斎藤一の尾行






 斎藤は常の無口に無表情で、すっと背を伸ばして正座していた。

 

 

 開け放った障子からの時折の春風は、ややもすれば人々を眠りにいざなうというに、

 いま此処、副長部屋においては、三人の誰の顔にもその気配など無く。

 

 どころか。

 

 「冗談でしょう」

 

 笑い出しそうな顔で、いや事実、ほとんど笑っているも同然の沖田と。

 

 「オイ、こちとら、わざわざおまえら呼び出して冗談いう暇人じゃねえよ」

 

 眉間に激しい皺を寄せながらも、沖田のあいかわらず人をくった態度に一々まともに返している、

 なんだかんだで良い兄貴分の土方と。

 

 

 「・・・・」

 

 無表情のままの斎藤。

 

 

 「尾行は監察の得意分野でしょうが。何故、俺達なんです」

 

 笑みを残した口元で、沖田が茶を飲み干した。

 

 「俺はこの通り、火の見やぐらだし、斎藤は・・」

 

 ちらりと沖田は、静やかに座っている斎藤に目をやった。

 

 深閑な空気を纏う白皙の横顔が、黙して土方を向いている。

 

 本人は目立つのが嫌いなようだが、その崇高なまでの佇まいは、どうしても人目をひく。

 それを本人がどの程度、自覚しているのかは定かではないが。

 

 「・・無理がありますよ。俺達じゃ、どう気配を消そうが、」

 

 人々の視線を浴び、

 

 「町中じゃ目立つ」

 

 いずれ前をゆく尾行対象から、気づかれる可能性が高い。

 

 「よほど距離を置いてもいいなら別ですがね」

 「いや、先にも言ったように、十数歩のみ後ろでぴったり付いてもらう」

 

 「・・・」

 

 ふわりと春風が土方の手にある書簡をはためかせた。

 

 

 「目立てば目立つほど良い」

 そして土方は、にやりと哂った。

 

 「どういう意味です」

 怪訝な顔になる沖田に、土方がしてやったりとほくそ笑んだ。

 

 「付けまわされてると気づかせ、怖がらせるのが今回の狙いだ。しかもおまえらなら敵方に顔も腕も知れ渡っている。うってつけだ」

 

 「ああそう」

 随分とまた可笑しな尾行だと、ついに大口で笑いだした沖田の横で、


 勿論、斎藤は無表情のままである。

 

 「詳細は最終的な案をまとめて後ほど監察から伝える。明日実行だ」

 

 俺からの話は以上だ、と土方は切り上げた。

 

 

 「ま、窮鼠猫を噛む、なんてこともある。一応、尾行中の反撃に備えて気は張っておけ」

 

 

 

 

 

 そうして。

 人の往来にぎわう町のど真ん中。

 

 沖田と斎藤は、つけまわしていた。

 

 とある旅籠から出てきた男を、もう四半刻ほど。

 

 

 ぶわっと沖田は欠伸をした。懐手にのんびり大股で歩みながら、つと隣を見下ろせば、

 斎藤が背をすっと伸ばして、その最初から全く変わらぬ姿勢でまっすぐに前を向いたまま、音もなく忍びやかな足運びを続けている。

 

 目立っていた。

 二人は、どうしようもなく目立っていた。

 

 ちらちらと盗み見る人々から浴びる視線の中、沖田は苦笑しながら斎藤から前の男へと向き直る。

 

 二人は男のたった十数歩後ろをぴたりと保っていた。

 

 当然もう男のほうは、通りすがる人々がこぞって己の背後へと視線を送り続ける魔訶不思議な現象に気がついて、

 しばらくは酷く振り向きたげな様子で、何度も半分だけ沖田達を向いては、とにかく進まねばとばかりに足早になってを繰り返していたが、

 

 ついに先ほど勇気を出した様子でぱっと振り向いて、

 沖田と斎藤の顔をばっちり見て、慌てて前へ向き直った。

 

 まだその時点では、沖田達が偶然に後ろを歩いているだけだと思おうとしたに違いなく。

 

 そもそも、その場でいきなり沖田達から逃げ出せば怪しまれると危ぶんで、男は我慢して平静を装い歩み続けるより他なかったであろう。

 

 だが、いつまでも人々による摩訶不思議なる現象は続き、つまり沖田達が後ろを歩き続けているさまに、

 男はついに恐怖に駆られ出したようだった。

 つけまわされている、ともはや認識せざるをえなかったのだ。

 足取りが一層不安そうに、今にも駆けだしそうにもつれている。

 

 

 怖がらせる、という、ひとまずの目的は果たしたということだ。

 いいかげん監察から解散連絡が来ないものかと、沖田はげんなりしながら今一度欠伸した。

 

 監察なら数人、沖田達の更に後ろをもうずっと付いてきている。

 

 

 監察の説明では、この男は京に潜伏する不逞浪士達の主要な連絡役で、旅籠から旅籠へと日に数度も繋いでまわっているという。

 要は、この連絡役に、おまえのやっている事は新選組が把握しているのだと知らしめ、不逞浪士間の連絡を制限させることが差し当たっての狙いなのだ。

 

 そして、男が恐れをなして連絡行為を控えれば控えるほど、只それだけで、

 新選組つまり守護職の京での活動目的である、幕府の意向に反する政治的破壊的活動の阻止、に直結する。

 

 かつ、この男ひとり捕まえるよりも、恐怖の中を泳がせておき、

 いずれ遅かれ早かれ、この男が助けを求めて駆け込む先の不逞浪士達を“いぶり出す” ことができるならば、そのほうがよほど使い道もあるのだと。

 


 牢にも限りがある。

 徹底巡察を要する時期ではない今、不逞の輩といえど、それなりの嫌疑や詮議にかけられるだけの証拠も実害も無いうちにやたらめったら取っ捕まえることはしない。まして安易に拷問することならば更に無い。

 もっとも、新選組を鬼の集団と信じてやまない彼らは、そうは思っていないようだが。

 

 組が拷問で問いただす時は、濃厚な嫌疑が存在しながらも証拠が薄い場合、

 または政治的活動なり破壊的活動なりの現行犯であったり、不逞浪士のほうから組の人間を襲ってきたような場合である。

 

 

 その程度に、組にも体制側としての制限があるぐらいだから、束の間とはいえど平常時たる今、見つけ次第とにかく捕縛する対象など限られている。

 すでに反幕府的活動の証拠が挙がっている、不逞浪士の元締め達だ。

 

 そうでない、いっていればその他大勢の不逞浪士がただそこに居るだけで捕まえたりはしない。

 日々の旅籠への巡回の目的も、元締め達の捜索追跡と同時に、その他大勢への牽制であるといっても過言ではない。

 

 彼ら名もなき不逞浪士達の個々の密会においては、常、監察が見張り、確かな反幕活動を確認した段階でやっと踏み込むのである。そうでなければ、むしろ泳がせて元締め達へ辿る手段を残しておくほうがいい。

 

 今回も、男の今後の行動によっては、そうして何かしら“いぶり出す” ことが期待できるということだ。

 

 

 池田屋以降、むやみに抵抗してくる者は少なくなっている。

 新選組も当然、向かってこない者を斬り捨てはしないから、踏み込むに至った場合も両者互いにたいして血をみることもなくあっさり終わるものだ。

 

 そもそも踏み込む時は、敵方が抵抗を諦めるほどの大人数で向かうのが鉄則だ。当然といえば当然だった。

 

 血をみることが多いのは、むしろ、町中である。それも突然起こるような類い。

 つまりは。

 

 

 

 「斎藤、」

 

 男を見据えたまま沖田は、隣の斎藤へ低く声をかけた。

 

 「後ろは任せる」


 「ああ」

 

 涼やかな面持ちを崩すこと一切なく、斎藤が静かに答えた。

 

 

 

 ―――襲撃。

 

 

 

 前から抜刀した数人の男達が、悲鳴をあげる人波を掻きわけ雪崩れ込んできた。

 連絡係の男は、急変した事態に驚いた次には大層安堵した様子で、あっというまにどこかへ駆け去ってしまった。

 

 後方にもバラバラと足音が轟く。

 すでに監察は組へ連絡に走っていることだろう。

 

 

 まあ予想はしていたが、と内心沖田は失笑する。

 

 ただでさえ目立ちながら、よりによって沖田と斎藤が揃って長らく歩んでいれば、血の気の多い不逞浪士の誰かしらの目にも留まるのは当然だ。

 呼び合って、急ぎこの人数を集めたのだろうが。

 

 

 「新選組の沖田だな!」

 

 「そうだ」

 万一の人違いをしないよう確認してくるだけ、まだ感心なことだと沖田は思う。

 

 「貴様は斎藤だな!」

 

 後方からも、斎藤に対峙した男達の怒号が響いた。

 

 

 「・・・」

 

 今なお無表情であろう斎藤が、その無口で何も返事を返さないので、妙な間が空いた。

 

 「そうだ」

 仕方ないので沖田が代わりに後方へも返答する。

 

 「仲間の仇!」

 「お命頂戴する!」

 早速、浪士達が次々に吼えた。

 

 「貴様ら二人だからといって手加減はせぬ!覚悟しろ!」

 

 それはこっちの台詞だ

 胸中吐き捨て。沖田は抜刀した。

 

 

 

 町中での斬り合いはとかく騒がしい。

 

 居合わせた人々の悲鳴が飛び交い、皆そこかしこを縦横無尽に逃げまどう。

 

 沖田はそんな喧噪の視界の端に、しんと佇んでいた斎藤が水もたまらぬ抜き打ちで一人の胴を払うや、

 身をひるがえし、時一瞬にして斎藤へ振りかぶっていた二人の腕を薙ぐ一閃とその残像を映した。

 

 斎藤の、静から動へと変わる瞬間は。

 

 見る者を、呑みこむ。まして、

 受けた者は。

 

 「・・く・・・あ・・!」

 「う・・ああああ!」

 

 その身に何が起こったのか。刹那には認識など追いつかず。

 

 

 打ち込んできた男の首を飛ばしながら沖田は、己へ一気に距離を詰めてきた男へと斎藤から視界を切り替える。

 

 示し合わせるように横合いから斬りこむ男の一刀を躱しざま、急所へ突きを入れ、

 同時に先の男の背後を取った時。

 

 まだ沖田の間合いの一歩外で慌てて振り返る男の、手が同時に、

 常人には追えぬ手練れた速さでその懐へ向かうのを、沖田の目は捉えた。

 

 咄嗟に男の双眸を見据えた視界の端に、次には取り出された短筒が映った刹那、

 男の目が狙う位置を見定め、跳び避けた。

 

 パアン

 

 音がむなしく響く中、

 すでに沖田の抜き放った小柄が、男の手の甲を深々と刺し貫いている。


 銃声に一瞬、斎藤からこちらの安否を確認する気配が起こり、

 大丈夫だ、と沖田は、脇へ突進してくる別の男を袈裟に討ち下しつつ目くばせした。

 

 手を刺されたせいで二発目を打てずに短筒を取り落とした男が、よろよろと後退るのを放置し、その横で逃げ出す男の背を峰打ちで薙ぎ払いながら、

 

 斎藤が最後の浪士と二三合の内に鮮やかな一閃で討ち取ったのを確認し、沖田は血糊を払い納刀した。

 

 

 

 

 

 

 捕らえた浪士達から結局、判明したことには、

 

 普段ならばとうに連絡役が到着していてもいい時刻になっても一向に現れぬさまを心配した浪士達が、様子を見に旅籠を出て町を見回ったところ、沖田達とその先をゆく連絡役を発見し、応援を呼び合ったのだそうで。

 

 要するに“いぶり出す” までを期せずしてその日のうちに完遂した結果に、土方も監察も大満足で、

 

 沖田はやれやれと肩を竦めつつも。

 今も無表情の斎藤が、横でずずっと茶を啜るのを見やり。

 その常の変わらぬ光景に、最早ふっと相好を崩した。

 

 

     






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新選組の漢達 @utageyoru

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