甘い至福の一時を
ゆっくりコーヒーを口に運んでいると、カウンター越しに野上君が、思い出したように言ってくる。
「そうだ、忘れてた。これ、サービスだから」
そう言って差し出されたのは、包装紙で包まれた一口大の球体。これは……キャンデー?
「野上君、これは?」
「今日はホワイトデーだからな。女性客にはキャンデーのサービスがあるんだ」
ああ、そう言えば今日は3月14日、ホワイトデーだったっけ。
バレンタインの時は、男性のお客さんにチョコレートのサービスをしていた。本当はその時、私は野上君にチョコレートをあげたかったんだけど、渡せなかったなあ。
当時の事を思い出してちょっとしょげながら、キャンデーの包みを開けて口へと運ぶ。う~ん、甘くて美味しい~♪
キャンデーの味に、思わず顔がほころぶ。すると野上君が、薄っすら笑みを浮かべながらこっちを見ている事に気が付いた。
「どうしたの?私の顔に、何かついてる?」
「いや……永井って、キャンデー好きなんだな」
「うん、とっても」
口の中でキャンデーを転がしながら、笑顔で答える。
「キャンデーに限らず、甘いものが好きなんだよな?」
「まあね」
だって女の子だもん。甘いものは、好きに決まっている。野上君の淹れてくれるコーヒーも、好きだけどね。苦くても、ちゃんと美味しいって思ってるよ。甘くなった口の中に、ブラックのコーヒーを流し込む。
「本当はコーヒーもブラックより、ミルクと砂糖が入っている方が好きなんだよな?」
「うん――――んぐっ⁉」
思わずコーヒーを吹き出しそうになる。ゲホゲホとむせ返りながら、信じられない気持ちで野上君に目を向ける。
野上君は、まるで何もかもお見通しと言わんばかりの笑みを浮かべ、頬杖を突きながらこっちを見ていた。
これはたぶん、誤魔化しても無駄だろう。
「き、気づいてたの?い、いったいいつから?」
「最初からかな。永井、初めてうちに来てコーヒーを飲んだ時、眉間にシワを寄せていたからな。もしかして、苦いの苦手なのに無理して飲んでいるのかもって思って」
ま、まさか最初からバレバレだっただなんて。それじゃあ今までずっと、『こいつブラック飲めますよーって態度とってるけど、本当は苦いの苦手なお子様舌なんだよな。それなのに無理して背伸びして、そう言う所、本当にガキだよなー』って思われてたってこと―⁉
ああ、顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。カウンターテーブルに顔を埋めて、いっそ殺してって、心の中で呪詛を呟く。
「そのうち注文しなくなるだろうと思っていたのに、何度来ても懲りずにブラックを頼むもんだから。永井が言うまで俺からは言わないでおこうって思ってたけど、いつまで経っても飲めるふりを止めないものだから。先にこっちの限界が来ちまったよ」
「め、面目次第もございません」
「見栄を張るなとは言わないけどさ。無理して飲まなくてもいいからな。苦手なのに平気なフリして飲まれたんじゃ、こっちの気が滅入っちまうよ」
「ご、ごめんなさい~」
確かにそれは、凄く失礼な事かもしれない。ミルクと砂糖を入れるだけで美味しく飲めるのだから、素直にそうしておくべきだった。
「ちなみに二回目以降は永井でも飲めるよう、少しだけどこっそり砂糖を入れておいたから。ミルクは入れたら色でわかるだろうから入れられなかったけど……飲みやすかったか?」
ええっ、そうだったの⁉
最近ブラックのコーヒーも飲めるようになってきたって思っていたけど、本当はブラックじゃなかったの⁉
ああ、穴があったら入りたいよ。野上君、いったいどんな気持ちで、砂糖入りのコーヒーを出していたのだろう?もしかしたら、『見栄っ張りなお子様舌の女め。いや、砂糖を入れてる事にも気づいていないなんて、お子様舌じゃなくてバカ舌なんじゃないの?そんな奴に家のコーヒーを淹れてやることは無いな。どうせこいつの事だから、泥水を飲ませても気づかないんじゃないか。よし、うちの店にこんなクレイジーな奴が来てるって、ネットに名指しでアップしてやろうか』なんて考えていたんじゃ⁉
「ほ、本当にごめんなさい。どうか、どうか泥水だけは。あと、ネットで名指しでさらし者にするのもご勘弁ください。そんな事をされたら私、大学で居場所がなくなってしまいます……」
「おい、いったい何の話をしているんだ?誰がそんなクレイジーな事をするか。それよりも……」
野上君は私の前に、もう一つ飲み物の入ったカップを差し出してきた。あれ、これって……
「野上君、これは?」
「カフェオレだよ。甘いの好きなら、こっちの方が良いんじゃないか?うちは何も、ブラックコーヒー専門店じゃないんだからな。いやなら、無理に飲まなくても良いけど」
「の、飲みます!」
野上君が淹れてくれたカフェオレなんだから、飲まないわけないじゃない!
一口飲んでみると、途端に口の中一杯に甘い味が広がって行く。ああ、やっぱり私は、甘い味の方が好みなんだ。
すると様子を見ただけで気に入った事を察したのか、野上君はクスクスと笑っている。私って、そんなに分かり易いかな?まあいいや。美味しいカフェオレを飲めたんだし、珍しく笑っている野上君を見れたんだから、きっと今日は良い日なんだ。
「そう言えば、このカフェオレっていくらっけ?」
実は今日は、手持ちがそんなに無いんだよね。だから本当は、コーヒー一杯飲んで、野上君を堪能して帰るつもりだったのだ。
「それなら気にするな、おごりだから。俺からのホワイトデーってことで、貰っておいてくれ」
「えっ、でもホワイトデーって、もうさっき飴をもらったよ?」
「それは店からのやつ。そしてこれは、俺からの贈り物。安上がりで悪いけどな」
フッと笑みを浮かべる野上君。
そんな風に言われると、このカフェオレが特別な物に思えちゃうよ。
野上君、こういう事を誰にでもするのかなあ? あ、でもこの店に来る同年代の子って、私くらいのものだって、前に話してたっけ。
うんと年上の人相手にこんな事をするとは思えないから、私だけが特別ってこと……って、何考えてるんだ私は⁉
顔に締まりがなくなっていくのが、鏡を使わなくても分かる。
こんなだらしのない顔を野上くんに見られるわけにはいかないと、カフェオレを飲むふりをしながら、口元を隠す。
野上君、君は分かっているのかなあ?その笑った顔が、甘い言葉が、私の心をくすぐっている事を。
頬杖を突いている時に微かにズレた袖からのぞく、筋や血管が通った腕から、目が離せないと言う事を。
知っててやっているの? からかって遊んでいるの? それとも……
もしもその気が無いのなら、こういう思わせぶりな態度は止めてよね。甘い空気に浸った後で、苦い思いをするのは嫌なんだから。
だけどもし……もしも野上君が私と同じ気持ちだったら、その時は。
「飲まないのか?もしかして、口に合わなかったのか?」
「の、飲むよもちろん。飲むに決まってるじゃない」
ボーッとしていた私は、野上君の一言で正気に戻って、慌ててカフェオレを一気飲みする。
野上君、今度はビックリした顔になってるけど、構うものか。
口の中に広がっていく、甘い味。そうして全部を飲み終えた私は、手にしていたカップをテーブルに置く。
「ご馳走さま。ありがとう野上君、とっても美味しかったよ」
「どういたしまして。こんなものでよければ、いつでもご馳走するよ」
微かに口角を上げる野上君。ほんの僅かな変化だったけど、笑ってくれた?そんな彼に、ついまた見とれてしまう。
大学の皆は知らない、彼の姿。私だけが知っている、コーヒーやカフェオレを淹れてくれる野上君。
ここで過ごす時間は、やはり私にとって至福の一時だ。
きっとこれからも、私はこの店に通い続けるのだろう。甘いカフェオレと、甘い時間を求めて。
喫茶店で甘い一時を 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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