切り札はフクロウ先生
吾妻燕
切り札はフクロウ先生
皮脂で顔をテッカテカにさせた中年刑事が、残り僅かな頭髪を逆立てながら「いつまでも巫山戯た態度とってんじゃねえぞ!」と怒鳴る。余りにも至近距離な恫喝だったので、志摩隼人は怒号による鼓膜への身体的被害と、顔面に降りかかる唾の精神的被害を負った。
心身ともに傷付けられた隼人は、反射的に刑事の間抜け面をグーで殴りたくなった。が、理性を総動員して衝動を抑えつける。いつ何時でも、刑事を殴りつけるタイミングではないし得策でもない。なにより隼人の両手首には、銀色に輝く手錠がしっかりと嵌められているのだ。しかも、舞台は取調室。どう足掻いても選択コマンドには『我慢』の二文字以外なかった。
暴力に訴える替わりに、口を開く。自供ではない。被疑者に与えられる当然の権利を主張するためだ。
「弁護士を、お願いします。弁護士。フクロウ先生、呼んでください」
他称、フクロウ先生。
本名、森野福郎は、志摩隼人が唯一信頼している弁護士であり、同窓生であり、絶対無二の幼馴染であった。夜行性と位置付けて差し支えないほどの夜型人間で、昼間の行動は『微睡みながらサラダチキンを貪る』か『寝る』かの二パターンしかないにも関わらず、常に学年首位をキープし続けた憎たらしい男。隼人と福郎が共有した青春時代は高校卒業までだったが、噂では有名国立大学を首席で入学し、首席で卒業したらしい。司法試験も一発合格。全く、巫山戯た奴である。
夜型人間だったのと、頭脳の優秀さと名前から、福郎は周囲から「フクロウくん」と呼ばれていた。
『森の物知り博士』などと称され、親しまれる梟。その生態は、どことなく福郎に似ている。外見は梟と違ってモヤシのようにひょろりと細長いのに、普段の物静かさに反して鋭過ぎる一言で獲物を捕らえる様は、正に猛禽類のそれだった。
小学校五年生の時分。長年のネグレクトに加え暴力を振るう母親の所業を、自ら児相と警察へ通報するところも、梟っぽいなと思ったのは隼人少年だけの秘密だ。通報は全面的に賛成なのだが、証拠の揃え方がエグかった。可愛い愛娘を庇ってあげたい母親親族が、思わず「親不孝者!」と罵る程度にはエグかった。そこまで梟を意識しなくても良いのでは? と思った。けれど、福郎本人は「ありのまま証拠を並べて、息子から見た母親のプロファイリングを添えただけなのに。なぜ悪く言われるの?」と首を傾げるのだから、隼人は何とコメントするのが正解か分からなかった。結局、「ほっとけ」と素っ気ない一言しか返せなかったのが、十数年経った今でも悔やまれる点である。
そんな、実母に対しても容赦なく正義を振り翳せる奴だからこそ、隼人は福郎に弁護して欲しいと思ったのだ。アイツなら、事の真相を暴いてくれる。俺の無実を証明してくれる。そう信じて止まなかった。だから頼んだのだ。フクロウ先生を呼んでくれ。
「……僕を買ってくれるのは嬉しいんですけどね。アナタ、毎回『真犯人見つけてくれ』って言うでしょ。弁護士は探偵じゃないんですよ」
「まあまあまあ! 良いじゃない、別に。ね! 真犯人を見つけることが、依頼人の利益を守ることに繋がるなら、それもまた弁護士の仕事! そう思わない?」
「……中途半端に理解してる奴って、本当に面倒くさいなあ」
「おいこら、口の利き方」
依頼人に対して面倒くさいはないだろう。隼人は唇を尖らせて不満を露わにする。けれど、発言者は、まるで文句など聴こえないかのようにパイプ椅子を組み立てて腰を下ろした。
面会室に設置された時計は、午後二時九分を指している。福郎が草臥れた灰色のスーツの内ポケットから、高価そうな名刺入れを取り出す。慣れた様子で一枚だけ抜き出すと、面会人と被疑者を隔てる格子付きのアクリル板に立て掛けた。
「森野法律事務所から参りました。弁護士の、森野です」
「存じてます。俺が呼んだからね、名指しで」
「ただの形式だよ、形式って大事だよ」と言いながら、福郎は大学ノートを開き、ボールペンを取り出す。
「さて、隼人くん。君は、自分が置かれている事態のヤバさを理解していますか?」
答えはイエスだ。
志摩隼人は現在、幼女の誘拐と、幼女の母親を刺殺した殺人の嫌疑をかけられている。
「当然。あ、因みにやってないからね?」
隼人の主張に、福郎は「知ってる」と言い切る。
「何があったのか。大体は把握してる。隼人くんは五日前、隣のアパートに住んでいる栗栖ミクちゃんを、自宅アパートに連れ帰った」
五日前の、夕方のことだった。
その日は気温が低く、朝から雨が降っていた。日雇いの仕事を終えた隼人は、安物のビニール傘を片手に家路を急いでいた。別段、用事があったわけではない。自分の領域に帰って空腹を解消したかっただけだ。
隼人が借りている、二階建てのボロアパート。鉄骨とコンクリートで出来た階段の陰に、子供が屈みこんでいた。その子供には見覚えがあった。
「……全身ずぶ濡れで座ってれば、何かあったなって思うだろ。今時」
「そうだね。でも、それだけじゃなかったんでしょ?」
確信を持った問い掛けに、隼人の口元が緩む。嗤われたと勘違いしたのか、福郎の柳眉が僅かに顰められる。
「翌日、ミクちゃんを連れてミクちゃんの家に帰ったら、彼女の母親が死んでいた。死亡推定時刻に隼人くんと一緒にいたのは、ミクちゃんだけ。でも、幼稚園児の証言を鵜呑みにすることは出来ない。凶器に指紋はなし。両アパートに監視カメラはなく、周辺の住宅に設置されたカメラにも映っていない所為で、君のアリバイは証明されなかった。ミクちゃんを保護した経緯も、アリバイ同様に証明不可能。警察は『喩え近所の子でも、勝手に園児を家に連れ込む成人男性は黒』と考えている。まあ、気持ちは分からなくもないね。僕も最初は、限りなく黒に近いなと思った」
「酷いな」
隼人は苦笑いを浮かべながら、パイプ椅子の背凭れに体重をかける。ギィと嫌な音が鳴った。
「解せないのは、なぜ今日まで沈黙を貫いているのかだよ。起訴されないための黙秘作戦だと言うなら、確かに効果はある。けれど、じゃあ何でもっと早く
「んーまあ、それもある。あと、ミクちゃんが『お母さんはイジメられてるの』って言ってたからね。日本警察は優秀らしいから、もしかしたらーと思って」
福郎が「しょうもな」と呟いて、大学ノートを閉じる。
「……なあ、ちゃんと俺の供述メモってくれた?」
「供述と言えるほど喋ってないでしょ。というか、警察をおちょくるの辞めたらどうだい。いつか本当にムショ行きになるよ。いや、一層の事、今回入っちゃえば? 面会には行くから。暇があれば」
「わあ、毒舌」
夜型人間の福郎は、眠気が増せば増すほど毒舌になる悪癖があった。午後とはいえ、まだ二時台。本音としてはお気に入りのベッドに潜って、ぐっすり眠り込んでしまいたいのだろう。
欠伸を噛み殺した福郎が、のろのろと荷物を片付ける。『面会終了』の合図を出す姿を眺めながら、隼人は「フクロウ先生」と呼びかけた。
「真犯人、見つけてくださいね」
「……隼人くん、どうしていつも僕に頼むんです。友達だから?」
「そうだね。友達だし、フクロウ先生が切り札だから」
切り札は最後に出すものだろ?
隼人がやや胸を張って言うと、福郎は心底嫌そうな表情で「ドヤ顔うぜえ」と零した。
面会から二日後。時刻は午前九時六分。隼人は警察署の出入り口で背伸びをしていた。自動ドアの横に立つ、仏頂面のお巡りさんに一礼して歩き出す。
敷地を出て直ぐの所に福郎が立っていた。前回とは微妙にデザインが異なる灰色のスーツを纏った、頼りない体躯。まともに開いていない瞳はやっぱり眠そうで、けれど寝ないようにしているのだろう。瞬きの回数が多かった。
隼人の存在に気付いた福郎が、「あ、隼人くん」と覇気のない声を出した。呼びかけに答えるように、隼人は上げた右手を軽く振りながら歩み寄る。
「どうも、フクロウ先生。案外遅かったね」
「あー……うん。事務所の近くにフクロウカフェが出来てね。遊びに行ってた」
「嘘だろ、依頼人よりフクロウ優先?」
「正確には『弁護』の依頼じゃないので良いかなと」
確かに。隼人は福郎に、本業──弁護士としての依頼はしていない。
「苦労しました。父親による、ミクちゃんの母親へのDV及び殺害の証明。アリバイ偽装の看破。エトセトラ。……どう考えても弁護士の仕事じゃねえよ。詳細を説明するのも面倒くさいわ」
弁護士の仕事も、刑事の仕事も、探偵の仕事も、隼人は知らない。難しいことはもっと知らないし分からない。だから、福郎の言う「詳細」とやらを説明されても絶対に理解できないだろう。
でも、志摩隼人は一つだけ知っている。森野福郎は自分の優秀さを自覚しているし、正義を振り翳す時は容赦がない。相手が誰であろうとエグい手段に打って出られる奴なのだ。
「とか言って、燃えたでしょ? 昔が脳裏を掠めて」
「……うるさいよ」
福郎は隼人の尻を軽く蹴り上げると、ゆったりと歩み始める。恐らく、最寄りのメトロ駅へ通ずる階段へ向かっているのだろう。隼人も彼の後ろ姿を追う。
「でも、マジで今回は感謝してる。下手したら刑務所行きだった。ありがとう。報酬は幾ら出せば良い?」
「金はいらないです。その代わり、フクロウを買ってください」
「……え、それは止したほうが良いんじゃないかな。覚えてない? 昔、ハムスターをレンチン──」
「その話題を出すなら、二度と助けてやらない」
(了)
切り札はフクロウ先生 吾妻燕 @azumakoyomi
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