喫茶店で甘い一時を

無月弟(無月蒼)

見栄を張って、ブラックコーヒーを

 そのドアを開けると、ふわっとしたコーヒーの香りが広がってくる。

 私が足を踏み入れたのは今時珍しい、まるで昭和の時代からそのまま持ってきたような、レトロな感じの喫茶店。行きつけの、お気に入りのお店だ。


 最近はオシャレなカフェで、パンケーキを食べるのが流行りだけれど、私はこう言う、年季の入った喫茶店の方が好きかな。カフェじゃなくて喫茶店。ここ、重要だから。


 周りの人達からは、19歳なのにババ臭いとか、心無いことを言われることもあるけれど、別に良いじゃない。好きなものは好きなんだから。


 店内を見回してみると、ポツリポツリとお客さんの姿がある。ここは連日満員の人気のお店という訳じゃないけど、この静かな雰囲気を好む人は、結構いるのだ。


 店内には誰の趣味なのか、80年代に流行った音楽が流れていて、何だかタイムスリップをしたみたい。

 そんなことを考えながら着いた席は、いつも座っているカウンター席。テーブル席もあるけれど、ここが私の指定席なのだ。だってここだと、彼とたくさんお喋りできるもの。


「いらっしゃい、永井」


 カウンターの奥からそう言ってきたのは、野上君。彼は私より一つ年上の、同じ大学の先輩なのだ。


「野上君、久しぶり」

「ああ。最近きてなかったけど、何かあったのか?」

「うん、最近ちょっと忙しくてね。でもやっと落ち着いて、そしたらここのコーヒーが飲みたくなっちゃって、来ちゃった。ホットコーヒー、一つもらえる?」

「了解。少し待ってろ」


 先輩と後輩ではあるけど、店員さんとお客さんではあるけど、私達は敬語は一切使わない。私も、それにたぶん野上君も、そっちの方が心地いいんだと思う。


 奥へ行って、慣れた手つきでコーヒーを淹れ始める野上君。

 野上君は、この喫茶店の店長さんの一人息子。だから時々こうして、お店を手伝っている。


 今年の始め、町を散策している途中でこの喫茶店を見つけて、中に入って野上くんの姿を見た時はビックリしちゃった。校内で時々見かけて、格好良いなって思っていた先輩だったから。

 

 学校ではクールなイメージの野上君。けどここでは……あれ、クールなイメージは、そのままかな?

 笑ったところなんて見た事無いし、口数も少ないし。あ、でも聞き上手って言うのかな?お客さんの話には、ちゃんと耳を傾けてくれるんだよね。


 白と黒というシンプルな配色のギャルソン服がとても似合っていて、格好良さが普段の3割増し。そして洗い物をする時の腕を捲り上げる仕草には、いつもドキッとさせられる。

 ただ腕が見れれば良いって言うんじゃなくて、『腕を捲り上げる』。ここ、重要だから!


 薄っすら見える血管に、筋に、ほど良く肉の着いたその腕につい目が釘付けになってしまう。ああ、野上君の腕、凄く良い。あわよくばいつかは触ってみたい……


 あっ、言っておくけど、喫茶店が好きなのは本当だからね。断じて野上君や、野上君の腕目当てで、ここに通っているわけじゃ無いから。


 そう言えば大学の人達には、ここが野上くんの家であることや、お店を手伝っていることは、秘密にしているみたい。前に「どうして?」って聞いたら、「面白がって来られたら迷惑だから」って答えてくれた。


 それは、ナイショにしておいて正解だよ。もし野上くんが働いてるなんて知られたら、彼目当てで女の子が何人もやって来て、落ち着いたお店の雰囲気が壊れちゃうだろうから。

 それに皆にはナイショの方が、私だけが知っている特別な秘密なんだって思えて、なんか嬉しいから。


 コーヒーを用意する野上くんを見ながら、そっと笑みをこぼして。

 やがてコーヒーが運ばれてきて、私の前に置かれる。ミルクも砂糖も入っていない、真っ黒なコーヒーが。


「今日もブラックで良いんだよな?」

「う、うん。私、ブラック好きだから」

「ふふっ、そうだったな」


 何だか含みのあるような笑みを浮かべる野上君。ちょっと気になったけど、構わず珈琲に口をつける。うん、苦い。さすがブラックコーヒーだ。


 実はと言うと、私本当は、ブラックは苦手なんだよね。コーヒーは間違いなく好きだけど、ミルクと砂糖は欠かせない。どうせお子様舌ですよーだ。


 だけど、ここではいつもブラックを注文している。

 何でって?えーと、話せば長くなるんだけどね。最初この店に来た時、野上君から「ご注文は?」って聞かれたんだよね。

 その時は野上君がいた事にビックリしてね。ギャルソン服に身を包んだその姿が、妙に大人びて見えて。いつもならちゃんと、ミルクと砂糖を入れるんだけど、野上君の前でそれをするのが、ちょっと恥ずかしく思えて。

 だからつい、私、ブラックも飲めるんですよーって、見栄を張っちゃった。


 苦いのを我慢して、頑張って飲んだブラックコーヒー。と言うわけで私の野上君のコーヒーデビューは、文字通り苦いものとなってしまったわけなの。

 それから何度もここに通っているけど、最初見栄を張ってしまったせいで、注文するのはいつもブラックコーヒー。


 あっ、でも最近はブラックでも、ちゃんと美味しいって思えるようになってきたかも。ふふっ、ようやく味が分かるようになってきたって事かな?


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る