第3話 ツギハギのリレイション


「大層な肩書きもなにもないけれど、君が話してくれたのだから、そうだね」

 削れて行く鉛の匂いがした。その匂いが強くなるたび、私という存在が原稿用紙に広がっていく。

 なぜこんなことをしているのだろうと、思うことがある。多分、はじめて視界の先に敷かれたレールのない光景を目にしたから、なのかもしれない。

 正解なんていうものはなく、間違いというものもない。どちらを選んでも誰に何も言われることはなく、見なかったことにして帰ることもできたはずだ。

 けれどここで帰ってしまったら最後、もう二度と私は、私を意志で行動する機会を失ってしまうかもしれない。根拠も何もないけれど、恐怖にも似たそんな感情があったのだろうと、私は私を俯瞰して見つめていた。

 恐怖と後悔から逃れるため。なるほど、今こうして芯をすり減らしながら自分を表現するこの行為は、自らの保身からくるものだったのか。読んでほしい、続きを書いてほしい。そんなこと、ここには一文字も書かれていないのだ。

 保身と自己満足のために押し付ける行為を「伝える」だなんて言葉に変換していた私は、私の思っている以上に醜悪な人間だ。

 筆は止まらない。

 乗り掛かった舟、旅は道ずれなんとやら。せめて一区切りつくまでは、付き合ってもらうことにしよう。

 人を形成するもののひとつとして言葉があるように、私は原稿用紙いっぱいに醜態を晒し続ける。

 趣味、性格、遍歴、あの子が残した数十枚のテンプレートを基に書き連ねた。

 ここからがテンプレートにない、私の「醜態」そのものだ。


「君の夢を聞かせてはくれないだろうか」


 男は口籠る。私はまだ、あの子の想いを知らないのだ。そして、それを棄てようとした理由も。

 あの子はおそらく、自分と男を重ねているのだろうと思う。

 このときの筆者の心情を答えなさい。意図を考察しなさい。後天的に染み込んでしまった悪癖かもしれないが、どうにもこの「物語」を「物語」単体として見ることができない。

 文字から、文章から、浮かんでくるのだ。

 書かれていない主人公の心情や、物語の行く末が。

 夢に奔走する主人公とは対照的に、物語の各所には諦めにもよく似た感情が散りばめられている。

 大空を夢見たペンギンと言ったところだろうか。

 断ち切るために、ただそれだけのためにわざわざ、あの子は書いたのだ。自分と鉛筆をすり減らして。

 それだけの想いがあるのに、伝えられるのに、諦めてしまうのはあまりにも悲しいことだ。

 だから私も勝手に応えよう。自分をすり減らしながら。


「敷かれたレールをただただ走っている人生だった。なんてつまらない。反面君はどうだ、なにか掴もうと必死に奔走して、情熱を注いで、あぁなんて、」


 ――うらやましい。


「棄てきれないのなら、棄てなけばいい。諦めるのには理由が要るけれど、立ち上がるのに理由なんていらないんだ。だからどうか、」


 ――自分だけは、自分の味方になってあげてほしい。


「もう一度聞かせてはくれないだろうか、君の夢を」


 なんて自分勝手で、一方的。

 ぼろぼろのポストに詰め込んで、日の落ちたバス停を後にする。

 さあおんぼろポストくんよ。君に最後の仕事を命じよう。

 書き足した数枚の原稿用紙も一緒に詰め込んだ。

 感情が去来するもそれは風のように私の胸を撫で、抜けていく。

 まるで花火のよう。輝きは一瞬で、遅れてやってくる終わりの音が、いつまでも私から離れようとしないのだ。

 あの子の想いを知ることは金輪際、起こりえないだろう。物語も終わったのだ。

 いや、こんな駄文を付け加えられたら、むきになって続きを書いてくるかも?


「……そしたらある意味成功、かもしれないわね」


 けれどその続きを多分、私が読むことはないだろう。このバス停に来ることはもう、ないのだから。

 今日は私にとって終わりの日でもあり、始まりの日でもあると、かすかに高揚する私がそう伝える。

 もっと誰かの想いに触れてみたい。

 教えてくれたのは、きっとあの子なんだろう。

 私は私の預かり知れないところで勝手に、救われていたのかもしれない。

 顔も名前も性別も、何も知らないあの子。

 けれど、

 そんなあなたの書く話が好きだ。

 そんなあなたの書く文が好きだ。

 そんなあなたの書く字が好きだ。

 そんなあなたが、好きなのかもしれない。



 制服なんて久しく着てない私がそのことを思い出したのは、偶然書店で手に取った本に、あの子を感じてしまったからだ。

 独りぼっちの冴えない男が、ふとしたことをきっかけに旅に出る話

 小説なんて誰でも書くことのできる時代だから、内容に既視感のあるものなんて珍しくない。

 偶然か必然か、何か惹かれるものがあったのか、手にとった時の気持ちなんてものは覚えていない。

 文学部に進み、多くの想いとその伝え方に触れてきた。

 だからこそ、この本ににじみ出るあの子らしさを余計に感じてしまったのかもしれない。

 物語が終わり、あとがきに目を通した。


 あとがき

 まずはじめに断っておきたいのは、これは私ひとりによって書かれたものではないということです。

 本体なら完成するはずのなかったこの作品はもう8年も前に、人目のつかないところでそっと、産声を上げました。

 いえ、はじめはとても物語とは言えない、ただの想いの棄て場でした。筆を折ろうとして、誰にも見つけられないようなところに置き去りにして、ひっそりとソレが死んでいくのを待っていたのです。

 私は意思が薄弱なので、それに願い事を添えることにしました。

 ――棄てに棄てきれなかった私の想いを、あなたは受け取ってくれますか?と

 吐露した心の声、誰にも届かないはずの想いに数日後、微妙にデザインの違う原稿用紙と、私の知らない誰かの文字を通して、お返事が返ってきました。

 その時の想いをしたためたものがこの物語で、私が今、こうしてあなたに伝えられているのは間違いなく、あの瞬間があったからです。

 伝えたいことはこの物語にあることがすべてです。だから、あとがきなんていうものはこれくらいにして、筆を置かせていただきます。

 読者の皆様、ありがとうございました。

 担当のNさん、ありがとうございました。

 知り合いでも、友達でも、恋人でもない。

 私を救ってくれたあなたに、ありがとう。


 風にあたりたくなったので本を置き、ベランダに出た。

 私を迎えてくれたのは肌をなぞる風と、夕暮れを知らせる虫の声。

 あの子に想いは伝わったのかどうかなんて知らないけれど、少なくとも元気そうだとあの日によく似た今日の夕暮れが、そっと耳打ちしてくれた。


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