オートバイはぼくの友達

フカイ

掌編(読み切り)




 午前六時。紫色の大気。人気ない街路。夏。


 単車のカバーを外して、フュエル・コックをオンに。

 冷たいガソリンタンクから、重力に従って、ガソリンがキャブレターのチャンバーに流れ落ちてゆくのをイメージする。


 ライダース・ジャケットに、ジーンズ。しっかりしたブーツとグラブ。ヘルメットを片手にかけて、単車を起こし、サイドスタンドを蹴り上げる。そして車体を正立させ、自宅の駐車スペースを出る。

 ウェットで293キロの車体は、のそのそと通りを行く。

 表通りまで来たら、やっと車体にまたがる。

 メインキーを差し、メインスイッチをオンに。グリーンのニュートラルとオイルコーションの赤いパイロットランプが灯り、すぐにオイル・ランプは消える。スロットル脇の、キルスイッチをオンにする。強制開閉キャブレターの、チョークレバーを回転させておく。

 そして、スタートボタンに触れる。


 爆音が響く。

 頭の中で、自分の股の間で行われている動作を思い描く。


 セルモーターがクランクを強制的に回転させる。それにより、ピストンが下降し、燃焼室に負圧が生まれる。クランクの回転をチェーンで受けた燃焼室の一軸の頭上オーバーヘッドカムシャフトが回転する。カムの頭がバルブを押し込み、インレット側のポートが開かれる。

 燃焼室内で発生した負圧は、キャブレターにまで到達し、チャンバー室に溜まっているガソリンを吸い込む。ガソリンはチャンバーから吸い上げられると、キャブレター・ボディー内に霧として吹き出す。その霧と空気(いわゆると呼ばれるガス)を、負圧によって同時に吸い込むエンジン。混合気は開いたインレット側のポートから、燃焼室に吸い込まれる。

 その直後、クランクの継続回転によって燃焼室の下端(下死点)まで下がっていたピストンが上昇を開始し、同時にカムシャフトも回転を継続した結果として、バルブスプリングの押さえ込みが失われる。するとバルブは元の位置に戻る。その結果、インレット側の吸入口が閉鎖される。燃焼室はちいさな密室空間となり、上昇してくるピストンのせいで、内部気圧が急激に高まる。

 ピストンが上死点まで上昇し、燃焼室内の気圧が最も高まった瞬間に、やはりクランクシャフトと直結したスパーク・アドバンサーから信号が送られ、それを受けたイグニションコイルが、プラグへ大電流を送る。プラグの先端、L字型の電極はその大電流を保持しておけず、直近にある金属へ放電する。すなわち、火花となって、プラグの電極付近に飛ぶ。

 その火花は、高く圧縮されたガソリンと空気の混合気に引火し、その瞬間、燃焼室の中で爆発が起こる。その爆発力は、燃焼室じゅうに広がり、唯一の稼動部分であるピストンを押し下げることになる。ピストンはその爆発力を受けて一気に下がり、その結果としてクランクシャフトが1回転する。


 四つのピストン(=“気”の筒であるところの)、すなわち四気筒のぼくのオートバイのエンジンは、アイドル状態で各気筒ごとに一分間に250回、この工程を繰り返す。それぞれの気筒で発生する小爆発で生まれた排気は、それぞれ燃焼室のアウトレットを通って、エクゾーストパイプから排出される。最終的にサイレンサーでずいぶん消音されるものの、等間隔の爆発音はそれなりの迫力を持って、このメカニズムから発生することとなる。


 ぼくはゆっくりと、朝の大気を吸いながら、エンジンが温まるのを待つ。燃焼室で繰り返される爆発の結果、燃焼室周りのエンジンブロックは非常に高い熱を持つ。その熱を冷却させるため、エンジン内をオイルが回る。まだ肌寒い朝、このオイルが温まってエンジン全体に潤滑するまで、ゆっくりと始動の時間を楽しむ。


 やがてアイドリングが安定し、タコメーターの針の触れが収まり、排気音が落ち着いてくる。チョークを元に戻す。

 そしてぼくは、クラッチレバーを握って、シフトをローへ入れる。そして一度だけ、スロットルを煽る。キャブレターの動弁が稼動し、燃焼室が吸い込む混合気の量が増える。するとエンジンはそれに呼応して、回転数を高め、咆哮する。美しい、獣の鳴き声だ。

 そしてぼくたちは、人気ない朝の街へ滑り出す。


 数時間後。

 ぼくたちは、信州の山の上にいる。

 高原の尾根を伝って走る、「スカイライン」だ。雲海を下に見、冷え冷えとした空気の中、ぼくたちは一体となって、ワインディングロードを駆け巡る。スロットルを空けて直線路をダッシュし、やがて路面にオレンジ色のゼブラが見え、コーナーが見えてくる。

 右のコーナーに、ぼくたちは侵入する。

 ハンドルをわずかに左側に切ることで、車体は自然と右側に傾ぐ。車体が右へ倒れこもうとする力に抗うように、スロットルを開け、スピードを増す。するとオートバイは遠心力により、コーナーの外側へ引っ張られる。その均衡を保ったまま、更に増速。車体はアウト側へふくらむ。その瞬間、ぼくはイン側のステップに半身を乗せ、身体全体を車体からぶら下げるようにオフセットする。いわゆるハングオフの体勢だ。そのまま緩やかにブレーキをかけながら、つき過ぎた速度を殺してゆく。

 車体は滑らかにコーナーを旋回してゆく。これ以上倒しこんだらイン側に転倒する。これ以上アクセルを開けたらアウト側に振り落とされる。そのギリギリのバランスを取りながら、積極的に車体を旋回させる。こんなにスリリングで集中するスポーツはない。

 コーナーの出口が見えた瞬間、身体を傾げたシートの中に戻し、一気にスロットルを開ける。車体は跳ね上がるように正立し、コーナーの出口へ向かって矢のように加速して行く。次のコーナーが見えるまでの一瞬、ぼくたちは


 その狭いシートの上にいられる限り、あの17の夏を失うことはない。



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オートバイはぼくの友達 フカイ @fukai

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