デタラメなお守り
PURIN
デタラメなお守り
「いつまで人の部屋にいんの。もう寝な」
新しい私の部屋の隅。私が前の家から持ってきた本を読んでいた弟は、緩慢な動作で振り返った。
「うーん」
純粋な合意とは思えない返答。への字に曲がった唇。
「何、どうしたの?」
「……お化け、出ない、かな……」
恐る恐るといった、消え入りそうな声。
思わず吹き出してしまった。小3って、まだまだ子どもだな。そう思った。
「出ない出ない。お化けなんかいないよ。ほら、早くおやすみ」
無理やり立たせようとしたが、うまくいかない。
「本当? 本当に出ない? お化けいない?」
念を押すように訊いてくる。
内心ため息をついた。
本当怖がりだなこいつ。たしかに今日から新しい家で、しかも今まで両親と寝てたのが一人で寝るってことになったら不安もあるだろう。それにしてもこれはビビりすぎだって。隣の部屋には私もいるのに。
大体お前、昼間親に大丈夫か訊かれた時、胸張って「平気!」って答えてたくせに……
さっさと追い出して寝たかったから、私は……
どうしたんだっけ。
「偉そうなことは言えないけど頑張れ。堂々としてりゃ意外と何とかなるもんだよ」
自分が就活で苦戦したことを思い出しながら、第一志望の企業の最終面接に向かう弟に声をかける。
しゃがみ込んで靴に足を通す背中から返ってきた「ん」という単語。1文字という短かさの中にも、20年近く共に育ってきた者には分かる緊張感がにじみ出ていた。
靴を履き終え、バッグを手にした弟は、しかししばしこちらに背を向けたまま動こうとしなかった。
どうしたのか尋ねようと口を開いたのと、弟の声が耳に届いたのは同時だった。
「引っ越した日の夜さあ、覚えてる?」
「あ?」
唐突な問いに戸惑ったが、少し考えて答えた。
「お前がお化け出るって大騒ぎしたこと?」
「大騒ぎってほどじゃなかっただろ」
苦笑するような声が、そのまま続ける。
「まあ一人で寝るのが怖いって言ったのは事実だけど…… その時にさ、あんた僕に何したか覚えてない?」
続けながら、バッグからスマホを取り出す。
「……『後で行く。必ず行く』って誓っといてすっぽかしたやつだっけ?」
「それは別の事件…… これだよ」
スマホの画面が、私の鼻先に突き出された。
映し出されていたのは、横書きの罫線のあるノートらしき紙に描かれた絵だった。
いかにも子どもが描いたような、下手くそな絵。頭部らしき丸い部分があり、目らしき黒い丸が2つと、その下に口らしきオレンジ色の逆三角形が描いてあるので何かの生き物らしいが、何なのかは判別できない。
「何これ、お前が描いたの?」
「なんでこの文脈でそうなんの。あんたが描いてくれたんだよ」
「私が?」
「そう。怖がってる僕に『フクロウって、夜に起きてるでしょ? だから夜寝る時にフクロウの絵を持っておくと、お化けが来ても追い払ってくれるっていう言い伝えがあるんだよ』って」
そう言われれば、そんなデタラメを吹き込んだ気もしてきた。
「ああ…… でもあの時、眠くて早く追い出したかったから適当なこと言ったんだと思う」
「分かってるよあんたの性格は。でもあの時の僕は信じた。嬉しかった。本当に寝てる間に怖いものを追い払ってくれる、強力なお守りをもらった気がしたんだ。
あの夜はあれだけ怖かったのが、嘘みたいに安心して眠れた。それで、ああ、この絵は本物のお守りなんだって思った。
それからは何年かこの絵と一緒に寝てた。ある程度成長して、あんたのハッタリに気付いて一緒には寝なくなった。でも、学校でテストとか人前での発表とか、何か重要なことがある時は持って行ってチラチラ見るようにしてた。
何となく落ち着いたんだよね。不思議な力も何にもない、ただの下手な絵なのは分かってるのに、悪いものを追い払ってくれそうな気がした。元々は嘘であったとしても、あの日僕を安心させてくれた絵は、怖がる僕を今でも安心させてくれるんじゃないかって。
まあ、この歳になったら流石に頼ることもなくなったけど…… 今日は久々に持って行くよ。無くしたくないから写真で、だけど」
やっと振り向いた弟は、緊張している時の顔で、でも照れたように少し笑ってもいた。
「……ふーん」
「何だよ、バカにするならすれば?」
「じゃあ一言」
「あ?」
「行ってらっしゃい」
「……ん、行ってきます」
デタラメなお守り PURIN @PURIN1125
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