後編:証言と推理

 ショックを受けたスラストとミアを部下用の寝室のベッドに寝かせ、落ち着かせている間、茉空まそらはホテルのエントランスから外に出た。ホテルからこぼれる明かりで青灰色に光る雪原と黒い木々が広がる、人気の無いところに着くと茉空まそらは口笛を吹いた。

 間もなく茶色と白が縞模様しまもようのフクロウが羽を広げたまま茉空まそらへ滑空し、茉空まそらが伸ばした腕にスッと着地した。

 茉空まそらの愛鳥「ミクウ」は魔法使い同士の連絡役になってくれている。魔法使いが口笛を吹けばいつでもやって来てくれる可愛らしい相棒だ。茉空まそらはミクウの足に魔法警察要請の手紙をつけ、再びミクウを空へ飛ばした。ミクウは大きく羽を広げると、夕闇の空へ飛んでいった。

 殺人事件となれば魔法警察に連絡するしかない。しかしここは都市部から離れた山の上。魔法警察が来るまでには二、三時間かかるだろう。それまで茉空まそらが踏ん張るしかない。

 茉空まそらはスイートルームに戻り、事務次官と秘書とメイドの三人から一人ずつ事情を聞くことにした。幸い部下達のベッドルームにも廊下に繋がるドアは無かったので、二人とそのベッドルームに待機させて、茉空まそらは応接室で一人ずつ話を聞くことができた。

 まずは事務次官スラストの証言。

「ジャグジーでくつろいでいる時に窓の外から気配がして、見ると大臣でした。するとそれが忌まわしいドクロの仮面をかぶった人物になって、慌ててバスローブを着て出ると、ミアシャムが青い顔をして吐きそうにしていたのです。なのでわたくしはミアシャムをベッドまで運び、急いで元の服に着替えました。このスイートルームに大臣の姿があったか、ですか? いいえ。わたくしは見ておりません。それにあなたとサフィスの姿もありませんでした。何が起こっているか分からない内にサフィスとあなたが大臣の部屋の前で騒ぎ出して、そして……これ以上は止めましょう。思い出したくありません。大臣が殺される理由についてですか。あなた正気? あれはあの忌々しい怪盗がやったことだと思っています。ですが強いて言えば、お金絡みの復讐でしょうか。あまり大きな声では言えませんが、実はミアシャムの父親は以前デリック大臣の秘書をしていたのですが、魔法石を非魔法族へ売って儲けていたのです。それを大臣がとがめ、ミアシャムの父親は魔法使いのあかしである魔法石の剥奪と、国外追放を受けました。ミアシャムがこんな恐ろしいことをする子とは思えませんが、わたくしが思いつく動機はそれしかありません」

 スラストは時々薄い唇を噛みながら話してくれた。大臣を余程尊敬していたのか、時々涙ぐみながら、それでも強い口調で話す姿に、茉空まそらは思わずもらい泣きしそうになった。強い女性とはスラスト女史のことを言うんだろうな、と茉空まそらは話し終えて思った。

 次に秘書のサフィスの証言。

「僕は怪盗が姿を現した時、ミサキさんと一緒にいましたよね。それで大臣を呼んで、ミサキさんが飛び出して行ってしまい、僕は大臣と大臣のお部屋で待機することにしました。ですが大臣が『ちょっと出て来る。誰もついて来なくて良い』と行ってしまったので、仕方なく大臣の部屋で待つことにしました。女性陣達の体調の心配はしなかったか、ですか。心配しましたよ。今にも吐きそうな嗚咽も聞こえて来ましたしね。でも女性同士ならまだしも、女性にとって恥ずかしい醜態を男の僕が駆けつけて、女性を余計辱はずかしめたり我慢させたりする訳にはいかないじゃないですか。これも一種の僕なりのレディーファーストですよ。その後はミサキさんがスイートルームに戻って来て、あなた自身も見聞きした通りです。大臣が殺される理由ですか? これはあの怪盗がやったこと……まあいいでしょう。実は水の大臣はデリック氏が務めていますが、決してデリック氏が最も魔力のある人間では無いのです。デリック氏よりも魔力のある人間は、地位が最も近い者で言えばスラスト事務次官ですよ。ここだけの話ですが、デリック氏は自分が大臣になるために裏で手を回したという噂です。手を回さなかったらスラスト氏が大臣になっていたことでしょう。デリック氏は男尊女卑の考えが強い方で、女性の下に着きたくなかったというのが本音でしょうね。もういいですか。こんな時間ですし、なにかルームサービスでも頼んできます」

 サフィスは壁時計を見ると、茉空まそらの返事も聞かずにベッドルームへ引き上げてしまった。それにしても、今のサフィスは茉空まそらのことを「ミサキさん」と呼んでいた。それにずっと部屋にいたとも。では茉空まそらがホールで会った人物は一体誰なのだろうか、と茉空まそらはしばし考え込んだ。

 ミアは少し体調が戻ったようで、なんとか応接室に来てくれた。それでもまだうつむき加減で顔から血の気が引いている。茉空まそらはミアに大臣が狙われる理由だけを聞くことにした。

「大臣が狙われるとすれば、私には詳しいことは分かりませんが、大臣は強硬姿勢で知られていて、特に火の国と雷の国とは仲が悪かったと聞き及んでいます。今にも戦争になりそうだとサフィスさんがこぼしているのを耳にしました。ごめんなさい、マソラ。ちょっと横になって来るね」

「うん、無理させてごめんね」

 足元がおぼつかないミアの肩を取って、茉空まそらはミアをベッドまで運んだ。魔法警察が来るまであと一時間弱となった。今の内に状況を整理しよう、と茉空まそらは考え込む。できるだけ細かいところまで思い出そうとした。

 まず予告状が届いた。それから大臣が部屋に入って、秘書が大臣の部屋に入って、事務次官がベッドルームのお風呂に入って、大臣のお酒をメイドが取りに行って、洗濯物が届いて、少ししてから怪盗が現れた。そこで大臣が姿を見せて、私がスイートルームを往復する間に大臣の服が廊下に落ちていて、大臣の部屋の鍵が開かなくて、大臣はお風呂で死んでいた。死体はずっとシャワーのお湯がかけられた状態だったので正確な死亡推定時刻は分からない。最後に私が大臣を見たのは怪盗が出現した時……本当に? 大臣はあの時ぎょっとした顔で何かを恐れているような反応だった。もしあの表情が怪盗に驚いているのではなく、なにか別の物に驚いていたのだとすれば、大臣の視線の先には何があっただろう。

 茉空まそらは応接間を見渡し歩いた。あの時の大臣の動きを実際に自分自身で再現してみる。すると部屋の対角線上に自分の姿が映った。鏡だ。

 まさかこれに驚いたのか。これは確かスラストが魔法をかけた「真実の鏡」。これに驚いたということは、映ったのは大臣の姿ではない可能性がある。あれがまやかしだとしたら、誰かの変装、でも怪盗はあの時外にいた。何か引っかかる。盗まれた魔法具は非魔法族には使えない。逆に言えば魔法使いなら使える。盗まれた魔法具は「姿を惑わす」もの。つまり魔法具を使って変身していたとしたら、怪盗が現れた時に一緒に目撃した三人にも犯行は可能なはず。

 でも密室の謎が分からない。茉空まそらはさらに頭を回転させる。

 なぜ密室にしたのだろう。発見を遅らせたかったからとすると、私がドアを開けたのは犯人にとって予想外だったはず。でも発見を遅らせるなら服を廊下に捨てておく必要は無い。犯人にとって予想外のことが他にも起きたんじゃないか。指輪を壊した理由は水の石だけを奪うためだろうか。それなら指輪ごと隠し持っていればよかったはず。では指輪を壊したのは何かをカムフラージュするため? あの時一緒に落ちていた破片はガラスの破片。水の石の指輪でガラスの破片をカムフラージュするのはおかしい。それに死体と発見した時、部下達は口々に「水の石が無い」と叫んでいた。裸でお風呂に入っていたのだから指輪をつけていなくても違和感は無いが、死体を見た途端ということは、指輪は本来の水の石でなく本物の石は別の場所にあったのではないだろうか。それも裸の状態ですぐに分かるような場所に。あの指輪自体がデリック氏自身が仕掛けたカムフラージュで、ただの青いガラスが嵌められた指輪だとしたら、本物の水の石は別にある。そして犯人は水の石をまだ持っている。

 そして茉空まそらはもう一つ思い出した。あの異常に冷たかったドアノブ、あれはおそらく水の石の魔法でドアの錠が凍らされていて、回らなくなっていただけなのでは。では、ドアノブを凍らせた人は最後に、水の石を持つ手で持った人。茉空まそらの前にあのドアを触った人は――。

 茉空まそらの頭の回路が一本に繋がった。


「犯人が分かりました。犯人は怪盗ではありません。この中にいます」

 茉空まそらは事務次官と秘書とメイドを応接室に呼んで話し始めた。三人とも怪訝な顔をしている。

「私はまだ若いので、皆さんを納得させられるように明快に分かりやすく話せる自信はありません。難しい話は止めにして、私の質問に答えて下さい」

 まあいいでしょう、と茉空まそらの倍以上の人生経験があるスラストが余裕を持って答えた。

「私は勘違いをしていました。水の石は、大臣がつけていた大きな指輪にある青い石だと。しかし違うんですね。本物の水の石は大臣の左の背中に埋め込まれていた、違いますかスラストさん」

 三人は息を飲んで互いを見合う。悪戯がばれた時の子供のようだ、と茉空まそらは思った。指名されたスラストは大きく息を吐いてから認めた。

「そうです。あなたの言う通り、大臣は就任当初から水の石を自分の体に埋め込んでいました。誰にも取られたくない一心で、きっと自分が死ぬまで持っておきたかったんでしょう」

「その通りになりましたね。大臣は水の石を体に埋め込んでために、犯人に殺されてしまいました。ところでサフィスさん、今何時ですか?」

「は?」

 サフィスはふいを突かれたのか、バカバカしい質問だと思ったのか少し怒った。

「見て分かるでしょう、ミサキさんは目が悪いんですか。そこに時計があって……」

「なぜ壁時計を見るんですか」

 サフィスが全て言い終える前に茉空まそらは遮った。

「腕時計はどうしたんですか」

 サフィスは左手首を抑えて黙り込む。やはりそこか、と茉空まそらは確信した。

「サフィス! まさか」

 スラストが叱咤するように叫んで立ち上がり、ミアは口に手を当てたまま動かない。茉空まそらはゆっくりサフィスに近づいた。

「さあ、腕時計を渡して下さい。それだけであなたの無実は証明されます」

 茉空まそらが近づくごとにサフィスは左手を抑えたままゆっくり後ずさる。ミアがどうして、とつぶやいた。

「どうして? 君がそれを言うのか。あのぶくぶく太った男に父親が汚名を着せられたというのに! 君は本当に何も知らないんだな、ミアシャム、君の父親がやったことになっている罪は本当は全てあの男、デリックがやったことなんだよ!」

 部屋中に、いや廊下まで聞こえるかというくらいの大声でサフィスは腹の底から叫んだ。

「魔法石を売って私服を肥やしていたのは、あのデリックなんだ! その内に水の石も売って自分は悠々自適に過ごすつもりだったんだろう。だからそうなる前に僕が殺してやったんだ。大した魔力もない、自分のことしか考えない人間が持つより、僕が持っていた方がいいに決まっている。なあミサキさん知ってるか。水の石はそこに存在するだけで雪や雨を降らせるんだ。ところがどうだ、あの男が持っていてもここは雪すら降らなかっただろう。そんな奴が持つよりふさわしい人間がいるはずじゃないか!」

「それはサフィスさんでは無いと思います」

 茉空まそらは静かに言った。

「あなたが持っていたこの数時間も雪は降っていません」

「うるさい!」

「あなたが水の石を持ったところで、誰もついて来ませんよ」

「どうだろう。君達が死ねば誰も僕を疑わない、全てあの怪盗がやったことにしてくれる。なんせあの『姿を変えられる魔法具』を僕に手渡したのは怪盗なんだ。きっと怪盗も……」

 コンコン。その時ノックが鳴った。

 全員がドアに気を取られている隙を突いて、茉空まそらはサフィスに飛びかかった。サフィスは身をよじって抵抗し、茉空まそらの顔を何度か蹴りながら懐中時計を取り出した。部屋中に霧が立ち込める。茉空まそらは痛みをこらえながら立ち上がるが、霧が濃くて動きようがなかった。サフィスの笑った声だけが聞こえた。

「ははは、これで終わりだ。少なくともあんな保身に走るような奴よりマシだろ」

「そう、犯罪者が保身に走ると終わりだよ」

 低く場違いな甘い男性の声が、日本語で響いた。続いて、霧の中からサフィスのうめき声が聞こえる。

「まさか私が魔法具を渡す前に殺してしまっているとはね。私はただ、大臣の姿で現れてくれれば水の石を奪うチャンスができるとささやいただけなのに。私の計画を保身に使った君を、この怪盗は許さないよ」

 手探りで声の方に向かう茉空まそらの胸に、硬い物がぶつかって来た。慌てて手を出すと、懐中時計と腕時計だ。だんだんと霧が晴れていく。腕時計はガラス部分が取り除かれ、針を押しひしゃげるように薄青色うすあおいろのオセロくらいの石が詰め込まれていた。これが本物の「水の石」か。茉空まそらは盗まれた物が戻ってきたことにほっとしたが、目の前に広がる光景に再び戦闘モードへ切り替えた。

 そこにはサフィスを組み倒しているシルクハット帽にドクロ仮面の人物がいた。

「怪盗!」

 茉空まそらが駆け出そうとすると、怪盗セラビはサフィスを茉空まそらの方に強く突き飛ばして来た。サフィスは「返せ!」と茉空まそらの手から魔法具を取り戻そうと、また顔を何発が殴りかかって来る。茉空まそらは少しだけかじったことのある柔道の大外刈りでサフィスを倒し、サフィスの首に体重がかかるように押さえつけた。

「今回は君の活躍に免じて、水の石は諦めるよ。探偵さん」

「待て!」

 しかし茉空まそらは手が離せない。サフィスがまだもがいたので一瞬目を離すと、怪盗の姿は消えていた。その代わりに十人くらいの人間が押し寄せてきた。

「魔法警察だ!」

 茉空まそらは少しほっとして、ようやく顔の傷の大きさに気付いた。


 事後処理。サフィスは通常の殺人事件として非魔法族の警察に引き渡されることとなり、水の大臣の後任にはスラストが収まることとなった。怪盗は捕まえ損ねたが、殺人事件を解決したこと「水の石」を守ったとして、茉空まそらは警察や師匠から多すぎるほど褒められた。

 北海道の冬の空を見て、茉空まそらは「今度こそ怪盗を捕まえてみせる」と魔法石のように輝く星に誓った。


― 終 ―

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セットピース ~魔法探偵と怪盗と殺人~ 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi

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