オオズカリフクロウ

松宮かさね

オオズカリフクロウ

 オオズカリフクロウを知っていますか?

 ……知らないんですか。お兄さん、この辺の方じゃないでしょう?

 ……ああ、やっぱりね。

 そうです、そのフクロウです。鳥のフクロウで合ってます。


 この辺にしか生息していないとも言われている、とてもめずらしいフクロウなんです。

 もっとも、普通のフクロウじゃないかもしれないんですけどね。

 今の時代に馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、ここらじゃ古くから妖怪だって言い伝えられています。


 あ、ちょっと待って。それは待って。もう少しだけ聞いてくださいよ。ここからが大事なんです。


 まず「オオ」は大きいのオオですね。うわさによると、翼を広げると二メートルくらいあるそうですよ。

 大きな白いお面のような顔に、金の丸い目がぎょろりと輝いていて、瞳孔はまるで血のように真っ赤らしいです。


 ただ、やつらが行動するのは夜のみですし、あまりハッキリと姿を見た人はいないせいか、いろんなうわさ話のバージョンがあるんですけどね。

 顔が焦げ茶色で目は真っ白だったとか、柿色のくちばしにはたくさんの歯が並んでいたとか、羽の尾のかわりに蛇が生えているとか。


 それで、重要なのは「ズカリ」の意味なんですよ。

「頭」を「狩る」と書いて「頭狩」なんです。頭を「かる」と言っても、バリカンで刈るの方じゃないですよ。狩猟の狩です。


 なんとなく字面で想像できるかもしれませんが、このフクロウにはそれは恐ろしい性質があるんです。


 夜、音もなく人の背後から忍び寄り、ふわりとした生暖かい風とともに、「ひゅっ」という笛のような音を残してゆくのです。

 もっとも、本当にその音を聞いた人がいるのかはわかりません。

 音がすると同時に、太い足に生えた鋭い鉤爪で、人間の頭をもぎとってゆくのですから。


 だから、オオズカリフクロウ。


 馬鹿げてるって? そうでしょうね。そうそう信じられる話じゃないですよね。

 オレも今日までは信じていませんでしたよ。子どもが夜遊びをしないように、昔の人が考えたんだろうなあ、とか思ってね。


 余談ですが、小さい頃は「オアズカリフクロウ」だと思いこんでたんですよ。親切でなにか物を預かってくれる、童話に出てくるかわいいフクロウ博士みたいなものを想像してました。

 中学んときに真実を知ってショックでしたよ。オレの心の中のフクロウ博士が死んだ瞬間でした。


 実は……今でもあるらしいんですよ。頭狩り。噂ですけどね。

 昔に比べるとフクロウも棲みにくくなったのか、最近の目撃例なんてごく少ないことは確かなんですが。

 たしかな記録としては、昭和三十年代のものが伝わっているんですよ。どこが最近なんだって? まあ、少し聞いてください。


 この集落に住んでいた父親と幼い息子が、ある日、隣町の実家に用事で出かけて、すっかり帰りが遅くなってしまったんです。

 この辺、今でも街灯なんて少ないですが、当時はもっと真っ暗だった。

 小さな子どもを背負った父親が、懐中電灯の灯りを頼りに、神社の裏のこんもりとした鎮守の森と田んぼとに挟まれた細い夜道を歩いていた。


 夜も更けたので、子どもはすっかり眠っている。月もない夜、舗装されてない道をざりざり踏みしめながらひとり行くのは、大の大人であってもいい気はしなかったでしょうね。


 もうすぐで着くな。急ごう。


 そう思い歩みを早める父親の首筋にふわりと生暖かい風がかかったかと思うと、同時にひゅっと奇妙な音が聞こえたのです。


 なんだろう?


 不思議に思いましたが、特に何も異変は感じられなかったので、そのまま歩き続けました。

 疲れてぐっすり寝ている子どもを、早くあたたかな布団に寝かせてやりたかったのです。


 しかし……。なぜだろう、どこか違和感がある。歩みを進めるごとに、理由もわからないまま胸の鼓動が早まっていくような、得体のしれない不安が募りました。

 そういえば、歩き続けて自分もたいがい疲れているはずなのに、背中の子どもが妙に軽くなった気がしないか。眠っている子どもとは、こんなに軽いものだったろうか?


「もうすぐ着くからな」


 父親は背中に話しかけました。少し待ってみても何の反応もありません。

 砂道を踏みしめる自分の足音以外は何も聞こえず、やけに静かです。


 そこはかとない胸騒ぎが、いや増しました。


 父親は立ち止まると、小声で息子の名前を呼びながら、ゆっくりと首を後ろに傾けました……。





「話はそれだけだね」


 若者の語りが途切れたすきに、警察官は真顔でそう切りこんだ。口調は事務的でおだやかなものだが、その声には容赦のない冷たさがあった。


「早く免許証出して。あと電話番号も」


 山裾に広がる休眠中の田んぼを背にして、ぽつりぽつりと民家の点在する田舎の細道を、チカチカ点滅する傘つきの白熱電球が頼りなげに照らしている。

 シャッターの降りたタバコ屋の前に、二台のバイクが縦に並んでいた。後ろにつけている方は白バイだ。


 前のバイクの持ち主である大学生風の若者は、しぶしぶといった態度で免許証を差し出した。


「ほんと、家を出るときヘルメットは被ってきたんですよ。オレも信じられなかったけど、でも、走ってるとひゅって音がして。なくなってて。びっくりですよ」


「フクロウが持っていったと? ヘルメットを?」


 メモをとる手を止め、警察官が厳しい目を向ける。青年は視線をそらして、もごもごと返事をした。


「いや、まあ、後ろからだったのでよくわかんないっすけど……」


 若者は側頭部の髪をつかんでイライラといじくりながら、必死に言葉を考えている様子だ。


「でも、ヘルメット被っていて良かったですよ。もしあれが無かったらオレの頭はどうなってたか」


「はい、これ」


 警察官は免許証を返すと、ペンを胸元にしまった。


「ノーヘルも駄目だが、作り話でごまかす態度はもっと良くないよ。あれだけの話をとっさに考える才能はすごいがね。反省してないのかと思われるよ」


「いや、ヘルメットはほんとしてた……気がしたし。すぐそこだったし、こんな田舎だし、いいかなって……」


 次第に小さくなる声でふわふわとした言い訳を述べたあとで、観念したように若者は頭を下げた。


「ごめんなさい。二度としません」


 立ち去る間際、ハンドルに手をかけると、警察官は軽く笑いながら声をかけた。


「気をつけて帰りなさい。もうフクロウから守ってくれるヘルメットもないんだから」


 薄い雲に覆われた月のおぼろに輝く夜空の下で、二台のバイクの明かりが、それぞれ別の細道を遠く照らして走り去って行った。

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