未来を想い

 エレベーターで最上階に上がると、目の前には扉がある。

 大きな扉の両側には、生徒が獲得したトロフィーが飾れて、新聞記事の切り抜きがコルクボードに飾られている。最新のものは校舎にもあるのだが、ここの生徒は活躍するものが多いため、すぐにトロフィーは交換される。

 それではあんまりだと、あの人がここに飾り始めたらしい。自分しか見ないのが申し訳ないけどと言いながら、時間があるとトロフィーを眺めて、楽しそうにしていたのだと聞いたことがある。


 啓が扉をノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえる。

 ぶっきらぼうな男の声。伊織との接点は薄いが、啓の後輩だ。一応は仲がいいといえる関係だろう。ビジネスパートナーという関係に将来的にはなるのかもしれない。伊織からすると不満だが、プライベートの方は譲る気がないと心の中で勝手に張り合っていた。


 失礼します。と啓は扉を開く。中には比呂が言った通り、谷藤渚と岡倉るいの姿があった。

 谷藤は来客用のソファに座って、テーブルの上にはノートパソコン。何かのファイルが山積みになっており、何らかの仕事をしているのだろうと察しが付く。

 大学部4年生。今だ生徒の身でありながら当たり前のように理事長室で仕事をしている。その姿は一見異様に見えるが、事情を知れば何ということはない。啓や比呂が学生の内から教員の仕事を手伝っていたのと同じ理由。谷藤渚は理事長見習い。そう言った立ち位置の生徒だった。


 学校を卒業し、十分に出来ると判断されたらすぐにるいから谷藤へ理事長は変わる。そう啓に聞いたことがある。どういう経緯でそうなったのか、伊織は全く知らない。ただ、あの人の意思だという言葉聞いた。

 谷藤渚をあの人が強引ともいえる手段で転校させたのは、いなくなる一年前らしい。その頃、いやもっと前から準備は進んでいたのだ。自分たちが全く気付かなかっただけで。


 気付かなかったことを伊織は仕方ないと思っている。伊織よりも近しい存在である比呂や羽澤夷月ですら気付かなかった。目の前にいる啓、実質の後継者である谷藤ですら何も聞かされていなかったと聞いた。


 なんて勝手な人だろうと伊織は話を聞いて思った。それなのに、その勝手に振り回された人間は、文句をいいつつ、皆あの人の言う通りに動こうとしている。

 半ば強制的に落ちしけられた谷藤も、真面目に理事長見習いをしている。

 正式な理事長というよりは、繋ぎという役割になったるいですら、文句はなく谷藤の成長を見守っていると聞く。

 

 圧倒的なカリスマ性。それでは納得がいかない。超常的力すら働いているのかもしれないと思ってしまうほど、あの人の影響は色濃かった。いなくなって数年。それでも皆、あの人の影を追い続けて時折思い出してしまうくらいには。


 啓が理事長室に入ると綺麗に頭を下げる。お手本にでもなりそうな綺麗な礼。それでいて部屋に響く声で声を出す。


「本日から高等部の教員となりました大和啓です。今後ともよろしくお願いします」


 啓の行動に谷藤が呆れた顔をした。そんな挨拶今更しなくても。そういった空気を見て、この2人の関係はずいぶんと気安いものなのだと改めて感じる。

 奥のるいを見れば、微笑まし気に目を細めている。

 もしかしたらあの人も、るいと同じような反応をしたのかもしれない。そう伊織はここにはいない姿をつい想像してしまった。


「教員採用改めておめでとう。立場は変わってしまうが、今後もよろしくお願いしたい」

「はい!」


 るいの言葉に啓は顔をあげて、真剣な顔で答えた。そこには決意が宿っているように感じた。何かは伊織には分からない。学生時代、あの人と関わっていない伊織には想像するにも限界があった。

 それでも、あの人と直接会わなかった自分ですらここまでかき乱されるのだから、抗いようのない何かがあるのだ。そう感じずにはいられなかった。


「ところで、小堺先輩は何しに?」


 挨拶が終わったのを見計らって、谷藤が伊織へと視線を向けた。ここには不釣り合いだとは思っていないだろうが、何となく癇に障る。

 たしかに啓と会わなければ、伊織はここには来なかった。黒天学園に残りもしなかったに違いない。適当にフラフラと、好きなように生きたに違いない。

 けれど、今の伊織はここにいる。残ってしまった。そして直接話すことはなかった相手がどれほどすごい人だったのか、どれだけ人に愛された人だったのか、どんなに生徒を愛していたのか。それを知ってしまった。知ってしまったからにはもう、見なかったことには出来ないのだ。


「俺もこの学校の教師なわけですから、新人の門出を祝うのは当然だと思うんですよ」

「他の新人教師は完全に無視しておいて、それいいます?」


 あっさりと伊織の言葉は谷藤に返された。

 たしかに外部就職者にも、啓の他の内部就職者にも興味ない。名前も知らないが、ここでそれを指摘しなくてもと伊織は眉を寄せた。


「立ち話は何だ。休憩にしよう」


 長話になりそうだとるいは感じたらしい。

 居心地の悪そうな椅子から立ち上がると、いそいそと別の部屋へと移動した。給湯室らしき部屋を見て、手伝うべきかと伊織は考える。


「いいですよ、手伝わなくて。るいさん身内相手じゃないと飲み物の準備とかできませんからね」


 すぐさま谷藤から制止の声がかかる。どういう意味かと問う前に、顔をしかめた谷藤が目に入る。不満を隠しもせずに広げていたファイルやノートパソコンを片づける姿を見て、伊織は嫌でも察してしまった。


 岡倉るいはもともとあの人の秘書だった。岡倉という家柄は人に仕えるのが何よりも好きなのだという。そして唯一の主を決めると、その人に生涯をかけて仕える。

 るいが選んだ相手は間違いなく、あの人であった。あの人がいた頃のるいは今よりもよほど輝いていたように見える。表に出るよりも陰で支えることの方が好き。そういう人間はいるものだ。


「ほんとあの人は、勝手すぎるんですよね……」


 不満をあらわに谷藤はそういうと、乱暴にノートパソコンを閉じる。壊れるぞ。何て言える空気ではなかった、見れば啓も気まずい顔で谷藤を眺めている。


「……でもきっと、出来ると思ったから託してくれたんだと思うんだよね」


 気付けば言葉が漏れていて、それに視線が集まった。驚いたような谷藤と啓の視線。突如集まった視線に伊織は焦る。だが、じっと見つめてくる4つの目に、吐き出した言葉をなかったことには出来なかった。


「えっと、俺あんまり彰さんとは接点なかったというか話したことなかったけど、彰さんって出来ない人にやらせないし、やる気がない相手にもやらせないでしょ」


 だって、俺にはなにもやらせようとしなかったし、やれとも言わなかった。そんな恨み節みたいな言葉は飲み込んだ。それは自分自身が悪いのだと伊織は分かっている。やりたい。そういったら嬉しそうに相談に乗ってくれたに違いないのだから。


「……だから余計に、性質が悪いんですよ。あの人は」


 フンッと谷藤は鼻を鳴らす。余計に不機嫌にさせたかと思って伊織が慌てると、啓が声をあげて笑う。珍しい姿に伊織の思考は固まった。


「気にしなくていいですよ。自分よりも伊織先輩の方が分かってて、拗ねただけですから」

「そう言われると、俺があの人のことすごい好きみたいに聞こえるんで、やめてくれませんか?」

「好きかは知らねえけど、嫌いではないだろ? 理事長なんて面倒な立場、引き受ける準備を真面目にこなしてるんだしなあ」


 ニヤニヤと啓は意地悪く笑う。最近見なくなった、後輩をいじるときの顔だ。先ほどの笑顔といい今日は珍しい顔を沢山見ている気がすると、伊織は心のシャッターを切った。


「ほんっと、あんたは性格わるい! ちょっとは落ち着いたかと思ったら、猫かぶりしてただけですね! 生徒にバレないようにしてくださいよ。めんどいんで!」

「ご忠告ありがとー。そんなヘマするほど馬鹿じゃないんでー」


 べぇっと舌を出す啓に、谷藤の額に青筋が浮かんだのが見えた。

 仲がいいのか悪いのか。一言では表現しがたいやり取りに伊織はついていけない。間にはいれなくて寂しいとは思わなかった。むしろ入りたくはない。

 それにしても谷藤をいびる啓の表情がイキイキしている。それはそれでありだなと谷藤にも啓にも引かれそうなことを思っていると、給湯室からるいが現れた。


「……にぎやかだなあ」


 人数分のお茶がのったトレーを持ったまま、るいがつぶやく。その表情も声も、穏やかで優しい。瞳は今ではなく、過去を見ているかのように細められている。それき伊織は少しだけ寂しくなる。

 きっとこの理事長室は、今よりもっと騒がしかったのだろう。何しろ理事長はあの佐藤彰で、去年卒業した羽澤夷月、岡倉るい、百塚ナツキが入り浸っていたという。秘書としてるいは騒がしい理事長室を何度も何度も目にして、こうして穏やかな顔をしていたのかもしれない。


「……きっとこれから、騒がしくなりますよ」


 伊織の言葉に、るいが驚いた顔をした。夢から醒めたよな、夢ではなく現実だったと自覚したような。そんな顔をして、それから顔をゆがめる。泣きそうであり、どこか嬉しそうな顔は、表情が乏しいといわれる現理事長としてはとても珍しい表情だった。


「ああ、そうだな。そうしていかなければいけないな」

 だってここは、あいつが愛した場所なのだから。


 伊織にしか聞こえなかった小さなつぶやきを、伊織は聞かなかったことにした。佐藤彰と時間を共有していない自分が共感するには、重すぎる言葉だったから。

 それでも、たしかに、彰が残したこの場所が自分にとっては出会いと、変化の場所であり、もっと多くの意味がある場所にこれからなっていく。そのことを伊織は感じて、心の中で感謝する。直接言うことはできなかったけれど、あの人ならばどこかで受け取ってくれるかもしれない。そうやけに大きな期待を抱いてしまう。


 それほどまでには佐藤彰という人は、全てを変えて作る力を持った王様だった。

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