現実エンドー公子、はばたく!

 週末は忙しかった。

 テレビドラマのワンクールに相当する内容の濃さと、めくるめくドラマティックな展開があった。

 ――されど、月曜日は来る。日曜日きのうまでの過去をリセットするかのごとく。


 暖かさが増してきたので、トレンチコートの下は薄手のニットとフレアスカートの組み合わせにした。

 通勤途中、亜蘭君と交番に寄って届け物をした。

 

「さっきのアレが、公ちゃんの部屋にあったの?」


 交番を出て、亜蘭君が聞いてくる。『アレ』というのは、十字架クロスの横が羽になったデザインのペンダントのことだ。


「金曜の夜、亜蘭君の家から帰る途中に公園で見つけたの。拾わずそのまま置いてきたのに……。ペンダントが飛んできたわけでもあるまいしねぇ。摩訶不思議」


 私のあいまいな回答に、亜蘭君は首をかしげた後「ははっ」と陽だまりみたいに笑った。

 うん。やっぱりこの笑顔が好き。

 ケンカ別れした翌日、彼は予定を返上して家まで謝りにきてくれた。「公子にはもったいない男前」と家族にもてはやされ、私は誇らしいやら悔しいやらで複雑な気分になったけど、なんにせよ仲直りできて良かった。トラブルは早めに解決するに限る。

 十字架のペンダント、今度こそ持ち主さんの元へ戻りますように。


 庁舎に着き、亜蘭君といったん別れて、市民係の自席につく。

 窓から望む駐車スペースには、うららかな陽光が注いでいる。

 私はおのずと、あの夢を回想していた。


 アラン王子、セバスチャン、セフィーレスさん、シンシア――すべてを鮮明に憶えている。


 いつもなら起き抜けと同時に夢の内容を忘れてしまうのに、珍しい。

 実のところ目覚めてからずっと、現実と夢のはざまにいるような、ふわふわとした心地が続いている。


 ――おっと、出番。案内板の前で、女性が立ち往生していた。


「どちらの課をお探しですか?」


 例によって、ふわり君の着ぐるみに気をとられていたお客さんはびくっとして振り向く。

 いい加減、この反応にも慣れちゃった。風船から羽が生えたおかしなルックスのゆるキャラを押しやり、親しみやすさを意識した笑顔を振りまく。


「先日転入してきたんですが、児童手当の手続きがまだで」

「児童手当ですね。ご案内します」


 転入にかかわる手続きは盛り沢山だから、二度三度と足を運ぶお客さんも少なくない。


「児童手当の手続きお願いしまーす!」


 福祉課の窓口で美声を張り上げると、例によって、担当者の前園がのそのそと出てきた。

 こいつめ。お客さんを前に、またそんな無愛想な態度で。


「……手当の振込先口座を指定していただきたいんですけど。通帳番号をお持ちですか」

「じゃあ、これでお願いします」

「あ、お子さん名義の通帳はダメなんです。振込先はあくまでも申請者のかたの名義でないと。後日で良いのでこちらの窓口に提示してください」

「仕事が終わってからでいいですか」

「お仕事は何時頃に終わります?」

「六時ですが」

「あー庁舎は五時半に閉まるんで。年休を取ってきていただくか、もしくは昼休みにお願いします」


 ――デジャブか!!!

 もう少し……もう少し、なんとかならないの?


 ここ最近、堪忍袋の緒が短くなっている気がする。

 かっとなった私は止まらなかった。誰にも止められなかった。

 案内板まで走って、ふわり君の着ぐるみを服の上から身につける。庁舎のイベントで〈ふわり君〉になって練り歩いた経験があるので扱いには慣れていた。


「くぅおらーっ! 前園っ!」


 そのまま福祉課のカウンターへと突進する。

 怒号を上げた〈ふわり君〉の登場に、場は一瞬にして凍りついた。デスクワークに戻った前園はのけぞって、他の職員も手を止めてこちらを凝視している。


「いい加減にしろよ、お前。少しは動け! お客さんにばっかり足を使わせるな!」


 わずかに身じろぎした前園は、顎をしゃくると小さく震える声で、


「でも、社会福祉制度は申請主義だから……」


 申請主義ですって?

 この期に及んでその言葉を盾にした彼に、私はいっそうかっとなる。

 申請主義とは、国民があくまでも申請によって制度を利用できること。裏を返せば、誰もが当たり前に受けられる権利も、申請しなければ受けられないということでもある。


「そうだよ」と私は低い声を絞り出して、「だから、大事な仕事を休んでまで手続きに来るんだろうが! 庁舎に来るまで、すでに“ご足労”させてんだよ。思い上がるな! 相手の立場になって考えたことあるのかよ!?」

「……っ、俺だってな、色々あんだよ!」


 カウンターを乗り越えた前園が掴みかかってきた。

 やる気か? 来いよっ!

 私は「うおー」と雄叫びをあげながら、風船から伸びる両翼でばさばさやって目の前の男を権勢する。羽ばたいているようだった、と後にこの騒動を見守っていた同僚に伝えられた。


「公ちゃん!」


 そこへ、上品で凛とした声で名前を呼ばれる。

 マリア課長が「あらまあ」と口元を両手で覆っていた。どうして正体がバレたんだろう、と戸惑ったあたり、私もまだまだ甘い。自慢の美声でバレバレだったのだ。



 数時間後――

 相談室に連行された私と前園は、庁舎内の風紀を乱した罪でこってり絞られた。事件を目撃した来客に、マリア課長がひとりひとり回って騒動を詫びたらしい。


「すみませんでした」

「いえ、こちらこそ」


 頭を下げ合っているのは、それぞれの上司。マリア課長と、福祉課長の田ノ倉たのくらさん。


「前園の窓口対応は自分も気になっていました。早くに指導するべきだったんですが、今、課全体が立て込んでいて」


 田ノ倉課長が部下へと鋭い眼光を放つ。

 一見するとヤ〇ザと誤解しそうな外見の彼は、生活保護のケースワーカを長年務め、他に介護施設や障がい福祉の部署を渡り歩いてきた、福祉畑のベテランだ。ちくりと忠告された前園は、ばつが悪そうに反抗的な目を伏せる。


「総合窓口を設置したら、こんないさかいもなくなるのに」


 脱ぎ捨てたふわり君の着ぐるみを目の端で睨みつつ、ぼそり呟く。私は自棄になっていた。たまっていた鬱憤うっぷんを吐き出せたので、このままクビなってもいいといさえ思っていた。


「暮森よ」


 オールバックの髪を撫でた田ノ倉課長が大きく息を吐いて、なだめるような口調で言う。


「物事には優先順位というものがある。毎日大量に転入転出がある大都市ならともかく、うちは人口数万人規模の市だ。小さな街だが、森林資源が豊富で農業と畜産業が発展している。まずは、そちらに重点を置いた施策が優先されるんだよ」


 そんなの知ってる。わかっているの。どうにかしたいのに、どうにもできなくて、暴れるしかなったの――。

 膝の上に置いたこぶしをぎゅっと握る。

 そんな私の傍らで、マリア課長が「んー」と人さし指を口元に当てて、首をかたむけた。


「でも、小さい街だからこそ。来客が少ないから出来ることはあるかもね」

「……といいますと?」


 不穏な何かを察したらしい、田ノ倉課長が眉尻をぴくりとさせる。


「こういうのはどうでしょう。転入などで手続きが多課に渡る場合、それぞれの課の担当者が案内係の窓口に集結するの」

「へ……?」

「もちろんずっと、の話ではありません。うちの暮森と前田に引継ぎをさせてください。専門性が高いケースは従来どおり原課で対応してもらうけど。そうでないものは一か所で手続きできるように」


 お客さんが課を回るのではなく、係員がお客さんの元にやって来る。そして、いずれは案内係がひととおりの手続きに対応できるようにする。

 マリア課長の思い切った提案に、田ノ倉課長はあんぐりと口を開けて絶句した。

 同じ役職といっても上下関係はある。かつてマリア課長の下で働いていた田ノ倉課長は、「他の課とも協議してみないと」と返事するにとどまった。


「今回の件を部長たちに報告するとき、ついでに提言してみます。――公ちゃん、歯車を回してくれたわね。とんでもない方法でだったけど」


『歯車は回し初めが一番重いんだよ』


 マリア課長が含むような表情で目配してくる。

 ふと背筋に寒気が走った。まさか、すべて彼女の思惑どおり? それはないよねさすがに……。


 もし実現したら、国民健康保険制度や児童手当など、さまざまな手続きを私が請負うことになる。

 容易な手続きのみといっても、制度の内容を知らずに対応できない。

 勉強しなきゃ。今よりもずっと。

 なんだかワクワクして、足が地につかないような状況でその日の業務を終えた。



☆☆☆



「あーあ、疲れた……?」


 帰宅して自分の部屋に入ったとたんに、耳鳴りがした。

 急激な気圧の変化がおとずれたような、異常な空気の変動を身体が察知する。


「えっ、なんなの?」


 小学校入学のとき祖父母に買ってもらって、いまだに愛用している勉強机が部屋の中央にある。

 そのデスクマットが、ほの白く光っていた。

 おそるおそる近づいて目をこらすと、光源の正体があきらかになる。


 十字架の横が羽になっている、洒落たデザインのペンダントだった。

 思いっきり見覚えがあるんですけど――!?

 嘘でしょ。今朝交番に届けたはずなのに。


 光の強さはどんどん増して、何物かを、かたどり始める。

 プラチナブロンドの長髪、彫刻のように整った顔貌、漆黒のローブ――やがて人型があざやかに浮き上がった。


「おお――ようやく見つけた。王子が狂わんばかりに、お前さんを探しとるぞ」


 秀麗な外見に反するジジむさい口調。

 世にも美しい侍医の上半身が、にょきっと机の上に生えていた。


「せ、せっ、セフィーレスさん!?」


 叫ぶと同時に、ふっと意識が遠くなる。

 夢と現実のはざまから、まだまだ抜け出せないらしい。



【EP1:墜落シンデレラ…end.】

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アフターテイルズEP1:墜落シンデレラ 羽野ゆず @unoyuzu

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