僕は僕を君へ届ける

はな

僕は僕を君へ届ける

 僕が死んだのは、地球時間で20XX年の6月。

 死因はなんだったのかというと、正直よくわからない。何日も続く高熱に苦しんで死んだらしい。


 そうして、死を覚悟した僕は仲間に頼んで僕を作ってもらった。


 僕は死んだ僕、トムの記憶や人格全てを数値化した上でそれを電子回路に移した電子脳だ。僕はトムであり、トムは僕だ。僕はトムの全ての記憶と人格を持っている。身体は失ったけれど、それは心の入れ物を失っただけのこと。たいした問題じゃない。


 僕は新たな心の入れ物を得た。見た目はソフトボールの球くらいの銀色の球体。この新しい身体に僕の心が入り、僕は僕になった。


 僕にはどうしても帰らなきゃいけない場所があったのだ。だから、僕は古い身体を捨てて新しい身体で地球行きの貨物に積んでもらった。

 そうして、帰ったのだ。地球へ、愛する人のもとへ。


 カスミは、僕が宇宙へ行くのを嫌がった。別にあなたじゃなくてもいいのに。しばらく離れて暮らすのだけでも不安なのに、行き先が宇宙なんてあんまりだわ。

 そういう彼女をなんとか説得して出た宇宙だった。だから、僕は帰らなければならなかったのだ。どうしても。


 僕が小さな荷物としてカスミのところへ帰ると、カスミは笑った。帰ってきてくれたのね、と。


 僕が死んだという報せを受けたカスミは、取り乱して自分も僕の後を追おうとするほどに錯乱していたらしい。しかし、僕を電子化することに成功しその報せをすぐさま仲間が送ると、やっと落ち着いてくれたようだ。身体がなくなっても帰ってきてくれるのならいい、嬉しいと。


 毎朝「おはよう」と挨拶をかわし一日が始まる。


 僕のボディは銀に輝く球体だ。といっても銀ではなくて、表面は鏡だ。この鏡に光を点滅させることも出来る。僕の声は電子音声だけど、きちんと自分で喋ることができる。ここまでしてくれた仲間たちには感謝のしようもない。


 こうして、僕とカスミの幸せはずっと続くと僕は信じて疑わなかったし、カスミだってそうだっただろう。最初は。


 カスミが塞ぎがちになってきたということに気がついたのは、僕が帰還してから3年目の春。なんとなく憂鬱そうな表情をしているなと思った僕は、日増しにふさいでゆく彼女に気がつくこととなった。

 どうしたのかと尋ねても、どうもしていないと返すばかり。なにか悩んでいることがあるんだろうとは思ったが、見当がつかない。

 今日も。


「カスミ。なにかあるなら教えてよ」

「なんにもないわ。トムは、心配しすぎよ」


 そう言うカスミの褐色の瞳は、明らかに力がない。


「僕は、ずっと君を見てきたんだよ? 君は最近おかしいよ」


 そう僕が言うと、彼女は小さく笑った。


「ずっと?」


 小さく首を傾げた彼女は言った。一瞬迷いの表情を見せたが、口を開ける。


「ずっとっていつから? 宇宙に行く前? それとも、帰ってきてから?」


 即答できなかった。どう答えるべきだったのか。

 僕が僕のこの身体で見て来たカスミは、宇宙から帰ってきてからだ。だけど、僕の記憶には、僕が宇宙に行く前、それこそ彼女と出会った時からの記憶がある。

 その人間だった頃の記憶のカスミも、帰ってきてから僕が実際に見ているカスミも、僕の頭のなかでは一続きだ。


「あなたは、トム本人なの? それとも、トムのコピーなの?」


 あぁ、なんて残酷な質問。それに僕は答えられない。

 その質問はこたえた。カスミの心情がわかってしまったからだ。

 僕は今、人間としての身体を持たない。記憶だけはトムのもので、身体は金属。僕は人間じゃない、そしてカスミは人間だった。


「たしかに電子脳である僕はコピーと言われれば否定はできない。でも、僕は僕。君を愛するトムという名の僕だ。それだけは事実だよ」


 僕の人間としての身体は死んだ。そこから先は電子的な思考する球体。

 僕は今、生きているのだろうか。それとも、プログラム通りに思考するだけの無機物なのだろうか?

 その定義はわからない。けれど、カスミを愛する僕は僕。


「ねえ、トム。わたし、年を取ったと思わない? 皺も増えたし」

「そんなこと。君はそれでもきれいだし、僕の大切な人に変わりはないよ」

「ありがとう」


 小さくほほ笑んで、彼女はつぶやいた。

 もしわたしが死んだら、あなたはどうするのかしら。

 彼女はいつか死ぬのだ。

 わかっていたことだけれど、あまり考えてもいなかった部分だ。

 そして僕は、この機械の身体が故障しない限りは死なない。


 僕のこの機械の身体も永遠ではないから、いつかは壊れるだろう。だけど、それがいつになるのかはわからない。

 仲間たちの技術は本物だから、耐久性はかなりのものだろう。僕は、彼女が死んだ後は一人となり、自力で彼女の後を追うこともできず、思考を続ける。


 気が遠くなりそうだ。


 この電子脳には、気が狂うという性能は搭載されているのだろうか?

 思うに、気が狂うとは究極の自己防衛だ。周りの状況がなにもわからなくなり、自我が崩壊すればいらぬ思考をして胸を痛めることもない。

 それすら出来ないとしたら、その辛さはいかほどだろう。

 ああ、だけど、僕はカスミと居たい。それだけで帰ってきた。それさえ叶うなら、あとの苦しみは我慢してみせる。


 もし自分が死ぬとわかったら、死ぬ前に僕を壊してくれないか。その願いを、彼女は小さく笑って承諾した。きっと、そうするからと。

 あなたが長いこと一人で苦しむのは、わたしも嫌よ。







 カスミの憂鬱は続いた。機嫌のいい時は僕の身体をなでてくれたりもしたが、なにも言わず出かけて一日中帰ってこないこともあった。

 かと思えば、家の中でずっとぼうっと過ごしていることも多かった。


 彼女の心を支配するマイナスの思考には、おそらく僕が絡んでいるのだろう。

 だけど、なにを悩むのかはわからない。


 自分が年老いて、僕を残して先に死んでしまうことなのだろうか? いや、そのことならば解決済だ。彼女が死ぬ時、僕を壊すと。


 カスミが遠く感じる……。


 そうして。

 その時は意外にも早くやってきた。

 空気に初夏を感じるようになった頃。


「トム。トムが愛してくれてるわたしは、死ぬことになると思う」


 そう言ってカスミは、僕に銃を向けた。

 カスミの身体はまだ長いこと生きれる。だから、それは肉体の死ではないとわかった。


「カスミ」


 そうか。僕はやっとカスミの心を占めていたものの正体を知った。

 それは思いもよらない、けれど十分すぎるほどに考えられうる変化。

 その変化を感じたカスミは、壊れない限り思考を続ける僕を持て余していたのだろう。


 そうして、僕は悟った。僕が帰って来た理由を。

 トムが、自分の記憶をそっくり移した僕を仲間に造らせた訳を。


 それは、全てカスミを生かすため。


 トムが死んだと聞いて後を追いかねなかったというカスミ。どれだけ深く彼女がトムを愛していたのか、彼は幸運にも知っていた。カスミの性格も。

 そして、彼は彼なりの愛情で僕を造ったのだ。


 僕は、僕だ。けれど、僕はトムではなかった。


 トムは、生きていた。人間だった。

 人間のカスミを愛していた。彼女を生かすためになら、彼女に引き金を引かせるのも厭わなかった。僕が彼女に捨てられて長く苦しむことになるかもしれないことなど、どうでも良かったのだ。


 ただ、カスミが生きていてくれるのならば。


 僕の存在ははじめカスミの心を落ち着け慰めた。それは間違いがない。

 けれど。カスミは生きている。カスミは人間。自由に見て、自由に歩いて、自由に食べて、自由に抱く。僕にはできないことばかり。


 トムは死んだのだ。そして、僕はトムではなく、僕は僕。そのことを彼女は理解してくれたのに違いない。

 それと同時に、僕への愛情にも変化が起きる。当たり前のことだ。

 どこにでも自由に行けるカスミを、僕は止める術を持たない。その術をトムはあえて僕に持たせなかったのだろう。


 ああ、トム。君はなんて深く、カスミのことを愛していたのだろう。


 そして。今僕に銃口を向ける彼女に感謝する。僕の思考を止められるのは君しかいない。君に置き去りにされて苦しむよりも、遥かに幸せな結末。


 カスミの行動はトムの願った通りだ。これでいいんだ。

 君が生きていてくれるのならば、それだけでいい。


「ごめんなさい」


 彼女は一筋涙を流した。それは、僕のために流されたもの。トムのためではなくて。

 それで十分だ。

 彼女の指に力がこもる。


「いいんだ」


 だけど、僕はもう君と共に居られないことが哀しい。でも、君には人間として幸せになって欲しい。

 だから、トムが僕を君の元へ帰した訳は、黙っておこう。

 ただ、僕は僕。それは確か。

 僕は君を抱きしめる腕を持たないけれど。最期にこれだけは言わせて欲しい。


「カスミ、僕は僕として、君のことを__________」


 blackout.

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