フクロウが僕らへと運ぶもの

成井露丸

フクロウが僕らへと運ぶもの

 手のひらの中の杉の木。その表面から、彫刻刀が小さな欠片を削り取る。そこからはフクロウの左眼になる予定の部分が覗いていた。


 まだ、それは「フクロウの眼が彫れた」と主張するには早すぎる代物だったけれど、「おお、僕、ちゃんと、彫刻できてんじゃん」と、微かな自己肯定感を得るには程良い進捗だった。


 針葉樹林に囲まれた山間やまあいの工房に、冬の終わりの陽光が、窓から差し込む。六つほど並べられた机。その上に、くっきりとした光と影のコントラストが作られていた。

 各机に備えられた四つずつの椅子。僕の斜め前の席を除いて、全てが空席だ。そこに座る女の子は僕の斜向かいで、黙々と彫刻刀を振るっている。


 日曜日、京都の市街地から愛車のシフォンを飛ばして二時間ほど、僕は山間やまあいの工房で開催される『フクロウ木彫り一日体験』にやってきていた。一日六千円で、完成まで指導してもらえるということで、「リーゾナブルだなぁ」、なんて思ってやってきたけれど、生徒は僕と目の前の女の子だけだった。


 ――じゃあ、俺ぁ、向こうで、別の仕事しとるけぇ、何かあったら呼びに来てくんなぁ〜


 そんなことを言って、初老の先生は、建て付けの悪い木の扉をガラガラと開けて、出ていってしまった。なんとも牧歌的な木彫り教室だこと。


 ――まぁ、嫌いじゃないのだけれどね。


 仕事柄、長期休暇をとれない僕が、日帰りの傷心旅行でやってくるには、こういう世間擦れしていない場所が、ちょうど良いのだ。


 一つ息を吐いた。さっきから集中しすぎていて、ちょっと疲れが溜まっていたようだ。

 僕は左手で掴んでいた木片を机の上に置いて、彫刻刀をその横に転がすと、両手を組んで上へと持ち上げる。

 「ん〜」と伸びをして、「ふへぇ〜」と息を吐いた。


 天井を見上げてから視線を下ろすと、杉の木から顔を上げた女の子と目が合った。

 斜向かいに座って、フクロウを彫り続けていたもう一人の受講生。

 白とカーキのボーダーシャツに、ベージュのパーカーコートを羽織っている。少し茶色っぽいミディアムの髪がパーカーのフードに触れて、広がっていた。右手には彫刻刀。


 お互いお一人様で、休日にこんな山奥の工房まで足を運んでいる若い男女。

 山の工房に一人っきりでやってくる、女の子の動機が気になったりはしたけれど、わざわざ話しかけるのも躊躇ためらわれていた。――躊躇ためらわれてはいたのだけれど。


「……進みました?」

 ついつい、ポツリと呟くように声を掛けて、彼女の手元に目をやる。

 白くて細い数本の指の間で、小さな木片は削られて、少しずつフクロウの概観に近付いているように見えた。その女の子は、僕の目と自分の手元を見比べると、苦笑気味に頬を緩めた。


「……ナカナカですねぇ」

「難しですよね?」

「難しいです〜。日頃、こういうこと、やらないので」

 彼女の困ったような表情。彼女も杉の木片をコトリと机の上に置くと、腕を左右に広げて伸びをした。パーカーコートの前が少しはだけて、ボーダーシャツの前面に形の良い胸の膨らみが浮かぶ。


「こういうのは、初めてなの? 木彫りの教室とか?」

「初めてですよ。完璧かんぺきに。こういうこと――彫刻とか? するのって、多分……高校の時の『技術』の授業以来だと思います」

 尋ねる僕に、彼女はおどけて答えた。僕は思わず笑い、彼女も相好そうごうを崩す。

 それから彼女は、右手のひらを差し出して「……えっと」と、止まった。たぶん、僕のことをどう呼んだものかと困っているのだ。


「僕は、剣崎けんざき――剣崎けんざきあらた。京都で働くしがない会社員だよ」

「私は、村瀬むらせ楓子ふうこっていいます。まだ、大学生なんですけれど、四月からは一応社会人です。……これでも」

 女の子はあどけない笑顔を浮かべながら、照れたように髪の毛先をつまんだ。なんだか自信なさげで、それでも、朗らかで。

 その様子が、僕に、もう居なくなってしまった、あの人のことを、少しだけ思い出させた。学生時代に好きになったあの人のことを。


 僕が「ちょっと休憩しようか」と声を掛けると、村瀬さんは「はい、そうですね」と、木の椅子から腰を上げた。青いジーンズから木屑が舞う。なんだか、スラリとしたパンツスタイルの似合う女の子だなって思った。


 温かいほうじ茶の入ったヤカンが、教室中央のストーブの近くに置かれていたので、僕は湯呑みを二つ手に取ると、お茶を注いで、その一つを村瀬さんに手渡した。


 二人でまだ熱い湯呑みを持って暖をとりながら、少しずつ口に運ぶ。彼女はストーブの前でじっと立ち、温かなほうじ茶を一口飲むと「ふぅ〜」と息を吐いた。僕は、机の端に体重を預けながら、その様子を微笑ましく眺めるのだった。


 ――やっぱり、どこか、大学生時代の、あの人に似ているなぁ。


 今は僕の親友と結婚して、ずっとずっと遠くに行ってしまったあの人に。


「……やっぱり、女の子が一人でこういうのに参加するって、……変ですかね?」

 彼女は視線を宙に浮かせて呟いた。

 人の目が気になる年頃なんだろうな。


「そんなことはないんじゃない? それを言ったら、僕だって同じようなもんだよ。休日に男一人で、こんなところまで来てさ。『一人で何やってんの?』って感じ」

「え〜、そんなことないですよ。剣崎さんはって感じですし、が、休日に、一人で木彫体験に来るとか素敵じゃないですか〜」

「いやいや。変わらないから。僕だってそんな、君に比べてってことは――ないよ」

「……そうですかねぇ?」

 首を傾げる村瀬さんに、僕は「うん、そうだよ」と頷いた。


 ――そうだよ、学生時代から何も変わっていない。全然、前に進めていないから。


「剣崎さんは、どうして、この木彫教室に? 私達、二人だけで、この木彫教室に来ている時点で、相当みたいですけど?」

 そう言って細めた彼女の目元に、可愛らしい皺が寄る。

 その言い回しが、僕には少しおかしくて、思わずくくっと笑ってしまった。


「木彫っていうのもなんだけどね。インターネットでここを見つけた時に『フクロウ』っていうのに惹かれてね。どうしても来たくなっちゃったんだ」

「あっ! 私もなんです! 木彫りって言うか『フクロウ』目当てなんですよね〜」


 そう言って急に目を輝かせる彼女。僕はそんな偶然の一致に惹きつけられた。


「へぇ〜。偶然だね。……でも、まぁ、僕は『フクロウ』に惹かれはしたけど、――本質的には、傷心旅行みたいなものなんだよ」

「えっ? ……私も、傷心旅行なんですが」

「えっ?」

 余りの偶然の一致に、僕らは目を見開いて、驚いた。

 そして、しばらくの間、じっと顔を見合わせたのだった。


 それから、僕らは、何故か、お互いに傷心旅行の理由を開陳かいちんすることになってしまい、――まずは、彼女が話し出した。


「私、男運が無いんです。大学生の間、付き合っていた男の子にもこの前、――フラれちゃって」

「……それは、ご愁傷さま」

「……どうもです。これでも、神様とかは大事にする方なので、縁結びの神様にお願いとか、してるんですよ。縁結びで有名な、貴船神社とか、出雲大社とか」

「いきなり『神頼み』じゃん。ポイント、そこ?」

 突っ込む僕に、村瀬さんは「そこは半分冗談ですけど」と微笑みながら続けた。


「でも、友達いわくですね。問題は、私に男を見る目が無いことらしいんです。もう、端的に『あんた、馬鹿?』って言われましたよ。つい最近」

「……そりゃ、歯に衣着せない友達だね」

「まぁ、それだけ、親友ってことだと思うんですけどね」

 そういう風に思えるのは素敵なことだと思う。


「それで、フクロウなの?」

「そう。このフクロウが私のなんです。神頼みの」

 そう言って、彼女はほうじ茶を抱えたまま真剣な表情で頷いた。


「切り札?」

「剣崎さん、知ってます? ギリシャ神話で、フクロウは知恵の女神アテナの象徴なんですよ? このフクロウを彫って、私は知恵の女神の加護を得るのです」

 そう言う彼女の真剣さが可笑しくて、僕はついクククっと笑ってしまった。

「あ、笑いましたね!」

 そう言って怒る彼女も、どこか楽しそうだ。

「ごめんごめん。日本の神様が恋を叶えてくれなかったから、ギリシャの女神に知恵を願うんだね」

 彼女は「はい」と屈託なく頷いた。

 ――それもまた良いのかもしれない。


「剣崎さんは?」

 首を傾げる彼女に、僕は神妙な面持ちになる。


「僕の方は、ちょっと、重いけど……大丈夫?」

 一瞬、村瀬さんは戸惑いの表情を浮かべたけれど、「剣崎さんが、大丈夫なら」と頷いた。


「僕にとっても、このフクロウはみたいなものなのかも。……ずっと好きだった人を、自分の中に繋ぎ止めておくための」

 そう言って机の上の木片に視線を落とす僕に、パーカーの彼女は問い掛ける。


「……その人は?」

「ポーランドの伝承でね。既婚の女性が亡くなると、フクロウになるって言われているんだ」

 温かなほうじ茶を両手で抱えたまま、村瀬楓子は視線を上げる。

 瞳には慈しみ深い光が揺蕩たゆたっていた。


「その人って……剣崎さんが好きだった人なんですか?」

「うん。とってもね」


 ずっと好きだった。

 大学生時代に出会ったあの人。彼女が僕の親友と恋仲になって、あいつと結婚して、それを祝福しても、それでも、やっぱり好きだった。

 そんな彼女が、この冬に、この世を去った。ずっとずっと遠くへ。


 だから、さすがに卒業しなくちゃなって思ったんだ。

 彼女との思い出をフクロウの中に閉じ込めに、そして、新しい何かを探しに。

 そんな理由で、この木彫教室へやってきたんだと思う。


「私たち、似たもの同士なんですかね?」

「そうなのかもしれないね」


 そう言って、僕らは笑い合った。

 二人の間に流れる空気に、居心地の良さを感じながら。


 ここは日本。

 ギリシャでも、ポーランドでもない。

 フクロウは福来郎ふくろう。幸福を連れてきてくれる、縁起の良い動物。


 机の上では、杉の木から半分だけ顔を出したフクロウが、暖かな陽光を浴びていた。

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フクロウが僕らへと運ぶもの 成井露丸 @tsuyumaru_n

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