、盛大に祝ってくれたのをよく覚えている。
「私の一番の願い事ね」
そう言われて彼女から渡された、一輪の薄黄色いアングレカムの花も。
そして学会発表の前日、都内のホテルにて二人でくつろいでいるときのこと。緊急のニュースが飛び込んだ。
【あと半年で、地球に彗星が衝突する】
その日から世界は大混乱に巻き込まれた。
俺の研究が──テレポートを駆使して、人類を二番目の地球に移住させる研究が乗っ取られ、急進を遂げたのもこのときである。
俺は発案者でありながら、その手の精鋭組織によって蚊帳の外へと追いやられた。俺が聞けるのは会議の結果だけであり、研究には一切口出しができなかった。組織は人類移住計画を進め、三ヶ月にして20万光年離れた惑星を第二の地球とする。瞬く間に世界から人が消え、オリジナルを模倣した環境を新惑星に作っていった。
その間、俺は単身で研究を進めていた。
そして、独自の技術を用いて第二の惑星を調べ尽くし、とある事実を発見した。ちょうど二週間前のことだ。
「この惑星から逃げよう」
美菜にはすぐに告げた。
移住先であるこの第二の地球があるのは、太陽系に非常によく似た惑星系であり、どの専門家も口を揃えて「地球の代替品としては完璧だ」などと主張する。たしかに、人類は元地球と遜色なく暮らすことができる状態であり、何も心配はいらないように思える。
彗星の近日点通過周期を除けば。
俺が出した結論としては、二番目の地球も一週間と持たずすぐに彗星にぶつかって終わってしまうのだということ。この情報を独裁色の強いあの組織に教えてしまえば、今回のような手間を惜しんで一部の住民だけを選んで移住計画を進めるのではないかということ。それをするくらいなら、俺と美菜だけでまた新たな土地へ移住したいということ。
正義感の強い美菜は、自分達だけが助かる事を嫌がって渋った。それだけではない。組織に目をつけられている俺が、二人だけの計画を進めている最中に危険にさらされることも案じての拒絶だった。
俺は美菜の身を考えようとし、美菜は俺と世界の安全に賭けようとした。二つの意見は過去最大の衝突を起こし、これまでずるずる引きずって来た訳である。
──そして今。
くだらない意地の張り合いによって何もかもが手遅れになってしまった。ここに残っても第二の地球に帰っても、もう誰も助からないというのに、二人の顔は笑顔に包まれていた。仲直り出来た喜びで、他のことは本当にどうでも良かった。
「浩太が居なくなって一週間経って、この先生きていけないんじゃないかと思ってた。それで、ずっと探し回ってたの」
「それ、そっくりそのまま美菜に返すよ」
「ふふ、それで......何か持ってるの?」
「ああ、これか。これを美菜に」
俺は背中に隠していたスズランの花束を美菜に差し出した。降り注ぐ流星群の灯に反射して、花束の中に潜ませたダイヤの指輪が煌びやかに光る。瞳の潤んだ恋人に、会心の一撃を見舞うつもりで、
「あなたを愛しています。これからもずっと一緒にいて下さい」
プロポーズをした。
流星群が続々と降り注ぎ、巨大な彗星の接近音が響く中。取り返しのつかない婚約をした。
美菜は微笑んで花束と指輪を手に取り、精一杯の笑顔で、
「ありがとう。浩太さん、一緒にいて下さい」
約束を結ぶ。
持って来た小型ワームホールが彗星の欠片によって粉々に割れ、空が赤とエメラルドを交互に行き来する。そんな中、俺たちは呑気に流れ星へ願い事をした。
ややあって、美菜に尋ねる。
「美菜は何をお願いしたんだ?」
「来世でも浩太と一緒になれるように! まあこれは二番目の願い事なんだけどね」
ふふ、と微笑みかけて、彼女は自慢げに続ける。
「一番目は、もう叶ったから」
終末に花束を 名取 雨霧 @Ryu3SuiSo73um
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