夢十夜 ―― The Ten Nightmares ――

狸穴醒

夢十夜 ―― The Ten Nightmares ――

   第一夜


 こんな夢を見た。


 三階の教室に入ると、後ろのほうに女子が何人か固まっている。

 僕は彼女たちの脇を通り過ぎようとしたのだが、意外なものを目の端に捉えて足を止めた。


 他の子に肩を支えられ、坂口さかぐち麻耶まやが泣いている。

 麻耶の瞳に浮かんだ涙はきれいだったけれど、僕は気まずさを憶えてそっと離れかけた。


「どうして……」

 震えを帯びた麻耶の声。僕はどきりとする。

 彼女を囲んだ女子たちが言う。

「駅のホームから落ちたんだって」「自殺じゃないの?」「こんな身近で……」

 不穏だ。誰かが死んだ? うちの大学の誰かなのか?


「えっ、急性アル中だって聞いたよ」

「トラックに轢かれたんでしょ?」

「アパートのガス爆発じゃないの?」

「東京湾に浮かんだって」

 女子たちはてんでばらばらなことを言う。麻耶が顔を覆って、また泣き始めた。

「なんで……鹿島かしまくんが死ななきゃならないの」


 なんだと。死んだのは僕なのか?

 そんな馬鹿な。僕が死んで、麻耶が泣くはずがない。

 いやそこじゃない。そうじゃなくて、じゃあここにいる僕は誰なんだ?


 どこかでフクロウが、ほう、と鳴いた。




   第二夜


 こんな夢を見た。


 夜だった。新宿西口の風景に似たビル街を、僕は走っている。

 ときどき銃声が聞こえて、近くの壁が弾け飛ぶ。僕はハリウッド映画よろしくビルの壁に背をつけて様子を探り、闇を走り抜けた。

(あいつらに見つかったら、殺される)

 あいつらとは誰なのか、僕がなにをしてしまったのか、それはわからない。


 すぐ目の前でアスファルトに銃弾が跳ねた。

 僕は反対向きへ走り出す。けれどそちら側の壁にも銃が撃ち込まれる。

(居所が、バレてる)

 胃の奥が痛む。


 不意に視界が暗くなった。

 顔を上げると、ビルとビルの間の細い灰色の空を、白い翼を持つ巨大なものが飛んでいくのが見えた。

 それは翼竜のようでも鳥のようでもあり、変に明るい空を背景にして悠々と翼をはばたかせていた。


 どこかでフクロウが、ほう、と鳴いた。




   第三夜


 こんな夢を見た。


 駅から大学に続く商店街を、僕は歩いていた。

 途中、道沿いに長蛇の列ができているのを見つけた。列は緩やかに下る坂の向こうまで続き、先が見通せない。

「今日こそ買えるといいね」「楽しみだねー」

 並んでいる人々は楽しそうだ。レアものを売っているのだろう。食べ物とか。


 列の中に坂口麻耶がいた。

 淡い黄色のブラウスと、デニムの膝丈スカート。控えめな化粧がよく似合う。同級生の相原あいはらなどは「ああいう普通っぽい子はわかんねえぞ」などと言うが、僕はそうは思わない。


「坂口さん」声をかけると、麻耶は僕を見て微笑んだ。

「鹿島くんだ。これから授業?」

「うん。坂口さんはなにしてるの」

 麻耶は両手を広げ、嬉しそうに笑う。

「あのね、■■を買おうと思って!」


「……なに?」「■■だよ」「ごめん、もう一度」「だから、■■……」

 麻耶は首をかしげ、心配そうに僕を覗き込んできた。

「鹿島くん、大丈夫?」


 どこかでフクロウが、ほう、と鳴いた。




   第四夜


 こんな夢を見た。


 地下鉄に乗っていた。

 僕は鞄を抱えて立っていた。隣に相原がいたけれど、漫画雑誌を読んでいて僕に構う様子はない。

 電車が揺れ、目の前にいたスーツ姿の若い女性が僕に倒れ込んできた。

 女性に睨まれ、僕は慌てて「すみません」と言った。


 女性は口の中でつぶやいた。

「へげらせだわ」


 いま、なんと?

 しかしそれきり彼女は沈黙した。


「……相原」小声で尋ねてみた。「今の人、変なこと言ってなかった?」

「そうか?」

 相原はぴんときていないようだった。


 少しして、近くで吊り革に掴まっていた三十代くらいの男性が一緒にいた男性に言った。

「こないだ、へげらせがさ」「マジで?」

 なんなのだ、それは。


 僕の後ろで「へげらせ……」と誰かが言った。声からして老人だと思う。

 振り向く前に、左からも聞こえた。

「へげらせ」

 気づくと地下鉄の中は、乗客が口々に「へげらせ」と言う声でいっぱいになっていた。


「おい、大丈夫か?」

 相原に言われ、僕は弱々しく首を横に振った。彼は眉をひそめて「へげらせ」と言った。


 駅に到着すると乗客はみんなホームへ出ていった。相原もだ。

 僕だけが、車内に取り残された。


 どこかでフクロウが、ほう、と鳴いた。




   第五夜


 こんな夢を見た。


 眠かった。昨夜、ソシャゲのイベントを終わらせようと頑張りすぎたせいだ。

 あくびをしながら校舎前の掲示板を見ると、次の教育心理学の授業は休講だった。

(ラッキー)

 踵を返しかけたが、九十分間を無為に過ごすのはしのびない。休講の教室なら誰もいないはずだ。僕は寝場所に使わせてもらうことに決めた。


 二階は静かだった。どの教室からも人の気配がしない。

 目的の教室は突き当たりの円形大教室だ。僕は正面の大扉を開いた。


 真っ暗だった。

 昼の一時過ぎなのに、窓にかかった暗幕の隙間から差し込む光も見えない。

 しかも教室に詰まった闇は、もやもやと蠢いているようなのだ。よく見るとそれは細かな羽虫が、群れをなして飛んでいるのだった。


 きぃん、と頭痛を催す音が聞こえて、僕は頭を抱えた。

 どこかでフクロウが、ほう、と鳴いた。




   第六夜


 こんな夢を見た。


 学生会館のラウンジで、僕は穴だらけのソファに座っていた。古びた大きな窓の外では雨が振り、雨音が静寂をいっそう強調した。


「雨だね」

 僕が言うと、背中合わせのソファに座った坂口麻耶が「ずっと雨だよ」と答えた。

「鹿島くんも知ってるでしょ? 昨日も、おとといも、その前も、その前も、一週間前も、一ヶ月前も雨だよ」

 麻耶の声には、歌うような独特の節があった。

 僕は急に、彼女の顔を見たいと思った。けれど今の状態では反対側に回り込んで覗き込むしかない。それはあまりに不自然で気が引ける。

「雨だから、みんないなくなっちゃったんだよ」

「そう……だっけ」

「そうだよ。雨だもの、仕方ないよね」

 麻耶が立ち上がった気配がした。

「わたしも、もう行かなくちゃ」


 振り向くと誰もいなかった。

 どこかでフクロウが、ほう、と鳴いた。




   第七夜


 こんな夢を見た。


「そっち行ったぞ! 気をつけろ!」

 しわだらけの小鬼が襲いかかってくる。僕が杖を振ると、雷撃が走って小鬼が倒れた。

「やるじゃん、さすがだな」

 剣を腰の鞘に収め、僕の背中を叩いてくるのは相原だ。


 僕らはいつの間にか、広い室内にいた。赤い絨毯が敷かれ、壁には金の装飾のある白い円柱が並んでいる。

「ぼーっとすんなよ。姫様からお褒めの言葉がもらえるんだぜ」

 相原に言われて、僕は背筋を伸ばす。


 正面の赤いカーテンをくぐって、白いドレスを着た女性が出てきた。彼女は僕らの前に立つと、映画に出てくる貴婦人のように膝を折ってお辞儀をする。

 よく見ると、彼女の顔は坂口麻耶なのだった。


 姫君は相原の手をとり、うやうやしく額に押し当てる。僕は落ち着かなかった。

 次に麻耶は僕の顔を見て、こう言った。

「――どなたですか?」


 僕は叫んだ。声の限りに。

 どこかでフクロウが、ほう、と鳴いた。




   第八夜


 こんな夢を見た。


 真っ白な部屋にいた。

 部屋は僕のアパートより狭い、たぶん四畳半くらい。小さな窓から外を覗くと、紫色の空と、遥か下にある森が見えた。


 僕はそこに長い間いたように思う。いい加減うんざりして、どこかへ行かないといけない気がした。

 それで僕はある夜――ずっと空が紫色なので昼も夜もわからないのだが――逃げ出すことに決めた。


 この場所は塔のようなものらしかった。窓のへりを超えて、外壁にしがみつく。下を見ないようにしてゆっくり降りていくと、意外とうまく降りられた。


 と、不意にどこかから白い鳥のようなものが飛んできて、僕の顔にぶつかった。

「あっ」


 紫色の虚空を、僕は真っ逆さまに落ちていった。

 どこかでフクロウが、ほう、と鳴いた。




   第九夜


 こんな夢を見た。


 真夏だった。僕はどこかの屋上のような場所にいた。日差しがじりじりと照りつけている。

 小学校にあったような給水塔の脇に、ピンクのTシャツにジーンズを履いた坂口麻耶が立っていた。


「鹿島くんはさ」麻耶は言った。「どうしてわたしなの?」

 僕は答えた。「どうしてって言われても……わかんないよ」

「そっかあ」

 麻耶は特に感銘を受けた様子もなく、僕にくるりと背を向けた。セミロングの髪が、夏空に揺れる。


「わたし、物事には必ず理由があると思うんだ。『なんとなく』なんてこと、ほんとはないと思う」

「そうかな。無意識でやっちゃうようなこともあると僕は思うけど」

 麻耶が再びこちらを見た。彼女は微笑んでいた。

「それが、鹿島くんの考えなんだね」


 どこかでフクロウが、ほう、と鳴いた。




   第十夜


 こんな夢を見た。


 森の中を歩いていた。

 濃紺の空に星が瞬き、木々が黒いシルエットを作る。

 僕はこの場所に来たことがあるような気がしたけれど、それがいつのことなのか、どうしても思い出せなかった。


 地面には石畳が敷かれ、足元に一定の間隔で灯りが点っていた。灯りは釣鐘型の花で、呼吸するように明滅しているのだった。


 やがて、広場のような場所に出た。

 広場の真ん中に鳥籠があった。鳥籠の中には白い大きな一羽のフクロウがいて、静かに翼を広げている。


 僕は鳥籠に手を伸ばした。

 手が触れたとたん、鳥籠はテントの骨組が抜けたようにはらり、、、と崩れた。


 籠から開放された白いフクロウは、僕を大きな目でしばらく見つめていた。それから女の声で、こう言った。

「まだ、わたしを探してるの」


 フクロウは坂口麻耶の姿になると、背中に生えた白い翼をはためかせてどこかへ飛び去ってしまった。


 フクロウはもう鳴かなかった。

 あれきり、おかしな夢は見ていない。

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