最愛の二番

aoiaoi

最愛の二番

 愛おしい男は、家庭持ち。

 私は、彼の「二番目」だ。



 彼は、私の上司である。

 彼の家は大きな会社を経営しており、彼は跡継ぎだ。仕事もでき、次期社長として問題ない能力を持っている。

 ただ、昔から何不自由ないお坊ちゃん人生で、プライベートはどうやら随分と大らかだ。


 私は、職場では彼の秘書だ。派手でもなく、地味というわけでもない。ただ、これまで特に恋にも不自由していない。彼も、次期社長とかいう肩書きを外して見れば単なるルーズなイケオジだ。

 ただ、そんな彼に男として強烈な魅力を感じていたのも、また事実だが。


 常に異性からピンク系の視線を向けられる彼が私を選んだのは、そんなさばさばした私の側がただ居心地よかったのだろう。「息抜きの場所」として。

 彼の資産や権力にあまり興味のない私の性格を見抜いたのも「目利き」と言える。



 美しい妻に、二人の息子。彼は、そんな宝物を私の前で隠すようなしおらしさは持ち合わせていない。

「昨日は休暇を取って済まなかった。下の小6の息子の運動会で、どうしても出てほしいって息子にせがまれてね。全力で二人三脚やって来ちゃったよ。

 昔バスケ部で散々鍛えたオジサンをなめちゃいけない、もちろんダントツ一位でゴールテープ切ってやった。息子の嬉しそうな笑顔って、父親としてはもうたまらないな。

 ただ、ちょっと気合い入れ過ぎたせいで今日は筋肉痛が酷くてねー。沙耶さや、脚マッサージしてくれると嬉しいんだけどなあ」


 金曜の夜。

 40代半ばの男の色気をダダ漏れに、彼は私の部屋で気怠そうにに微笑みつつネクタイを解く。

 変に隠し立てせず、明け透けに自分の懐を晒すようなところも、嫌いではない。


「26歳の未婚の女に、オジサンの脚揉ませるなんて。けいさんってそういうとこ無神経ですよね」

 プライベートでは名前を呼び合おう、という彼の希望だ。

「そう言うなよ。ウチのはそんなの頼んでも絶対にやってくれないし、まずそういう会話を口にする空気でもないしな。

 で、そんなオジサンの脚にじゃれついてくる物好きな若い子もいるからねえ、世の中」

 私の憎まれ口に、彼はそんな風に返しながら横目で私をちらりと捉え、ふっと浅い微笑を零す。

 プライベートが緩くなっても仕方のない美貌。思わず言葉に詰まる。小さく咳が出るふりなどしてごまかした。



「んーーー、効くなあ、沙耶のマッサージ……学生時代とか何かやってた?」

「中学・高校と、水泳部でした」

「あー、そうか。道理で……」


「道理で……何?」

「綺麗だ」


「……

 すっ、水泳部と綺麗がどう繋がるんですか」

「ははっ。まあいいじゃないか、細かいことは。

 ありがとう。ずいぶん軽くなった。

 ——さあ、今夜は何食べに行こうか。好きなものなんでもいいぞ」

「あ、今日は牛丼な気分です」

「おい……君ねえ……」


 こういうふうでも、彼はべったり泊まっていくことはない。

 家庭に、しっかり愛情を注いでいる。

 変に寄りかかられない、寄りかからない。お互い、適当に心地いい。

 この人とのそんな空気は、気に入っている。








 彼の妻が、突然亡くなった。

 交通事故で。


 上の息子は大学生、下の子は中学生。

 母親に縋らずとも、子供たちは何とか歩ける年頃になっているのかもしれないが——

 会社でも仕事が手につかず、呆然と青ざめた表情の彼。

 その姿は、見ていて辛かった。



 彼のような立場の男が、男やもめはあり得ない。

 家庭を支える「妻」という存在は、不可欠だ。



 それでも——

 その席は、私には回って来ない。


 知っている。

 次期社長の妻として恥ずかしくない女が選ばれ、そこに座る。




 ——私は、彼の隣には立てない。

 決して「一番」を狙えない「二番目」なのだ。




 ただ、一度だけ——

 疲弊しきった彼が、戯れのように小さく口にした。


「君に、側にいてほしい」——と。









 その翌春から、私は異動になり、大阪支店長の秘書となった。


 転勤直前の3月、桜が綻び始めた夜の公園。

 黙り込んだ彼に、私は簡単な別れを伝えた。




 ——私が、彼のためにできることは、何もない。


 そう声に出しながら、毎晩枕が涙でグショグショになった。




 それでも——

 新たな環境の中で、あっという間に時間は過ぎ——気づけばもう3年目になる。

 時の流れに従い、そんな出来事も私の中で次第に遠いことになり始めていた。




 そんな、ある金曜の夜。

 自分の部屋で缶ビールを開ける私のスマホに、メッセージが届いた。



『元気か』



 彼だった。


 久しぶりの言葉に、遠ざかっていた想いが思わず蘇る。

 思ってもみない勢いで、鼓動が跳ね上がった。




『元気です』



 胸の中が一杯になり——何を書き出せばいいかわからない。

 とりあえず、問いかけの返事だけを何とか返す。



 ——2年ほど前に、再婚したと、噂で聞いた。

 若くて美しい奥さんだそうだ。




 少し間を置いて、再びメッセージの着信音が鳴る。



『決して泣かず、嘆かない君のまっすぐな背中を、いつも思い出していた。

 ——あれから、君を見習ったつもりだよ。

 今はもう、よそ見をせず真っ直ぐに歩いているつもりだ。


 ——君の隣が、好きだった。

 それは、今も変わらない』



 鋭く熱された剣をぐさりと突き立てられたような深い痛みが、ぐわぐわと胸を揺さぶる。



 真摯な言葉をどこか茶化すように、ひょうきんなスタンプがぴょこっと笑顔を見せた。




 思わず笑みが漏れ——同時に、涙が込み上げた。





 ここでいい。

 ——ここがいい。



 たとえ誰が、一番の椅子に座っても——

 二番目は、私。




 一番など、いらない。

 この二番は、私の最愛の二番だ。



 そんな意味不明な幸せが、私の中に抑えようもなく込み上げていた。




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