第38話 劫火のるつぼで

 気がつけば軍人が倒れていた。

「よし。それでいい」

「……うっそだろ?」

 レクトラの当然と言わんばかりの声と、レンの驚愕に満ちた声。

「……付け焼き刃がたまたまうまくいっただけだ」

 軍人が不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。

「わかっていないな。ここでは『熟練』の意味が変わっているのだよ。まあ存分に付け焼き刃を味わえばわかるだろうがね」

 もはや軍人はレクトラの声を聞いてはいなかった。

 切り裂かれた脚をもう一度蹴り脚にして旋風のごとく沢渡に襲いかかっていた。

 脚をかわすと間髪入れずナイフが下から迫り、それもかわすと裏拳が迫っていた。

 けれど、沢渡の無意識はそのリーチを理解していた。

 その上でタイミングがやってきた事を知る。沢渡はただそれに乗る。

 沢渡の手が先ほどの軍人が使ったナイフの軌道を描いた。

 攻撃を終えてバランスを崩していた軍人は、接近してナイフの軌道を潰すことができなかった。ただ少し退いてかわすだけ。

 そこに万全のタイミングで沢渡は蹴りをたたきこむ。

 ボディアーマーが覆っていない脇の部分に蹴りが食い込んだ。あばらを数カ所、まとめてたたき折った感触が残った。

 そのまま軍人が転がって倒れた。そして蹴られた部分を押さえてうめく。

 軍人はなんどか激しい咳をした後、少量の血が咳と共に飛び散った。

「なぜだ……こんなVRに逃げた連中に……」

 軍人がよろよろと立ち上がる。

 ナイフを突き出すが、既に速さは失われていた。

 沢渡はあっさりとかわし、カウンターで顔面に拳を見舞う。

 軍人はきれいにくるりと回転し、再度倒れた。

「こんなクズみたいな男どもに……この私が……」

「君達は、自分達の過ちを何一つ理解していないな? あきれたものだ」

 ぶつぶつとつぶやく軍人に、近くまで下りてきたレクトラが冷たく言い放った。

「ああ確かに、君達は君達の現実で勝者であり、優越者だろうな。だがね勝者が、その獲得物を敗者に分け与えなかったからこそ、敗者は逃げるのだよ? 逃げて異なる場所で適応し、そこで勝者となる。わかるかね?」

 軍人はつぶやくことを止めて、ただレクトラをにらんでいた。

「かつて、食料もなにもかも不足し、逃げる場所もない時代なら、勝者の独占で敗者は適当に死んでいただろう。だがね、今は違うのだ。敗者は生き残り、勝者を捨てて新たな居場所へ逃げる。勝者は、勝者を支える敗者を失い、勝利を抱えたまま取り残される。ケチな勝者など捨てられるのだよ?」

 レクトラははいつくばった軍人を憐れんだような瞳で見つめる。

「勝者とは敗者がいなければただの孤立でしかない。臣民なき王が称えられる事はない。従業員なき社長はただのフリーランサーだ。君達の苦境はそれに過ぎない。君達は敗者の組織化に失敗した哀れな勝者なのさ」

「だまれ……」

「いいや、言わせてもらおう。私達がクズなら君達は強欲で傲慢な馬鹿だ。そして君達はその強欲で枯れていく運命にある。それをどこかで理解しているから君の一党は支えてもらう敗者を獲得しに、ここにやってきている。けれども勝者の義務を理解していないから敗者になにも与えられない。ただ暴力と嫌がらせで居場所を奪おうとしてるだけだ」

 軍人の言葉を遮って、レクトラの糾弾は続き、ついに軍人は激昂して立ち上がった。

「だまれ! 産んで育ててもらった恩を忘れてVRに逃亡する卑怯者どもが偉そうな口をきくな! 貴様達は母と祖国への裏切り者なのだ!」

「君達はつくづく親子だな。あの女もそう言っていたが、君達の社会は、男の社会への組み込みに失敗した失敗社会なのだよ。その失敗を修正せずに、居場所も待遇も用意せず、ただ情でわめくだけか? ……勝者を自称しながら、敗者と見下すものにごねて妨害することしかできない、実に素晴らしい勝者だな」

 冷めた目でレクトラが皮肉る。

 その目は軍人のなにかに火をつけた。

 軍人がナイフの柄をレクトラに向け、凄絶な笑みを浮かべた。

 沢渡は、嫌な予感と共にレクトラを無意識でかばい、同時にナイフを投げた。

 発したのはぷしゅという小さな音だけ。 

 なのに沢渡の左肩が血を吹いた。 

 同時に左肩に炎をねじ込まれたような痛みが走る。

「シュン!」

「大丈夫か!」

 肩を押さえしゃがみ込む沢渡を見て、レンは怒りに駆られて銃を軍人に向け、そして再度驚きで目を見開いた。

 沢渡のナイフが目に刺さり、軍人は今度こそ激痛にもだえていたのだ。

「……ナイフ型消音拳銃……見落としていた……ごめん」

「ばかっ! ……本当にすまない。私が、いい気になりすぎてた」

 沢渡の言葉にレクトラは沢渡に駆け寄りながら涙声でわびていた。

「レクトラさん、シュン、出よう! もうここにいる意味はない」

「くはははははは! 我々の社会が失敗社会か! そうかも知れん! だがな、恨みは消えん! 我々を捨てて自分だけ幸せになりやがったという恨みはな!」

 レンの言葉を遮り、軍人が立ち上がって目からナイフを抜く。そしてレンの銃を残った目でちらりと見て笑った。

「貴様らの愛の無さが憎い! 逃げたことが憎い! 娘を幸せをするのに役に立たぬのが憎い!」

 そしてポケットから取り出したのは、パーソナルスマートデバイス。  

「この恨みと憎しみ、受け取ってもらおう!」

 画面をとんとタップ。

 途端に床が浮き上がるような衝撃波を沢渡は感じ、そして地下深くから遠雷のような音が響き渡った。

 沢渡の脳裏に、最下層で見た意義不明のタンクと電線が浮かんだ。

 その光景を、レクトラも思い出していたようだった。

「……あれは爆薬だったんだ! 地下が爆破されたんだ!」 

「だとすれば、ここも崩れるぞ!」

「逃げよう!」

 沢渡とレクトラをレンがうながして階段を駆け上り始める。

 それを哄笑しながら見送っていた軍人が、地下から吹き上がった炎にまかれて姿を消した。

 階段もまた吹き上がった炎で手すりが燃え始める。

「レクトラ、レン、君達は先に行け! 僕を待っていたら危ない」

「しかし……」

「大丈夫、必ず追いつくから」

 炎を背後にして沢渡は笑った。切られた足が、撃たれた肩が痛み、流れ出た分の血が不足してふらつく。

 それでも沢渡は渋るレンの背中を押した。

「行ってくれ。なんとかできる計算はあるんだ」

「……そうか。シュン、こんなところであきらめるなよ」

 レンがスピードを上げて、階段を駆け上っていく。

「レクトラさんも、さあ」

「……計算なんかあるまい?」

 だが彼女は去らなかった。沢渡の顔をのぞき込むと鼻を鳴らし、そして彼の肩を支え、一歩一歩上がり始める。

「……ありますよ」

「なら教えてくれたまえ」

「……秘密です」

「噓だな。悪いが君を一人にはしない」

 のぼっていく階段の途中で再度吹き上がった劫火が、二人をかすめる。

「もう一人はたくさんだ。闇の中で絶望して暮らすのは、ごめんこうむる」

 レクトラは一歩一歩焦ることなく着実に、自身と沢渡を上へと運んでいった。

「ここで死ねば、リスポーンポイントはあの地下のままだ。君と私は生き返って炎に灼かれることをしばらく繰り返すだろう。火が収まっても……」

 そう言うとレクトラは沢渡に肩を貸してのぼりながら、歩んできた階段を見る。

 炎で高熱にさらされた階段がひびを生じた。支えていた鉄骨が曲がった。 

 なにかが割れる音ともに、階段が欠け落ちて、劫火の中に消える。

「上へ上がる手段はなくなっているだろう。……私はもうあそこには戻りたくない。そして」

 炎が風を巻き起こし、レクトラの青い髪を巻き上げる。

 現れたのは、長いエルフのような耳。沢渡は目を見張った。

「君を残していきたくもない。……君には『ついで』だったのだろうけども……」

 レクトラは笑った。  

「私には特別でかけがえのない救いと解放だった。……だから君のあきらめなんか砕いてやる。自己犠牲なんか許さない。炎に灼かれるその時まで……」

 もどかしくも一段ずつ二人は上がっていく。

 炎が狂い踊り、もう一度爆発が起こった。

 牢が、渡り廊下が、音を立てて崩れ落ちていった。

 崩れ落ちたところから炎が吹き上がっていく

 赤とオレンジの色が荒れ狂う中で、彼女の口はこう動いたのだ。

「私は君を連れてあがくよ」

 木がはぜる音、コンクリートにひびが入り崩落していく音、炎自体が燃える音。

 押し寄せる炎熱の中で、二人は汗まみれになって、階段を上がっていく。

「しっかりしろ、あと少しだ!」

 ふらつく沢渡を支え、火の粉を浴び、かすめる炎を避け、オレンジと黄色に染まった火焰地獄の中を汗を流しながら、レクトラはひたすらのぼる。

 手すりが燃え落ち、背後で階段が崩れゆく。吸い込む空気がもはや灼熱となり鼻と喉を灼く。炎が滅びの轟音を奏でた。

 それでもレクトラは振り返ることなく休むことなく、沢渡に肩を貸して、一段一段階段を上がる。

 たちのぼった火焰にあおられ、二人は最後の段をふみ上がる。


 そこは、来た時と変わっていなかった。

 階下のような炎はない。

 地下とは打って変わった静謐さのみがあった

 大きなホールには崩れたコンクリート片があちこちに散らばり、柱にはツタがまきついている。

 天井の穴から見える空はしらみ始めていて、白くなった月がガラスの抜け落ちた窓から見える。

 見覚えのある光景だった。左の方にはイケメンズが倒れたままだ。……もっとももう変質して元のNPCの死体になっているようだったが。

 沢渡は地上階にたどり着いたことを知った。

 振り返れば今さっきのぼってきた階段が、炎の中に崩れていく。

 けれどもここには灼熱も劫炎もない。

「どうだ? あきらめの悪い私の勝ちだな」

「……負けました」

 胸をそらして勝ち誇るレクトラに沢渡は右手を上げて降参の意思と苦笑未満の微笑を浮かべた。

 それから二人は安堵の笑みを浮かべ、ゆっくりと出口に歩んでいく。

 その時だった。

 もう一度下からの内臓ごと揺さぶられる突き上げるような衝撃が二人を襲った。

 炎が階段だった穴から猛烈に吹き上げ、そこから蜘蛛の巣のようなひびが四方に走る。

 びしりという音と共に、床が崩れていき、レクトラと沢渡の足元に伸びた。

 沢渡の足を浮遊感が襲った。

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