ストラップ

大野葉子

ストラップ

 何を見ても楽しくないな。

 土産物店の棚の間で晴香はため息をかみ殺す。

 周りではクラスメートたちが賑やかに小物や菓子を物色しているのに、晴香はるかは一人、所在なくたたずんでいる。

 楽しいはずの修学旅行の買い物タイム、何故こんなことになっているのか、その理由を聞けば多くの人が晴香に共感あるいは同情してくれるのではあるまいか。だからと言って自らその理由を声高に触れ回るようなことはしないけれども。


 初日の夜を迎えた時点では晴香にとっても楽しいイベントであったのは間違いない。その夜の宿でクラスメートが何の気なしに口にした一言で晴香はどん底にたたき落とされ、眠れない夜を過ごした。

 そして明くる朝。晴香は目の当たりにした…出来上がったばかりの若い恋人同士が二人仲良くお手てを繋いで人目を避けるように別の路地へ消えていくところを。

 友人の口にしたニュースが事実であることを不本意ながら晴香は認識した。

 要するに晴香は失恋してしまったわけである。


 何を見ても頭に入らないし何を食べてもさして美味しいと思えない。始終あの二人のことがちらちらと頭をかすめて心を苦くする。

 決定的場面を目撃したその時には「あ、終わったな」と思っただけで失恋の現実を淡々と受け止めきったような気がしていた。せいぜい小指の先がすうっと冷たくなるくらいだった。が、してみると実際にはきちんと衝撃を受けていたようだ。あるいは現実として受け止める作業は遅れて始まるものなのかもしれない。

 実のところ目撃から一晩を経た今の方が堪えるものがあった。


 だめだ、何も欲しくならない。


 今度こそため息をひとつつくと、友人に先に出てるねと言い残して晴香は店を出た。

 天を仰げば梅雨の晴れ間の太陽がぎらぎらじりじりと照りつけている。

 梅雨らしく雨でも降ってくれたほうが晴香としては感傷に浸りやすくて都合が良かったのだが、もう夏になってしまったかのような太陽に情け容赦なく照らされていると悲しみに泣き崩れる自分よりも熱中症で動けなくなる姿のほうがリアルに思い浮かんでしまう。

 結局どこかの店を冷やかしているくらいしかこの時間を健康的に潰す術はないのだ。

 晴香はまたため息をひとつついて一人、隣の店へ入る。

 しかしそこにも心を弾ませるような何かは見つけられず、さらに隣の店、また隣へと晴香は移動を重ねた。

 なんだか意地にもなってきていた。

 楽しいはずの修学旅行、旅の思い出に残りそうな品物を買うという段に来て心踊るものも見つからないし、昨日今日と見学はほとんど上の空で何も印象に残っていない。

 このままではわざわざ遠方まで泊まりがけで出掛けて失恋しただけで気がついたら自宅に帰っていた、しいて言えば旅の思い出は新幹線車中でのトランプと失恋かな!…という事態になりかねない。

 それではあまりにも自分が不憫だ。

 それは嫌だなと思いながら晴香が入った店は他よりもこじんまりとした土産物店で、やや暗めの店内に木彫りの作品がたくさん並んでいた。

 品揃えは全体的に大ぶりで、女子高生の経済事情では明らかに予算超過の置物などが目立つ。どちらかと言えば地味な木彫りの民芸品から侘び寂びといった情趣を汲み取って愛でられるほどの鑑賞眼の持ち合わせも今のところない晴香としては明らかに用のない店だったのだが、壁沿いの一角で足が止まった。

 目に留まったのは色とりどりの細い紐だった。

 紐の上に手書きの貼り紙が一枚。


「お好みの動物でこの世にただひとつの根付を作れます」


「根付」の文字の上には「ストラップ」と強引なフリガナが振られており、「付」の文字のナナメ下にはそれこそ強引に「等」と小さく書き足されている。

 肝心の動物とやらは貼り紙の下に置かれた籠の中にあるようで、小指の先ほどのサイズの木彫りの動物が無造作にたくさん入れられていた。

 ひとつ手に取ってみると、それは猿を象ったものだったが、ごく小さな作品なのに細部までとても細かく彫られている。顔の皺に手指の爪、小さな目は「光らせている」という表現がぴったりだし、毛並みは艶まで感じさせる。

 一方で籠の中の作品にはこれは…猫?というようななんだかよくわからないシンプルすぎるものもたくさんある。よく見るとひとつの籠の中に出来映えの差がありすぎる商品がいっしょくたに入れられているのだ。

 鱗も輝くような鯛、雑な蛇、寸胴の象、犬っぽい兎、埴輪の百倍あっさりした馬、精巧な蝶…。

 潰れた三角錘に線が三本と点が二つの蛇と、実物よりも緻密な紋様に細かい足や口まである蝶が同じ値段というのはいくらなんでも理解に苦しむ。

 だが一見で何者か判別できない品はどうしても気になってしまい、真剣に見てしまう。

 四つ足に丸い顔から細い平行線がシュッと伸びているこれは…


「…鹿?」


 うっかり漏らした声に、奥のレジにいたおばちゃん店員が愛想良く声をかけてきた。

「あらあら、ゆっくり見ていってね、その籠、何だかわからないものも多いけどね、気に入ったのがあればストラップにしますよ。」

「あ、はあ。」

 間抜けな返事になってしまったのは籠の中にはよくわからないものが多いとあっさり認めてしまう店員に面食らったせいだ。

 気を取り直してつるんとした丸っこい一品をつまみ上げる。

 カッパかな?

 ギョロっとした目玉と頭の皿は辛うじて判別できる。

 細い手足を小さく畳んで体育座りにした姿はなんだか惨めで少し滑稽で、でもどこか憎めず可愛らしいと思った。


 あ、今日初めて可愛いとか思ったな。


 心を動かされたことに晴香はちょっと驚いた。

 意地になって店を回るうち、今日初めて可愛いと思えたものを買ってやるのだと思っていた(もちろんお小遣いで買える範囲内でという但し書きがつく)。

 だって本当に辛かったのだ。何を見ても何をしても何を食べても心に響かないことが。すぐにあの二人のことが脳裏をちらついて何を聞いても上の空で、友人たちと話したことも覚えていない。

 そんな状態でも素敵だなと思えるものがあれば前向きになるきっかけに、失恋のショックから立ち直るきっかけに、自分のために買いたいなと思った。

 後から振り返れば修学旅行で何故微妙なカッパなんかを買ったのかと思うかもしれない。

 でも、今の自分にはこのカッパが、心を動かしてくれたこの正直変なカッパが必要に思われるのだ。

 これからあの二人のことが頭をよぎったらすかさずこのカッパのことを考えるのだ。この体育座りのカッパのギョロ目を思い浮かべれば似ても似つかないあの二人の面影は頭から消えるはず。ついでにちょっと笑える気分にもなっちゃうはず。

 ほら、なかなかの名案ではあるまいか。


「これください。」

「はい、こちらね。ありがとうございます。ストラップにします?」

「お願いします。」

「はい、紐はどれにします?」

「じゃあ赤で。」

「はい、ありがとうございます、600円です。」

 おばちゃん店員はニコニコと応対すると手際よく金具や紐をカッパに取り付けていき、あっという間に奇妙なカッパのストラップが完成した。


 出来上がったストラップを小さな紙袋に入れるとおばちゃん店員はこう言った。

「フクロウは幸福の象徴なのよ。持ち歩いていればいいことがあるわよ。修学旅行でしょ?楽しんでね。」

 おばちゃんは店の外まで見送りに出てくれた。


 おばちゃんの姿が店に引っ込んでさらに数メートル来た道を戻ったところで晴香はぽつりと呟いた。

「フクロウだって。」

 歩みを止めてまた呟く。

「フクロウ…。」

 また口を「フ」の形にしようとして、それはそのまま含み笑いに変わり、ついに堪えきれない大笑いに変わった。

「見えない!見えないよー!これは絶対カッパだって!フクロウ…!フクロウって…!」

 人目も憚らずしゃがみこんでゲラゲラ笑う晴香に道行く観光客が戸惑った視線を投げ掛けていたが、まったく気にならない。

 笑いの波が収まる前に前方から自分を呼ぶ友人たちの声が聞こえてきたが、あいにく立ち上がれそうにない。

「晴香ー?何やってんの、こんなとこでー。」

 応えたいけれど、お腹が痛い。

 とりあえず友人たちにはこの旅行中一番の笑顔を向けられそうだった。

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