第39話 正しき怒り
とっさに伸ばした沢渡の右手が、ひび割れた床をつかみ、それもまた崩れて、コンクリート中に埋まっていた鉄筋をつかむ。
撃たれた左肩にレクトラの重量がかかり、激痛がわいた。それでも沢渡はレクトラをしっかりと抱きしめる。
業炎の穴の中に、沢渡とレクトラは宙づりとなった。
激痛に歪む沢渡の視界の中で、レクトラは静かに微笑む。
「……私は実に運が悪いな」
そして少しだけのためらいの後にレクトラの緑の瞳に決意が満ちた。
「シュン、私を落とせ。……かまわない。元のところに戻るだけだ」
炎を映し、レクトラの瞳が揺れる。
「恨まない。いや、……ありがとう。うれしかった。とても……」
「だまってくれ!」
レクトラの目が驚いたように沢渡を見つめ直した。
「こんなクソイベント、僕は気に入らない! 絶対に!」
沢渡は自分の中に猛烈な怒りが宿っていたのに気がついた。
いじめられた時の怒りだろうか? 見捨てられ孤立していた時の怒りだろうか?
そうではないとなにかが告げた。
助けてくれた人を振り落としてまで助かりたいと思うような人間として扱われることが屈辱だった。
そこまで生き汚く振る舞えるなら、そもそも自殺など決意しない。
人を犠牲にしておいて、自分は無垢ですというような顔で暮らしていたあのいけすかない連中と一緒にしないでくれ!
気に入らない、腹が立つ、なにもかもなにもかもなにもかもだ!
沢渡の中に外の炎より熱い怒りが満ちていく。
こんなクシみたいなイベント、ぶちこわす!
沢渡は歯を食いしばって体をレクトラごとじりじりと腕一本で持ち上げる。
あの時、ごまかし笑いで怒りを出さなかった。
あの時、彼女が好きな気持ちで怒りをごまかした。
あの時、嫌だったのに、女装なんて本当に嫌だったのに、女の子を傷つけてはいけないなどと言い訳をして、怒りをごまかした。
怒るべき時に怒らなかった。
今またしかたがなかったからとへらへらと笑ったら、多分僕は僕をもう二度と許せない。沢渡は唐突にその言葉を自覚した。
怒れ! のぼれ! 上だけを見ろ!
沢渡はレクトラを抱えて、渾身の力で腕を曲げていく。
「レ、レクトラ……腕を……伸ばして」
驚きを瞳に宿したまま、彼女は左腕を伸ばし、鉄筋の切れ端を……つかむ。
沢渡はさらにレクトラを持ち上げ……
「両手で……つかめ」
レクトラが右腕でコンクリートに捕まり、沢渡は雄叫びをあげて、赤く染まった左手で彼女の体を押し上げた。
そして彼女のふかふかのしりに赤い手形をつけてさらに押し上げると、レクトラの体がひび割れたコンクリートの上に消える。
沢渡の顔に満足の笑みが浮かび、そして力が抜けた、
左肩から血がとめどもなくしたたり、力なくぶらさがった沢渡の右手から、残り少ない握力が失われてゆく。
(やれることはやったよね)
既に怒りは消え、凪いだように心は平穏だった。
足元には紅蓮の炎が渦巻く巨大な穴になっていた。もう牢も通路も階段もない。
渦巻く炎を見つめながら、あの月の夜に死ななくて良かったと沢渡は思った。
まだできることがあった。それを果たした。それがVRの世界だったとしても、果たした。
ずるりと鉄筋をつかんだ手が滑る。
恐怖はみじんもわかない。悲しみも後悔もない。
炎が起こす熱風は、VRとは思えない熱さと確かさがあった。
「あそこに……落ちるのか……」
目を閉じる。最後の時が来ることがわかった。
そして右手から鉄筋の感覚が消えた。
浮遊感は一瞬だった。
右袖がつかまれた。また右袖がつかまれた。さらに右袖がつかまれた。
上に引っ張られて、服がつかまれ、左肩の下に手が入り……
「あげろぉぉ 力入れてあげろぉぉぉ」
男達のかけ声と共に沢渡の体がひびだらけの床に引き上げられる。
そして沢渡は間髪入れず担ぎ上げあげられた。
右にはレンが、左には泣きはらしたレクトラがいた。
突然、地鳴りが始まり、ひび割れた床がさらに崩れ始める。
「脱出するんだ!」
誰かが叫び、誰もが返事すら惜しんで出口に向かって駆けた。
建物を出て、抱えられて小道を走ると、炎とは違う潮の香りがした。
「見ろよ!」
その言葉で誰もが出てきた建物を振り返る。
大地を震わせる地鳴りと共に、建物が窓という窓から、崩れた破孔から、出てきた出口から激しい炎を吹き出した。
やがて、腹に響く爆発音がして、半分崩れた屋根が吹き飛び、炎がたちのぼる。
廃墟が崩れて炎に飲まれていき、吹き上げられた破片がばらばらとあたりに降った。
誰もが息を呑んで、あの廃墟の最期を見守っていた。
「なあ計算ってなんだったんだよ? あんなやばいのがわかってたのか?」
レンがぼそりとつぶやく
「……秘密の計算とやら、教えてもらおうか?」
レクトラが泣き笑いで沢渡に迫った。
「……USO800プラン」
沢渡の答えに、
「噓八百じゃねーか」
レンは容赦なく沢渡の頭を小突いた。
「ここに出てきてからダイブインしてきた連中の一人がね、地下にでかい焼夷爆弾がしかけられてるって言い出してね」
アーヤーに襲われていた男の、その片割れの言葉にログアウトボディだった男がうなずいた。
「負傷者とログアウトボディは浜に残して、建物の入り口まで戻ってきていたんだ。こいつやその女の人が中に戻っていったのもあってね」
そう言いながらレンを指した。
そうしているとレンが戻ってきて、どうするか話し合っていた時に、沢渡達が地上階に姿を現して、ほっとしたところに崩落が起こったと言う。
おっかなびっくり駆け寄った彼らの前にレクトラが上がってきて、急いで引っ張り上げたのだ。
「道理でこの左手で上がったわけだ」
「上で俺達ががんばってた声、聞こえなかったのか?」
沢渡は首を横に振った。おそらく炎の轟音でかき消されていたのだろう。
「おまえが落ちかけた時はぞっとしたよ」
「ほんとにびびった」
「あれはむちゃくちゃこええな」
レン達が誰も真顔でうなずいてた。
「そうか……」
沢渡は吹き抜ける海風のここちよさに目を細めた。
沢渡達は海岸に移っていた。夜明けの潮騒が優しく砂を洗っている。
水平線のかなたがあかね色に染まっていた。空は紺から青に変わりゆき、星がまだはかない光をいくつか残している
「朝か」
海風に髪をそよがせながら、レクトラがあかね色の朝日を眺める。
「……私の長い長い夜が、やっと終わる」
青い髪がなびき、細長い耳にまとわりついては流れる。
かなたから飛行機の轟音が響き始めた。
そしてそれはビジネスジェットの姿となって、沢渡達を目指して近づいてきた。
「助けだ! 沿岸警備隊の捜索機だ!」
誰かが立ち上がって叫び、救出者達も次々立ち上がって、呼びかけ、手を振る。
轟音とともにビジネスジェットが高度を下げてフライパスし、少し先で旋回を始めて戻ってくる。
誰もが歓喜に満ちて飛行機に手を振り、叫ぶ。
そしてビジネスジェットの来た方から、ローター音が聞こえ始める。
沢渡はまぶたが下がるのを自覚した。
周囲の歓声も騒音も遠ざかり、意識が闇に落ち込んでいく。
倒れ込んだ顔にあたるさらさらの砂がここちよかった。
「だめだ! 寝るな、シュン!」
どこか遠くで体が温かいものに包まれる。あまりにもうるさい呼びかけに、沢渡は一度だけ目を開ける。
涙にぬれた緑の瞳があった。
それから後の沢渡の記憶は途切れている。
GPFでの沢渡の体は、またも損傷がひどく数日の入院を必要とした。
実際には脳の治療だ。PTSDを予防し、フラッシュバックを抑制するのにかかるのが数日ということらしい。
その間GPFでは入院という扱いになるため、沢渡は治療時間を除いてはログアウト時間を多くしている。
故に沢渡は大学でまったりとしていた。
GWが間近に迫った大学は、活気にあふれながら、温かい天気によってどこかのんびりした雰囲気を漂わせている。
聴講中集中していたとはいえ、沢渡にとって大学は、弛緩できる場所になりつつあった。
襲撃の心配もなく、おかしなクエストに巻き込まれることもない、安全な場所。
帰還兵の気分に近い心境だった。
SNSでは沢渡の「おはよう」という挨拶に、おはようと黒江からの返事が返ってきていた。
それだけだったが、でもそれが彼と黒江の距離でもある。
恋人ではない。親友でもない。知り合い。
沢渡はスマートフォンをかばんにしまい、ベンチから立ち上がって一人歩き出す。
4月終わりの陽気の中、沢渡はのんびりと歩いた。
心がいつになく落ち着いていた。
世界はこんなに光にあふれ、空がこんなに青いのだと沢渡は改めて感じた。
ふと影が差し、沢渡はそちらを何の気なしに見た。
若い男がいた。大学だから当たり前だが。しかし沢渡はその人物にどこかであったような既視感を覚えたのだ。けれど思い出さない。
そして向こうも首をひねっていた。会ったことがあるらしい。だがどこだろう?
その解答は、向こうの男が見つけたようだった。
わかったという顔から驚きの顔、そして親愛の表情になる。
「あのー、シュンだよね? Gun&Phantasic Frontierプレイヤーのシュン」
沢渡は、虚を突かれて間抜けな顔をした。それから驚きの表情で若い男をまじまじと見る。
連想である顔が浮かび上がった。
「ひょっとして、レン?」
「正解!」
「同じ大学だったのか!」
「らしいな。なんとなく見覚えがある奴がいたからさ。アバター、そのままなんだな」
「ああ。レンこそ。あまり実物とアバターが変わらないよ」
「初めのうちはあまり変えない方がいいってwikiに書いてあったからな」
「僕もさ」
二人は笑いあった。
「なあ講義いつ終わる? 帰りに飯でも食べながら情報交換しようぜ」
「いいね。今日の分はもう終わったよ」
二人はごく普通の男子大学生のように連れだって、大学を出て行く。
それは本当に普通で変哲ない光景だった。
「ほう、もう退院か、リア充」
「リア充言うな」
脱出して数日後、帰ってきたGPF内の自宅マンションの入り口で、沢渡はキリクと出会った。
そして開口一番に言われた台詞がこれである。
「しかしな、シュン。俺はおまえをリア充以外の形容で呼べん。リア充シュン」
「うっさい、リア充言うな」
キリクの視線が、シュンを通り越して後ろの人物に行く。
「……なあ、シュン。一回爆発しようか?」
「うっさいわ! ……頼むからリア充はやめてくれぇぇぇ」
「しかしなぁ、いきなり巨乳美人エルフを連れてこられて、リア充以外になんと呼んだらいいものか。……ま、レクトラさん、入院中のシュンの世話、お疲れさん」
「いやいや。たいしたことはないさ。ふむ、ところでキリク君。君も恋人欲しいのかい?」
シュンをからかっていたキリクがストレートな質問をぶつけられ、目を白黒させた。
「あはははははぁ?、まあ顔がね。欲しいと言えば欲しいが俺の顔がね……あ、体型も悪いし、金もないし?」
「なるほど。よくわかったよ」
キリクが笑いながら早口で言い訳を並べていくのを、青髪のエルフは興味深そうににやにやしながら見守っていた。
「……どうしてこうなった?」
キリクと別れて自室へ向かいながら、沢渡はつぶやく。
レクトラはそんな沢渡を興味深げに見守りながら、後をついていく。
やがて自室の前につき、沢渡は無造作に解錠して扉を開ける。
沢渡が部屋に入り、それに続いてレクトラがごく自然に沢渡の部屋に入った。
そしてレクトラは後ろ手で玄関の扉を施錠すると、舌なめずりをしたのだった。
第四章「闇の牢獄にて」終
陰キャ童貞が、暗黒VRMMOをハーレムなしに楽しむ冴えたやり方 月見山 行幸 @Tsukimiyama_Miyuki
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