期待は叶う
「いなくなってから気付くって、何てバカな話だって俺思ってたんですよ。いなくなる前に気づけよ。ってそういう話聞くたびバカにしてたのに、実際いなくならないと分かんないもんなんですね」
そういって話を締めくくると、伊織は何とも言えない気持ちになった。
追加で注文した木在羽のパンケーキとミルクティーは手付かずだし、伊織のコーヒーもまた冷めきっている。
真剣に伊織の話を聞いてくれた木在羽は、何だか迷うような顔で口元に手を当てていた。自分でもまとまりのない話だったと思うのだが、それでも何かを受け止めようと、返そうとしている。そう伊織は分かって、それだけで嬉しくなる。
「……伊織さんは、その方、前の理事長さんが好きだったんですか?」
「正直にいってね、理事長がいたときは嫌いでしたね。偉い偉いって色んな子を褒めたり励ましたりしてましたけど、俺には一切そんなことしてくれなかったので。何だアイツって思ってました」
そこで伊織はコーヒーを一口飲む。思ったより喉が渇いていたと自覚した。自分で思うよりもずいぶん話こんでいたようだ。
「でも、今にして思えば当たり前なんですよ。理事長がいたときの俺は、偉いって褒めてもらえるようなこと何もしてなかったんです。いい学校に入学できて、それで満足して、後は適当でいいやって、必死に頑張ってるやつら見て内心バカにしてたんですよ。そんな人間が褒められるわけないんですよね」
褒められるべきは啓のような人間だ。持って生まれた能力に胡坐をかかず、日々努力し続けた。啓が可愛がっている猫屋敷や若菜だって、中等部の頃は埋もれ気味だったが、高等部になってから一気に開花した。それは啓がアドバイスしたのもあったが、2人が啓のいうことを素直に聞いたからだ。
「俺は何もしなかった。何もする気もなかった。だから、理事長は俺に見向きもしなかったんです。あの人ものすごく忙しい人だったんですよ。それなのに隙間見つけて生徒と話したり相談のったりしてたんです。教師になってから、どうやってたんだろって驚いてます。いやほんと、いつ寝てたのか……あそこまでいくと人間業じゃないです」
「……実際人間じゃなかったのかも」
当時を思い出して戦慄する伊織に、小さな声が落ちてきた。聞き逃してしまいそうな本当に小さな声は、水面に広がった波紋みたいに静かだけれど無視はできないものだった。
木在羽を見つめると、いつもと同じようにほほ笑んでいる。パンケーキをフォークで綺麗に分けて口に運び、美味しいとはしゃぐ姿は、先ほど聞いた小さな声を発した人物とは思えなかった。
聞き間違いか……? 伊織はそう思って首をかしげる。
「でもきっと前の理事長さんは、安心しているでしょうね」
「え?」
考えているところに、予想外の言葉がふってきて伊織の思考はかき乱された。見れば木在羽はミルクティーを口に運んでいる。姿だけみればとても優雅で、だからこそ混乱する。
「現理事長さんは、とても真面目で生徒想いの方なんでしょう?」
「……そうですね。ちょっと分かりにくいですけど、子ども好きなのは確かでしょう」
生徒に交じって授業を受ける、変装して新人教師のフリをする。なんて奇想天外な行動をるいはとらないが、一般に比べれば十分に教師、生徒と近い理事長だ。時間があれば学校を見て回って話を聞くということはるいも行っている。
彰と違ってフレンドリーさがないため苦労はしているようだが、そこは他の教職員がフォローすればいいだけの話だ。
「次の跡継ぎも着実に経験をついで育っている。卒業生の中から学校で働きたいという人でて、実際に伊織さんやほかの方も努力している。これほど理想的なことはないんじゃないでしょうか」
木在羽はそういうとミルクティーをコースターに置く。
「一人の天才、カリスマ。伊織さんの言葉をかりれば王様でしょうか。それだけでは必ず限界がくるものです。世代交代を繰り返し、時代に合わせて、一人ではなく沢山の人間で協力してつなげていく。それが重要なのです」
木在羽はそういうと、パンケーキを再び口に運ぶ。満足げに頬に手を当てる姿は、先ほどの大人びた口調とはまるで違う別人のように見えた。
その姿を見ながら伊織は考える。一人では限界がくる。沢山の人間でつなげていく。
「もしかしたら……、だから彰さんは……」
伊織は居なくなった王様の事を思い出した。
当たり前のように全てを造り、受け止め、背負った人。当たり前だったからこそ、この人がいたら何とかなる。そう自然に思って、全てを押し付けてしまった人。
それにあの人が耐えられなくなったとは伊織は思わない。それほどやわな人ではないと思っている。
ただ、それがずっと続くことに対しての危機感。ある日当たり前が当たり前じゃなくなった時、狼狽えるのは自分ではなく周囲だと気づいていたのではないだろうか。だからこそ、まだ替えの効くうちに姿を消した。
裏方に回るだけではきっとダメだったのだ。いつでも連絡が取れる。そう思えば甘えが生まれる。やるならば徹底的にやらなければ。そう思って己の姿を消したのだろう。
佐藤彰という人間は生徒には甘かった。同時に、生徒のためならば鬼にも修羅にもなれる人だった。
「木在羽さんのお陰で長年の謎がとけた気がします」
伊織の言葉に木在羽は首をかしげる。パンケーキが口にはいっているため、答えることができなかったのだろう。口元に手を当てて、もごもごと口を動かした。それからミルクティーを飲み、ふぅっと満足げに息を吐き出してから笑う。
「お役に立てたなら何よりです」
ニコリと笑ったその顔が、一瞬記憶の何かと重なった気がして、伊織は目を瞬かせた。何だろう、この違和感は。そう伊織は考えるが答えが出てこない。
カランカランと来客を告げるドアがなる。それをぼんやりとした意識のまま聞きながら、伊織は考える。あの笑顔を、一体自分はどこで見たのだろうかと。
「あの、木在羽さ……」
「こんなとこにいた!」
伊織が木在羽に声をかけようとした瞬間、子どもの甲高い声が聞こえた。
普段伊織が聞いている声よりもさらに高い声。視線を向ければ小学生くらいの子供が立っている。教師としていうことではないが、比呂と違ってこのあたりの年代の子供が伊織は苦手だ。未だにどう対応していいか分からない所がある。
黒い髪に赤い瞳をした少年は木在羽の服を掴んで、不満げな顔をしている。木在羽は困った顔で周囲を見渡していた。
「一人できたの?」
「マーゴなら、どっかいった」
マーゴという聞き慣れない単語に伊織は首をかしげる。食べ物だろうかと一瞬思ったが、一人できたの。という問いに対しての答えとしてはおかしい。となると人名なのだろうか。
伊織が考えていると、再びカランカランと音が鳴る。そしてすぐさま、何者かが店の中に駆け込んでくる音がして、「いたぁあ!」と静かな店内には似つかわしくない声が響いた。
今度は何事だと伊織が固まっていると、慌てて入ってきた人物は木在羽の隣にいる少年の元まで駆け寄ってくる。どうやら知り合いだったらしい。
「急にいなくなるから、どこいったかと思った……。って、あっ……木在羽さん!」
少年を発見して脱力した人物は、木在羽を見ると驚いた顔をする。
大学生くらいの明るい茶色の髪をした青年だ。素材はいいのに着ている服はジャージ。下はジーンズと何とも適当な恰好である。勿体ないと伊織は顔をしかめたが、青年の方が伊織など視界に入っていないらしく、ひたすら木在羽に狼狽えている。
「えっと、お邪魔でしたか……?」
どことなく怯えているように見えるのは気のせいか。青年の方に顔を向けた木在羽の表情はいつもと変わらず笑顔だったが、どことなく表情が硬い気もしないでもない。
そんな2人の空気に頓着せず、少年は木在羽の服を引っ張る。
「なーお腹すいた。マーゴもクティも料理下手なんだよ。美味いもん食べたいー」
「少し場所を考えてしゃべるお勉強しましょうね」
木在羽はそう言ってにっこり笑うと、少年の頬を両手でつかむ。それだけで少年はビシリと固まって、小刻みにうなずいた。
「あの、木在羽さん……その子は……?」
お子さんですか? という言葉を伊織は声に出すことが出来なかった。振り返った木在羽が優雅にほほ笑む。今までも何度も見た美しい笑みだが、今までとは種類が違った気がした。
これ以上踏み込んだら喉元を食いちぎるという獰猛な笑み。
一瞬ゾクリと背筋が凍り付いたが、瞬きする間に木在羽の雰囲気はいつもと同じものに変わっていた。何度もお茶をし、冗談をいい、世間話をした美しく優しい女性の姿。
「申し訳ありません。この子が我慢できないようなので、今回はこの辺で、凛太郎。挨拶は?」
「お邪魔しました!」
凛太郎と言われた少年は、大げさなほどに頭を下げる。そしてすぐさま背後に立っていた青年に抱き着いた。その子供を抱き上げながら青年は苦笑をうかべ、伊織と目があうと頭を下げる。
「今回はご迷惑をおかけしてしまいましたし、私が払っておきますね」
「えっいや! 女性にお金を払わせるなんて!」
「気にしないでください。素敵なお話を聞かせていただいたお礼です」
有無を言わせぬ空気をまとって木在羽は「それでは、また」とほほ笑んで去っていく。その後姿を何故か追いかける気にならず、伊織はしばし茫然と座っていた。
木在羽の笑顔が再び脳内にうかび、やはりどこかで見たことがあるような気がする。そう思うが、そもそも木在羽とは何度も会っているから見たことあるのは当然で。と思考がループしていく。
突然現れた青年も謎だし、凛太郎は子供でいいのだろうか。木在羽はまだ若そうにも見えるが、雰囲気からいったらあれくらいの子供がいても不思議じゃないか。と色々と混乱した頭で考えていた伊織は、新たな違和感を覚える。
「……凛太郎君も、どっかで見た事あるな……?」
うーんと唸ってみるものの、どこで見たのか全く思い出せない。
しばらく席で唸り続ける伊織を心配して、オーナが水を持ってきてくれたのはしばらく後の事だった。
玉座に捧げるトリビュート 黒月水羽 @kurotuki012
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