合言葉はフクロウ
千羽稲穂
フクロウと一緒に。
雨が体を濡らす。大きな雨粒は喪服へ染み、私の心情を代弁してくれる。すれ違う人は私の姿を見て一瞬ぎょっとして、すぐに知らんぷりをする。
それでいい。私もその方がいいし。今は雨に身を浸らせていたい気分だし。もう、みんな私に構わないでほしかった。
黒いヒールで歩道をこつん、と鳴らして、傷つける。地面を傷つけると、この世界に傷をつけているようで嬉しくなる。
どんなもんだい。私はこの世界を怨む。友に会わせてくれない、そして友を殺した世界に復讐している気分になる。そんな大それたことしちゃいけないんだろうけどね。ヒールだけで気が晴れるならいいじゃん。
身に着けている喪服にはまだ葬式の悲しい香りが残ってる気がする。髪から大粒の雨が滴り、瞼を閉じさせる。頬は絞れていない雑巾みたいにぐっしょり。
そこで、そっと傘を差しかけられた。
「入りますか」
ふと見上げると、気の良さそうな男性が私に透明な傘を差しかけていた。なぜかは分からないがこれと言って特徴がない容姿をしているため、印象に残りにくい。ただ、男は体が数段大きいことだけは分かる。
「いえ、いいです」
傘に入りたい気分でもなかった。濡れてぐじゅぐじゅになった服を今は感じていたかった。そうすることでここにつなぎとめておきたかったんだ。いろんなことを洗い流すには、まだ私は子どもだったから。
「それなら、せめて雨宿りしていきませんか」
男は、背後にある、店を促した。店はシャッターが下ろされていた。店頭にはガシャポンが二台置いてある。パッケージが茶色に褪せていて相応の年季が伺えた。
ここは駄菓子屋さんかな。思えば、見覚えがある場所だ。幼い頃に訪れたことがあるかもしれない。ぽつん、とそこで蘇る記憶に唇を噛みしめる。甘くも苦くもない雨を舐めて。唇が唾液で湿る。懐かしくなって、立ち止まってしまった。
「いいですね、雨宿り」
私はその言葉に甘えて、ガシャポンの隣に立った。ヒールで高くなった視点からガシャポンを見下ろす。小学校くらいの時はちょうどだったガシャポンのサイズは今やミニマムサイズで、物思いにふけってしまう。
男は私の隣に立ち、分厚い雲を見つめていた。
「あなたも雨宿り中なんですか」手持無沙汰なので、男に尋ねてみた。
「ええ、もう靴の中は大洪水で、一歩も歩きたくないもので」
「いっそ飛べたらいいんですけどね」
私も分厚い雲を見つめてしまう。それは天に昇る友を妨げているよう。イラつきを覚える。でもそんなことに怒っていても仕方ないし、ヒールでこつこつ、と地面に八つ当たり。そこからひびが入って、大きな地割れが起きて、地中深く落ちることができたらいいのに。悔しくて仕方ない。
「今日はどうしたんですか」男も手持無沙汰なのか、尋ねてきた。
今日、と心の中で反芻した。ずきん、とくる痛みにまたヒールを浮かせて、地面へ落とす。
この人にならいいかなって、甘えがにじみ出る。
「今日は友達の葬式だったんです」
男は一瞬黙り、申し訳なさそうにうつむいた。そんな男を私は励ますように、頭を振った。仕方ないことに、死に、なぜこんなにも振り回され、申し訳ない気持ちになるんだろう。
「これは私事なのですが……」
私は雨音に身を任せて、在りし日のことを言葉にして紡いだ。
これで一人になったなぁって。
私、友達を亡くすのはこれで初めてじゃないんです。一人目は高校生の時、自殺で亡くしてしまって。実はその子が自殺する前に会っていたんです。その時は、気軽に挨拶を交わしたぐらい。思い出語りも何にもしなかった。近況も何も。本当に何も話さなかったんです。その子がどれだけ辛かったか今では分かりません。私は忙しさにかこつけて、彼のことを無視した。その時どれだけ彼が痛みを感じていたか知らないままに。
彼は、電車に飛び来み自殺しました。衝撃的でした。それを聞いたのは、彼が自殺しただいぶ後で。噂で女性関係に悩んでいたと聞きました。
彼が自殺をしたと聞いたのはだいぶ後でしたが、亡くなったのは私が彼に会った数週間後だと聞きました。つまり、私は、彼の死の間際に会っていて、気づいてあげられなかったんです。
小学校の頃、一緒に遊んでいたのに。大事な幼馴染のはずなのに。
私ってひどいやつですよね。
小学校の頃によく遊んでいた友達はもう一人いました。彼女はとても元気な子で、いつも私の手を引いてくれて。いろんな冒険に連れ出してくれました。ここの近くの山にも。そう、あれは夏の日、山奥の祠を見に行こうと、大人に内緒で行ったことがあったりして。あれは楽しかったな。とてもとても。大人には秘密ってことにしていたのに、帰り道が分からなくなって、三人でわんわん泣いて、大人に助けを求めてやっと帰れたりして。今ではとんだお笑い種。でも、そんなお笑い種を語る人はもういないんです。
大学一回のことでした。彼が亡くなったことを聞いて、そんなに経っていないころでした。彼女から久々に連絡があって、そこで彼女が癌であることを知らされました。
私は知らなかったのですが、自殺した彼が亡くなった頃、彼女は悪性の小さな腫瘍が胸に見つかって、それを摘出する手術を受けていたそうです。それもこれも、後で知ったことで、そんな事情に、私はショックを受けてしまって。
彼女は胸を摘出することや癌があったこと、彼女自身のことに無頓着でしたから。
そんなところが彼女らしいのですけれど。
あの夏の日のそもそもも、彼女がふと山の神様であるフクロウを見たいからで、彼女自身周囲の人に無頓着でしたし。彼も彼で、フクロウという生き物が気になっていて、それじゃあ一緒に行こうと、山奥にいったのがきっかけでしたから。
そんな思い出すら、彼女が亡くなる寸前まで忘れていたわけでなんですけどね。
彼女は癌が発見されるまで何回も良性の腫瘍が発見されていて、今回も大丈夫だろうとか、そんな楽観的に思っていたのかもしれません。だから、亡くなるまで必死に生にしがみついていた。抗がん剤治療も行っていた。でも、癌の転移が見つかって、もう、後戻りできないところまで来てしまって。
私に重い連絡が来たのはその頃でした。
『フクロウ』って。
最初は何の冗談かと思っていたのですが、今なら鮮明に思い出せます。祠を見つけに行ったとき、ありえないことだと思われるのですが、私達、白いフクロウを見たんです。真っ白なフクロウを。あんなに見惚れたのに、すっかり忘れていました。ふっくらと白く丸いフクロウを。そこで三人で、合言葉を決めたんです。この思い出を忘れないようにしようって。緊急事態の時は召集しよう。そのときの合言葉は『フクロウ』にしようって。とても可愛らしい発想でしょ。
それにかけて、彼女は病状が進行する中、切り札の『フクロウ』を掲げたのに、私は気づいてあげられなかった。
きっと彼女はこう告げたかったのかなって。
『招集』って。
あの頃と同じように、亡くなった彼と共に、また集まって、あの夏の日みたいな、楽しい思い出に浸りたかったのかも。
知らなかったんです。そんなに重いなんて。重い病状を悟らせたくなかった彼女の精いっぱいの叫びを、私は軽く受け流してしまって。もうあの頃みたいな関係も薄れていたから。
なんだか滑稽ですね。
合言葉の『フクロウ』がかかれば、私が気が付いていれば、生前に楽しい思い出話を三人でできたのに。それに、彼の心の負担を軽減させてあげられたり、彼女の病気との孤独な戦いの一助となったかもしれないのに。
そんなこと、思うなんて遅すぎますよね。
彼女が亡くなる直前、また三人でフクロウを見たかったなって私に告げたんです。
『フクロウ』は私達の合言葉で、『召集』の、一言で。
三人招集して、だからこそ、『フクロウ』で。
そんな亡くなる直前の彼女の一言で思い出すなんて。
やっぱりひどいやつですよね。
私ばかり喋っているのに気づいて、慌てて口を閉じた。男は自然と傾聴していて真摯に聞いてくれた。その姿に、恥ずかしくなった。
「きっと」男の柔らかな声が光と共に降り注ぐ。「誰も怨んではいませんよ。彼も彼女も、あなたのことが大切だから、大切過ぎて言えなかったんです。それを気負う必要なんてどこにもない。あなたが、自身を呪う必要なんてどこにもないんです」
見上げると、雨足が弱まってきていた。分厚い雲に切れ間が入り、光が零れている。その光に目を細める。男の言葉に頬が火照った。目頭が熱くなる。
「そうだといいな」
その私のたおやかな言葉に耳をそばだてる。もっとしゃんと立っていたくなる。幼い頃見た、あの見惚れたフクロウのように、凛々しくありたい。
その時、ふと足元に白い羽が舞い散った。それは白く無垢でどこまでも、まっすぐだった。
夏の日の思い出がふらっとやってくる。やっと見つけた祠を開ける。そこには一羽の大きなフクロウが居座っていた。ふっくらとふわふわした羽を広げて、すぐに私達三人の間をぬって飛び立つ。その大きなフクロウの姿に、私達は言葉を失った。
そして三人で『フクロウ』と同時に言葉を合わせる。
もしかして、と思い立ち、私は男の方へと体を向ける。大きな白い何かが私の視界を横切り、大きな風を巻き起こす。ぐるりと、雨や雲をかき分けて、青空の中を白い大きな鳥が飛んでいくのが見えた。あれはきっとフクロウだ。
分厚い雲は散らばり、太陽の陽光が白い小さな粒をまき散らす。そのうららかな日向を全身で受け取り、乾き始めた喪服をぎゅっと握った。
心の中で『フクロウ』と切り札を告げる。
胸の奥であの日の思い出が鮮やかに蘇る。
私の背を押す彼の姿。私の手を引く彼女の姿。背中を押され、連れ出され、歩きだす。
三人一緒に。
合言葉はフクロウ 千羽稲穂 @inaho_rice
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