xoxo
東雲 彼方
あのフクロウ、顔がムカつくんだ。それと私が似てるって?
私は今、懺悔の為に十八年という短い人生と別れを告げようとしていた。左手には卒業証書、右手には一通の手紙。正直卒業証書なんてどうでもいい。高校を卒業したという事実もその証明も私にはもう必要無いのだから。行く先なんてない。過去と今はあっても未来はない。必要なのは右手に持ったひとつの勘違い。結局この勘違いから始まった過去の過ちに懺悔をする他に私に残された道はない。ただ少し、もう少し――世界からサヨナラする前に、走馬灯の様に浮かぶ、角砂糖の如き甘い思い出に少し浸ることにしようか。
***
「あれ、何これ?」
それは高校最後の授業の日のことだった。いつも遅刻ギリギリに着く癖のある私にしては珍しく、
その日は何故だか悪夢に魘されて、しかしどうにも二度寝をする気分にもなれず、かといって登校するには早過ぎる時間に起きてしまった。とはいえ惰眠を貪ることしか能の無い私はやることもなく。だらだらとテレビを見ながら休んでいれば、夜勤明けの機嫌の悪い父親に遭遇し口論になる。これ以上家に居ては息が詰まる、と直感的にそう感じた。だから急いで準備をして家を飛び出した。
コンビニや公園なんかでかなり時間を潰したというのに一番乗りである。なんだかなぁ、という気持ちが拭えない。それでも私は極力いつも通りにルーティーンをこなす。毎日と同じように机の上に鞄を置き、コートをロッカーの中に放り込み、ブレザーを椅子にかけ、椅子に座って足を組む。ふう、と吐いた息が白い。多分ブレザーを着ていた方がこの刺すような寒さも凌げるのだろうが、動きづらくてなんか苦手なのだ。多少の寒さくらいどうってことはない。それもいつも通り。ただ違うのは時計の針の位置――だけではなかった。ふと机の中に手を入れて真っ先に感じたのはいつもの冷たい金属の感触ではなく、何か小さい紙のようなもの。中から取り出してみると、それは可愛らしい手紙であった。素朴な顔をしたフクロウのシールで留めてあるもの。違和感の正体は
『橋本 芽衣』
可愛らしい控えめな字で封筒に書かれたのはそれだけ。橋本芽衣、確か同じクラスに居たような。同じクラスってことは二年間一緒なんだろうが関わりが無かった。記憶の限りでは彼女は物静かなタイプで積極的に誰かと関わりを持つ様なタイプではない。だからこそ、その内容が気になった。傷をつけない様にそっとシールを剥がし中身を取り出す。
「これ、ラブレター……?」
中身は何度読んでも、多分これは恋心の吐露だなと感じるものであった。決定的な一言は無いにせよ、気付けば目で追っていただとかそういう。縦読みも探したけどそんなものはない。私は唯々困惑した。何故こんなものが私の机に? 宛名が無かったから余計に困惑した。もしかしたら――と脳裏に過ったある一つの仮定を信じて、後で本人に問うことにした。
案外最後の授業はやることが多く、結局声をかけるタイミングを逃し今に至る。最後のSHR前。
「橋本さん」
窓際の前から二番目の席に座る、栗色の柔らかそうな髪の毛の少女に声をかけた。
「ひゃっ! あっ、榊原さん、どうしたの?」
「これ、私の机の中に入ってたんだけど」
そう言って例の手紙を彼女の目の前で泳がせると刹那、顔を真っ赤にしたその子が私の腕を掴んで廊下へと引っ張ってゆく。何が何だか分からない私は、もしかして本当にこの手紙の相手が私だったりしないだろうな、なんて頭の可笑しいことを考えていた。
階段の踊り場にまで引っ張られ、ようやくくるりと振り返って真っ赤に染まった頬を此方に向けた。そして彼女はおずおずと口を開く。
「あの……中身、見た?」
これが、
***
「ゆきのん!」
嗚呼、遠くで可愛らしい声がする。とうとう幻聴まで。もう末期だな、なんて。なんとなく視界の端に栗色の髪の毛が入り込んだ気がする。けどその声も姿も罪滅ぼしの為に私が作り出した虚像などではなかった。
「ゆきのん、なんで……」
ゆっくり振り返り、精一杯の笑顔を向けた。今私は一歩でも下がれば致命傷は避けられない、そんな場所に居る。学校の屋上の、柵の奥。わずか10センチばかりの足元と錆びた柵は脆く頼りない。
「懺悔の為に。メイごめんね。私の分も生きてね」
「なんでよ、折角仲良くなれたのに……そんなのよくない!」
彼女の目から一筋光が零れた。初めて見た彼女の涙に私はあからさまに動揺した。小さく嗚咽を溢しながら彼女は続ける。
「最初はさ、ゆきのんとは勘違いから始まったし関係も最悪だったと思うよ」
それは確かに私も感じていた。だからこそ、今でも隣で話すのが苦痛でしかない。私はメイの気持ちを利用した。そして自分の気持ちを優先させた結果、メイの気持ちを捨てさせる結果になった。その後悔が今でも私の首を絞め続けている。だから懺悔を――。
「けどなんだかんだこの一ヶ月ゆきのんと話してたら凄く楽しくって。こんなに楽しいって思ったこと無いなって」
「でもっ、私はメイの気持ちを捨てさせた、大翔との関係を切ったのは私だ……!」
メイは本当は私ではなく、隣の席に座る私の幼馴染、川上 大翔にあの手紙を渡そうとしていたのだ。そして幼馴染であることを理由に、私はメイに協力するフリをした。最初は本当に協力するつもりだった。でも、経過報告としてメイと遊んだり話したり、一緒に過ごせば過ごすほど自分の中にイヤな感情が渦巻いていった。とうとう大きく膨れ上がったそれを無視することが出来なくなってしまった私は、結局自分の都合の良いように行動した。
棒立ちのまま目を見開くメイの視線から逃れる様に私は目を伏せる。
「私、大翔にメイを取られたくなくて。アイツに手紙を渡すときに『お願いだからメイとは付き合わないで』って言った。最低だよ。ごめんね。私、メイのことが好き」
何時からだろうか。ぐるぐると胸の辺りがざわつくような感覚を、切ないような甘酸っぱいようなその感覚を恋と自覚したのは。叶わぬ恋と分かっていたから諦めたかったのに。諦められなかった。こんな事言ってもメイを困惑させるだけなのに。
「もう死んで詫びる以外に私に残された道は無いの。家にも居場所はないし、生きてく意味ももう無い。だからメイ、最後のワガママ。お願い、私を壊して……たった一度の口付けでいい。キスで私の
両目から溢れた感情に自分でも戸惑いつつ、でも今だけは素直でいようと心に誓った。真っ直ぐにメイを見つめる。すると、メイは静かに私の近くにやって来る。殴られることも覚悟していた。でも次にやってきた感覚は痛みではなく、優しい抱擁だった。
「ゆきのん、私の恋とかそんなのどうでもいいんだよ。そんなんで大切な友達を失う方が嫌だもん。それに元から叶う恋じゃないって分かってたの。私ね、ゆきのんが手紙を渡してくれた次の日に大翔くんにフラれてるんだ。他に好きな人がいるから無理、ごめんって」
それは初耳だった。メイがフラれてるだなんて思いもしなかった。
「その後に言われた言葉が衝撃的で。『もし仮に付き合えたとして、その恋愛感情で友人関係が破綻するのにお前は耐えられるのか』と。その時はよく分かってなかったけど今なら分かるよ。私だって周りが見えてなかったんだ。本当に失いたくない人は誰? って自問自答した。私はゆきのんを失いたくない」
ざぁっと吹いた春風で散っていた梅の花が舞い上がる。
「ゆきのん、とりあえずこっちに戻っておいで。ゆきのんが死ぬなら私も死のう。けど私はまだゆきのんと一緒にやりたいことが沢山あるんだ」
その言葉に何かを許された気がして一気に力が抜けそうになる。どうにか踏みとどまって、メイの助けを借りながら柵の内側に戻ってくる。いつも通りの学校の屋上だ。
「ゆきのんお帰り。ちゃんと戻ってこられたゆきのんに、はいこれ」
そうしてメイから渡されたのは桜柄の封筒。訳が分からず固まっていると、目だけで開けろと催促される。中から出てきたのは――私宛の手紙だった。
「嘘、でしょ……」
「嘘じゃないよ。それに今回は勘違いでもない」
一行、また一行と読み進めていくほどに視界が歪む。ぼろぼろと零れ落ちた雫が紙の上に水溜りを作った。そして最後の一枚。
「何これ……ってこれ、あの手紙に貼ってあったフクロウじゃん」
見覚えのある素朴な顔のフクロウ。今度はニヒルな笑みを浮かべている。なんだか少し腹立たしい顔だが。その横に吹き出しで「元気だせー! 今度どっか卒業旅行行こうね!」、その横に「この子なんかゆきのんに雰囲気似てるから好きなんだよね」と可愛らしい字で書かれていた。
「えっ、私こんなムカつく顔してんの? ふっ……ふふっ、やっばいウケる」
「そんなつもりで言ったんじゃないよ! この子可愛いじゃん!」
んもー、と頬を膨らますメイ。そして爆笑する私。やっと二人の日常がかえってきたという安堵。しばらくぼんやりと空を眺めていると突然メイが手をパチンと叩く。
「そうだ、さっきのお返事だけど――」
次の瞬間、私は何が起きたか分からなかった。
「私もゆきのんが大好きだよ」
理解したのは唇から唇が離れていく感触だけ。
風に吹かれて舞い上がる春色の視界。脳裏にはあのニヒルな笑みを浮かべたムカつくフクロウが浮かんでいる。ああ、卒業旅行の計画立てなきゃなぁ……なんて考えながら、私の意識はフェードアウトした。
xoxo 東雲 彼方 @Kanata-S317
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