第4話

「ようやく収まったか」


 工具や資材、いくつかの書類と共に、何名かの同志達が床に転がっている光景を見ながらマオがそう言った。


「久々に、相手が殿下であったことを思い出しました」


 口内の裂傷から流れた血を拭いながらレイタムがそうつぶやくと、マオは深くため息をついた。


 重軽傷者二十名、メカニックやエンジニア達はもちろんのこと、腕利きで荒事にも優れた食客達すらはね飛ばし、周囲が止めようとしても反対を押し切って、アウナを助けに向かおうとした。


 マオやレイタムの制止をも振り切って、単身向かおうとするその姿は皇太子として太陽系連邦という大敵に立ち向かおうとする戦略家としてではなく、一人の親としては何一つ間違ってはいない。


 だが、帝国を背負っている立場の人間、弟が大敵である太陽系連邦と手を組み、クーデターを起こした状況下で、この逆境に打ち勝とうとする指導者としては失格というしかなかった。


「殿下を部屋に閉じ込めることは出来ました」


 シエン公に派手に殴られた顔をさすりながら、レイタムは今までシエン公が見せたことのないほどの怒りに満ちた顔を思いだした。


 常に飄々とし、連邦宇宙軍の英雄であるアレクサンドル・クズネツォフ大将からも「とらえどころの無い、強かでタフな名将」としても高く評価され、冷静に不利な状況下でも最善を尽くして勝つ事を諦めず、状況を打開する力は誰もが尊敬している。


 しかし、今のシエン公にはそうした戦略家としての風格が完全に欠如していた。


「姫は殿下の宝だからな。ああならないほうがどうかしている」


「確かに姫様は救出せねばなりませんが、あそこまで取り乱す殿下は初めて見ました」


「ちゃんとした理由がある。殿下は、誰よりも親子の関係を大切にしている。殿下自身、決して恵まれた家庭環境ではなかったからな」


 長い主従関係にあるだけに、マオはシエン公がアウナを溺愛するだけの理由を知っていた。


「皇帝陛下とは距離感があったとはお聞きしていました」


 レイタムの言葉にマオは頷いてみせた。


「殿下は、同腹のご兄弟であるガイオウ公以外に頼れる親族がおられなかった。母方の皇族達は、自分達のことで手一杯。腹違いのご兄弟の方々も、皇位継承権、あるいは、将軍や総督、しまいには公や王の位を得て藩国を打ち立てようとしていたほどだ」


 ハモン三世が皇帝としてほぼ一世紀近い在位を更新し続けた中で、帝国では時期皇太子の地位を巡って、息子達、そして他家に嫁いだ娘達が自分達の夫や息子を皇帝にしようとする骨肉の争いが起きていた。


 時期皇帝を巡っての争いは、暗殺や襲撃といった実力行使は無論のこと、子供じみた嫌がらせから、諸勢力の圧力などを含めた精神面での圧迫は、三人の皇太子達を病死させるほどの醜悪な争いを招いた。


「殿下も皇太子になる前までは、ガイオウ公と共に多くの兄弟達と争い、戦っていたほどだ。時には命を狙われ、誣告されたこともある。そうした近親者同士の戦いに殿下は巻き込まれていた」


 薄寒くなるほどの話に、レイタムはシエン公とこっそりと酒を酌み交わしたことを思い出した。

 こっそりと太陽系から手に入れた酒を片手に、シエン公から晩酌に付き合わされたが、家族について聞かされた。


 孤児であったレイタムには、実の親や兄弟達の話は下手な「おとぎ話」と同類の代物であった。

 それでも死闘をくぐり抜けて生き残った戦友達のことは、家族と言ってもいいのではないかと思えるほどの信頼と連帯感があった。


 あの連中となら、死地に向かうことも怖くは無い。だが、それは決して簡単に構築出来た代物ではなく、容易く生まれた連帯感などではない。


 翌日どころか、数時間前、ヘタをすると数分前に一緒に言葉を交わしていたはずの仲間が死ぬ。


 酷い時には仲間が敵となり、戦うことすらあった。


 両手足を失ってでも、生きていることが幸運と言えるような世界に身を置いてきた中で、戦いが終わり、生き残った仲間達と、見えはしないが強固な鉄鎖のような何かとつながっていることをレイタムは知った。


 それは、死という極限状態を共に共有し、再び翌日に夜明けを眺めたからこそ生まれた絆であった。


 そしてそれは、自分の主君であるシエン公にもうっすらではあるが、つながっていることはレイタムの誇りでもある。


 そんな絆が、皇太子という時期皇帝となり得る雲上人と構築出来た事をレイタムは当初から疑問に思っていたが、今ここでマオの話を聞いて納得したことがある。


 皇太子であるシエン公もまた、そうした修羅場を幾たびも切り抜け、多くの死を見てきたということだ。


「だからこそ、殿下は姫様を大切にされていると?」


「殿下は自分のことならば笑って許すが、ご家族と部下が笑われれば、笑った相手の目をえぐり出して家畜のエサにするようなお方だからな」


 自分のことにはとんと無頓着であり、正直な話自分を大切にしていない節すらあるのがシエン公ではあるが、これが自分の家族や部下、食客達となるとまるで自分のことであるかのように喜び、害されれば怒りを向きだしにする。


 それは、マオもレイタムも嫌というほど理解していた。


「その一方で、子を思わぬ親などありはしない。そう公言して憚らぬのが殿下というお方だ。今や姫様だけが殿下の唯一のご家族であり、たった一人のお子。ああならない方がどうかしているかもしれん」


 ただ一人の子であるアウナを甘やかしまくっているのは、自分の恵まれない幼少期から来ていることは、なんとなくだがレイタムも理解している。


 自分のような、食客の中では下から数えた方が早い立ち位置の人間に娘を任せているのはどうかと思うが、その娘のお気に入りだからと好き勝手させている時点で十二分なほどに甘い。


 だが、シエン公は紆余曲折を経て、皇太子となり、単なる運ではなく苦労と不運も重ねながら、限りなく頂点に近い地位についた。

 

 それを決して、自慢することも無ければ、その過去から今を照らし合わせて躾けるようなことも、苦労話を自慢も押しつけるような傲慢さを持ち合わせていない。


 相手の地位が低かろうと、それが正論であり取り上げるべき言葉であれば採用し、相手が何者であろうと、愚にも付かないような妄言はバッサリ切り捨てる。


 だからこそ、多くの食客達が命を投げ打つことも辞さず、死地に赴くことも厭わぬ忠誠心を有している。


 だが、そんなシエン公の美徳とも言うべき性格が弱点となった事は皮肉というしかない。


「殿下が直々に助けに行くのは論外ですが、姫様を見捨てるわけにはいきません」


 アウナを苦手にしているレイタムであったが、見捨てるという選択肢は持ち合わせていない。

 ワガママではあるが、父であるシエン公譲りの正義感と堂々たる立ち振る舞いは、嫌いではなかった。


 捕えられた姫君を助けに行くという、やや感傷的な妄想などはレイタムの脳裏には一切存在しなかったが、主君の娘が虜囚の身になったことは、重く受け止めている。


「そんなことは分かっている。おそらく奴らも姫様を手なずけることできん。確実に持てあましている。それでも、奴らは姫様を殺すようなことはしないだろう」


「どういうことでしょう?」


 マオの言葉にレイタムはアウナを手なずけられない事に同意しながら、殺さないという選択肢があることに疑問を抱いた。


「奴らが姫様を捕えた目的は、殿下をこの高平陵からおびき寄せる為だ。高平陵が灰にでもなれば、奴らの権威はそれだけで低下する。我らは、極論言えば権威を捨てることも出来るが、奴らは権威と正当性を守る立場にある」


 逆賊の立場になった時点で、シエン公とその一味はある意味帝国という存在に縛られない。

 追い詰められたからこそ、自暴自棄で破滅的な行動を取っても後腐れは無い。


 しかし、ガイオウ陣営は違う。皇帝の勅令という正当性を武器に、こちらを追い詰めており、最終的にクーデターを起こしたのは旧来の秩序と権威に寄り添わなくては逆に正当性が保てない。


「それに、姫様を殺せば殿下は怒り狂って凄まじい報復を行うだろうし、奴らが一番恐れていることは、殿下がルオヤンを脱出することだ」


「ヘタするとプロキシマまで逃げ出すかもしれないからですか」


 プロキシマ方面への脱出は最終手段ではあるが、そうなれば太陽系連邦軍アルタイル方面軍と対立するプロキシマ方面軍に今回の陰謀を全て暴露することも出来る。


「太陽系連邦軍は一枚岩ではない。強大だからこそ、つけ込む隙はある。だからこそ、姫様を救うことは出来るだろう」


「どうすればよろしいですか?」


 マオから出たアウナを救うという言葉から、レイタムは身構えながらも表情が明るくなる。


「そこでレイタム、お主に頼みがある。黒龍コイツを使って姫様を奪還してこい。殿下はワシがなんとかする」


 単純にして明快過ぎる答えではあったが、それだけにレイタムは間髪入れずに「喜んで!」という言葉を放った。


***


 固く閉ざされた一室。おぼろげに薄暗いと感じるほどの光しかない中で、少女はそのかすかな光だけを見つめていた。


 限りない無音、わずかな光とも言えないものしか目に入らない空間は、自分が何分いたのか、それとも一時間、二時間、それとも一日以上経過したのかすら分からなくなる。


 口元を自害しないようにと特殊な拘束具を付けられたアウナは、先ほどからこの重く冷たい空間に押し込められていた。


 こうして自分だけの意識しか感じられない、周囲の存在を感じることすら出来ない空間は、いくつになってもアウナは好きにはなれなかった。


 おてんばから周囲に迷惑をかけた時、決まって両親は彼女を人気がない倉庫に入れて反省を促していた。


 物音一つしない、全てが静止したかのように、一面黒で覆われた空間は、幼いアウナに恐怖を抱かせた。

 自分が果たして、いるかいないのか、周囲の存在が一切知覚できない空間はただひたすらに自分という存在だけを感じるしかない。


 だがそれも幾たびも続けば、人間というものは慣れるものだ。幾たびも、そんな空間に押し込められていれば、嫌でも順応する。


 苦手意識は今でもあるが、不思議とこの空間にいることがアウナは慣れ始めていた。慣れてしまえば、ある程度の気配や物音にも察知出来るようになる。


 冷静になりながら、少しずつ足音が近づいてくることにアウナは気付くと、わずかな光が一気に広がり、光の幕が目の前を覆っていく。


「無様だな、アウナ」


 見下されていることが一言で分かる、冷たく放り投げられた言葉の先には、従兄であるシュテンが立っていた。


 親族であっても、冷徹で大人びたシュテンがアウナは苦手であった。おそらく向こうも同じなのか殆ど言葉を交わした記憶がアウナにはない。


 それだけにこのような場所にいると、その冷徹さを落ち着きながら受け止められるような気がした。


「何か言い返してくると思っていたが、拘束具があったのだな」


 言いようも酷いが、それ以上にシュテンの目にはあからさまな侮蔑が込められていることにアウナは気付く。


 伯父であるガイオウは、冷徹ではあるが、どことなく父であるシエンに似た愚直さのようなものがあった。


 先ほど面会した時も、ガイオウは辛辣な言い方ではあるが、どことなく同情しているようにも聞こえていた。

 だが、シュテンにはそうした気持ちが微塵も感じられない。


「貴様の父はもはや皇太子ではない。先日付けで、皇帝陛下直々に廃嫡された。そして逆賊となった。お前も逆賊の娘になった」


 思わずそんなことかと言いたくなったが、口を塞がれている為に反論することが出来ない。


 だからなのか、普段ならば口どころか手が出るほどに悪意が込められたシュテンの言葉も、冷静に受け止めることが出来た。


「次期皇帝は父上に決まった。負け犬になる気分はどうだ?」


 すでに自分達が負けているのは事実であり、だからこそ今自分は囚われの身となった。


 そんなあからさまな事実が決まった上で、こうした悪意を持って敗者を貶めることは悪趣味というしかない。


「これで父上が皇太子、そして皇帝となり、私が皇太子として帝国を復興させる。貴様ら親子はその土台として祀ってやろう」


 勝ち誇っている従兄の姿は、どことなく滑稽だ。こうまでして他人を見下さなければ、自分の立場を強調することすら出来ないのだろうか。


「口を塞がれているとはいえ、ここまで反応が無いのも興が冷めるものだ。いつもの調子ならば、食ってかかるものを……まあ、貴様ら親子にはもはや星も瞬かん。父上ガイオウと私が時代を創る」


 誇らしげでありながら、それが虚勢なのか、それとも強がりなのかが分からなくなるほどの姿に、アウナは反論する気持ちすら失せていた。

 

 そんな冷静なままで眺めていた従兄の姿に、背後から部下らしき男がやってきたのが見えた。


「右都督様、ここにおられましたか?」


「どうした急に?」


 部下の顔色が逆光になって分かりづらいが、どことなく落ち着きが無かった。


「シエン公が出頭して来ました」


「そうか、遂に観念したということか。それで、伯父上はいずこに?」


 先ほどまでアウナに見せていた残忍な表情が、まるで嘘であったかのようにシュテンは冷静沈着を画に描いたような態度で対応してみせた。


「それが……その……」


「どうした? 何か困ったことでも起きたのか?」


 謀反人である伯父、シエン公が出頭してきたという報告は吉兆であるはずだが、部下の顔は明らかに戸惑っている。

 

 まるで常識外れの何かを見たかような態度だ。


「強襲特機に乗って現れました。すでに、三機が撃破されております」


 予想もしない答えに、シュテンも、そしてアウナも目が点になった。この地下室は完全防音されているが故に外部からの音も聞こえない。


 故に、機動兵器がやってきた音も二人の耳には届かなかった。


 あまりにも予想外の報告にシュテンは顔色を変え、そしてアウナは心の中でほくそ笑む。


 これが、自分の父が行う自分の救出方法であることに。




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アルタイル戦記 ヤン・ヒューリック @ginga4

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