オウルの館
三谷一葉
オウルの館
その魔女は、村の外れの森に住んでいる。
昼間でも陽の光が入らない、森の最奥。樹齢数百年はあろうかという大木の洞に、魔女は住んでいた。
足を踏み入れることすら躊躇われる険しい森だが、その魔女に出会うことができれば、どんな願いでも叶えられるだろうと言われている。
「殺して欲しい人間がいる」
その日、魔女の館に訪れたのは、三十になるかならないかぐらいの青年だった。
シワひとつない軍服に身を包み、背筋を真っ直ぐ伸ばして、正面にいる魔女を睨みつけている。気丈に振舞ってはいるが、その額には冷や汗が滲んでいた。
「それはそれは。穏やかではないな。何故人殺しを望む?」
小さな木製の机を挟んで、青年と魔女は向かい合っている。一歩外に出れば足元すら怪しい薄暗い森だが、魔女の館の中はところどころに吊るされたランプで照らされていた。
「それが正義だからだ。それで救われる者がいるからだ」
魔女は、異形である。
のっぺりとした平たい顔。大きく丸い瞳。腕からは淡褐色の羽が生え、足は細く鋭い鉤爪がある。成人女性と同じくらいの大きさで、声は艶やかな女のものだ。年齢はわからない。
「救われる者とは」
「この村の住人だ。私は正義を成すために来た」
人間とフクロウを融合させたような異形の魔女。人々は彼女をオウルと呼ぶ。
「人殺しが正義とは、ますます不穏じゃあないか。お前は誰を殺したいんだ?」
「この村の村長だ」
青年は呻くように言う。
「あの悪魔は、私利私欲のために村人たちを食い物にしている。今年は日照り続きで不作だった。それでも村長は容赦なく税を取り立てた」
「だから殺すのか」
「村人たちが飢えに苦しんでいる時に、自分はいつもと変わらない生活を送っているんだ。村の長として、許される態度じゃないだろう」
「ふむ」
オウルはひとつ頷いて、苦悩に満ちた表情の青年をじっくりと眺めまわした。
染みひとつない綺麗な軍服。鍛え上げられたがっちりとした身体。村人たちと同じように、飢えに苦しんでいるようには見えない。
「村長を殺すことが正義ならば、自分で手を下してやれば良いだろう。何故私を頼る?」
「見ての通り、私は外部の人間だ。この村を浄化するために来た」
「ふむ」
「この村は邪教に汚染されている。村人たちは正義を知らないのだ。悪魔に騙されている。だから、私が悪魔を倒すように呼びかけても、立ち上がってくれないのだ」
村人のために村長を殺そうとしても、当の村人に邪魔をされてしまう、ということか。
「正義のために悪魔を倒さねばならない。手段は選んでいられないのだ。だから、私は」
「なるほどな。よくわかった。…………いいだろう」
オウルは大きく頷いた。青年がぱっと表情を明るくする。
「わかってくれるか! …………え?」
だが、その顔はすぐに不思議そうなものになり────やがて、恐怖と苦痛に満ちたものへと変化した。
「え? え? なんで、なんでなんで、う、うわわあああああっ!」
無様に悲鳴を上げて後ろに飛び退き、上手く着地出来ずに尻もちをつく。その腹は、真っ赤に染まっていた。
青年のすぐ目の前に、血塗られた短刀を手にした少女が立っている。
小柄な少女だった。まだ幼い。十をいくつか過ぎたあたりだろう。
机の下に潜んでいた少女が、魔女の合図で飛び出して短刀を突き刺した。それを理解した青年が、赤く染まった腹を抱えて泣き叫ぶ。
「なんで、なんでなんで、わ、わわ、私は正義、正義のために…………!」
「一月前、血塗れの女がここに転がり込んできた」
オウルはのんびりとした口調で語った。一月前に起きた、哀れな女の悲劇の話を。
「まだ幼い娘を二人、両腕でしっかりと抱きしめたまま、女は言った。村に正義の使者が来た。正義のためだと言いながら、己の気に入らぬ者を片っ端から死刑にしていると」
女の夫は、正義感の強い人間だった。暴虐の限りを尽くす正義の使者に苦言を呈し、あっさりと死刑になった。遺された女とその娘たちも死刑になるところだったが、母親は死に物狂いで娘を奪還し、その足で魔女の館へと走ったのだ。
女の願いはただひとつ。娘たちを、正義の使者から守ること。そのための代償ならば、何でも払うと言った。
死刑になる前に受けた拷問のために、女の命は長くは無かった。己の死体をいくらでも好きにして良いから、娘たちを守ってくれと母親は魔女に懇願した。そして魔女は、女の願いを叶えると約束した。
「それからもうひとつ、私に願いを叶えて欲しいと言う者が現れた」
短刀を手にした少女が、青年の上に馬乗りになる。何のためらいもなく、彼女は凶器を振り上げた。
「遺された姉妹のうちの一人が、何としても母親の仇を取りたいと。自分の一生を魔女様に捧げるから、正義の使者を殺す機会が欲しいと、そう言ったのだよ」
青年の悲鳴が、魔女の館の中に響く。
憎い正義の使者が、物言わぬ肉塊になるまで、少女は短刀を振り下ろし続けた。
「もう、気は済んだのか」
「…………はい」
血溜まりの前に立ち尽くす少女にそう言うと、細い声が返ってきた。
「両親の仇を取ることができました。本当にありがとうございます」
自分の翼に返り血がつくのも構わずに、オウルは少女の細い肩に両手を置いた。出来る限り、優しい声で囁く。
「よくやった。これで怨みは晴れただろう。…………妹と同じように、ただの村娘になっても良いんじゃないか?」
「いいえ」
少女は首を横に振った。
「私の一生は、魔女様に捧げると誓いましたから。何なりとご命令ください」
「…………そうか」
全て忘れて村娘に戻れと命じれば、少女はオウルの元から去るのだろう。
だが────
(この子たちを、お願いします。この子たちだけは、幸せになって欲しいんです…………)
母親の最期の言葉がオウルの耳元で蘇る。
全身に返り血を浴び、虚ろな目をしたこの少女は、母親が死んだ時に泣かなかった。母の遺体にすがりついて泣く妹を、呆然と眺めていた。
「それがお前の願いなら、私はそれを受け入れよう」
少女を包み込むように抱きしめて、オウルはそっと目を閉じた。
オウルの館 三谷一葉 @iciyo
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