もどき

 私事ではあるが。

2023年の八月ごろより、プライベートが少々バタバタしており、これが落ち着いたのが十一月の中旬ごろだった。


 さすがにお盆の時期はと、どうにか気合で怪談を数話執筆したものの、以降はどうにも手が回らず、とうとう十一月までついぞ僕は一文字も書かないでいた。

 これほど執筆から離れていたのは、多分人生で初めてではなかろうか。


 さて。

 そのお盆の時期であるが、じつはそこでさえも正直、話を書くべきか否かと迷っていたのである。

 というのも、先述のバタバタというのは、家族が怪我をしたのを端としており、だというのにこんなに縁起の悪いものを書いてよいものかと、実は真剣に悩んでいたのである。


 なにぶん、僕と言う人間はゲンだの縁だのを担ぐ質であるため、そうしたことを気にしてしまったのである。

(ちなみに結局書いたし、投稿もしたが、事態は特に悪化せず、現在は快方に向かっている)


 僕がそうした事に気を揉むようになってしまったのが、大昔に担当した案件で、安易に題材にしてはいけないものを題材にしてしまったのが原因である。


 正直、ここで書くと色々と怖いので、かなりボカすが、所謂『きちんとお祓いしてからじゃないと扱ってはいけないもの』を、そうとは知らずに呑気にゲーム内で扱ってしまった結果、誰も居ないのに背後や横(それも腰下あたり)に視線を感じるようになってしまったのだ。


 ちなみに、その扱ってはいけないもの、というのは、創作物である。

 なので、実際の人が絡んでいるわけでもなく、だからそういうモノが事実居たわけでもない。


 だというのに、扱うと良くないことが起こる、という理屈で考えればおかしなものであった。


 ここまで書くと、詳しい方にはバレてしまうかもしれないが、ひとまずはここまででご容赦願いたい。

 

 さて、そんなお盆が過ぎ、すでに冬から春に変わろうとする時期に、こうしてまた筆を執っている次第なのだが、その最中に先の事などを思い返していると、ふと嫌な話が記憶の奥底からぞろりと出てきたのである。


 ちょうど次の怪談のネタを何にするか迷っていた所だったので、渡りに船ではあったのだが、しかし書くべきかどうかは未だに迷う所ではある。


 とはいえ、自分自身の記憶を今一度整理するために、ひとまず僕は数か月ぶりに筆を執ることとした。


 以下にその話を記すこととする。例によって、人名は仮名で場所も適当にぼかしていることを了承されたい。


◆◆◆


 

 僕がゲーム会社で働き始めて、三年ほど経ったある夜の事。

久しぶりに友人—―水原に呼び出されて、彼と一年ぶりに酒を飲み交わしていた。

 水原は僕とは違う大手のゲーム会社に勤めるプランナーだった。


 曰く、彼のプロジェクトでリソースの量産フェーズに入り、人を探しているもののアテが無く途方に暮れているのだと言う。

 一応、この飲み会も彼曰く、僕の会社で空き人員が居ないかというヒアリングらしいが、会社の酒で飲みたいだけだったのかは正直謎なところである。


 結局、その晩は僕の会社にも空き人員が居ない事を正直に告げ、久方ぶりの再会を祝っただけとなった。


 水原とは以降しばらく会う事は無く、次に彼と出会ったのはさらに一年後、ある冬の夜のことだった。

 少し愚痴を聞いてほしいから久しぶりに吞まないかと連絡が来て、僕も彼の案件がどうなったのかを知りたく、その誘いに乗った。

 店はちょうど以前と同じ居酒屋で、一年ぶりに会う水原は少しだけ痩せていたような気がした。

 ビールで乾杯すると、水原はそれを一口で飲み干して大きく息を吐いた。


「プロジェクトな……凍結になってん」


 二杯目のビールを受け取りながら、水原が口を開いた。

 ゲーム開発において凍結、とは残念な結果ではあるが珍しい話でもない。

 開発には中間成果物があり、一般的にはマイルストーンと呼ばれるが、そこで品質が確保できていなかったり、工数や予算の問題などで開発が打ち切られ、凍結となることはよくある話なのだ。


 しかし、いざその立場に立ってみると、思う所は多々ある。

 さてなんと声をかけるべきか、と僕が逡巡していると、先に水原が口を開いた。


「変なことがあってん」

「変なこと?」

「うん……。それがな、原因やと思うねんけど……」


 うーん、と水原は唸り、それ以降唸るばかりとなった。

 変なこと、というのが大層気になるが他社の事情を根掘り葉掘り聞くのもいかがなものかと思い、ビールで喉を潤しつつ、僕は別の話題を探すことにした。


「そういえばさ、結局あれはどうなったん?」

「あれ?」

「ほら、前に言ってた人探してたやつ。グラフィッカーの。結局見つかったん?」


 ちょうど一年前に振られた話題を思い出し、僕はそれを水原にぶつけていた。

 対して水原の表情は、先ほどと同じか、あるいはより深刻さを増し始める。


「それが、原因やったんかもしれんねん」

「変な人でも拾ってもうたんか?」

「いや、人はまぁ……ちょっと変かもしれんけど、まだ普通やったと思う。若い女の子でな。外注さんやってんけど。ただ描いてたもんがな……アカンかったかもしれん」

「描いてたもんって……?」


「壁やねんけどなぁ」

 ポリポリと頭を掻きながら、水原がスマホを操作する。


「お前、こういう話とか結構詳しいやろ。ちょっと見てくれんか」

 と、僕にスマホを見せてきた。

 内容としては作業報告書のようだった。

 他社の僕にこんなものを見せるとはいかがなものかと思いつつ、NDA(秘密保持契約)も両社では結んでいるので良いかと自分を説き伏せ、好奇心に負けながらそのスマホを受け取った。


 以降は水原に渡された、スマホに書かれていた作業報告書の転記である。

 守秘義務の関係上、作成物に関係のない部分だけを記載したり一部情報を書き替えてはいるが、肝心な部分についてはなるべくそのままにしているので、どうかご容赦願いたい。


 なお、詳細は先述の通り記載することは出来ないが、彼が担当していたゲームのジャンルがホラーゲームであったことだけは、ここに記載しておく。


◆◆◆


9月12日(月)

 本日より■■■マップで使用する壁テクスチャの作成作業に入りました。

 3Dマップモデルのテクスチャだけを作成する、というのは初めての経験ですので、モデル担当者さんと密に連携を取りつつ、進行したいと思います。

 業務終了後に日報を書くことを忘れた前科があるので、セルフリマインドのシステムを用意しました。(・ω・;)


9月13日(火)

 いくつかテクスチャのサンプルを作成してみましたが、どうにもしっくりきませんでした。

 園村さんに汚しのテクニックを教えていただいたので、明日、試してみたいと思います。(๑•̀ㅂ•́)و✧


9月14日(水)

 園村さんに教えていただいたテクニックを取り入れた結果、以前よりも見栄えがよりリアルになった気がします。

 モデル担当の方ともラフを共有し、方向性は問題ないとお返事いただいたので、ひとまずこのままブラッシュアップを進めていこうと思います。(*>ω<)b


9月15日(木)

 北山さんから実際のモデルも見ると良いというお話を頂きました。

 確かにその通りかとも思っているのですが、作成予定のマップテクスチャの設定が陰鬱なものであるため、中々その通りのものは見つかりそうになく……。

 とはいえ、自分としてもやはり気になっている部分でもあるので、可能な範囲でモデルを探してみようと思います。


9月16日(金)

 考えすぎかもしれませんが、テクスチャの出来が気になってきました……。

 本物を見ていないので、これで正解なのかどうか……。

 北山さんからも、無理そうなら気にしなくて良いと仰っていただいたのですが、どうにも個人的に気になってきました。

 初めてフロアで一人になるまで残ってしまいました。

 結構怖かったので、来週からは皆が居る内に帰ります。(((;゚Д゚))))


9月20日(火)

 私用で実家に帰ることがあり、その際に頭の中のイメージに近いものを見つけました。(さすがに実際にそういう事件があった場所ではないかと思いますが……)

 本日は別の社内業務に時間を使ってしまったのですが、明日からそのイメージで再度作成してみようと思います。( ồωồ)و


9月21日(水)

 本日一日かけて、休みの日に見つけてきた壁の写真の模写をしていたのですが、中々終わりません……。

 シミや汚れにパターン性が無く、見るたびに新たな発見があるように思えます。やはりリアルは偉大です……。

 明日も引き続き、模写を試してみようと思います。(少々寄り道気味かもですが、全体スケジュールにはさすがに間に合うかなと)

 本日もオフィスの明かりが消えるまで作業をしてしまいましたが、自分と同じような人が居たようで、ちらほら話し声が聞こえました。

 泊まりの作業がOKであれば、自分も同じように泊まることが出来ればと思います。(もっともっとあの壁を描きたいです)


9月23日(金)

 昨日はフロアの戸締りが出来ておらず、申し訳ございませんでした……。

 自分以外にも人がいるかと思っていたのですが、勘違いだったようです。

 また、泊まりについても禁止であること承知いたしました。


 本日も壁のテクスチャの模写を進めております。明日も引き続き進行予定です。


9月26日(月)

 明日朝に書きます。


9月27日(火)

 9月26日(月)の日報です。

 記載が翌日となり申し訳ございません。

 昨晩ですが、作業中にフロア内にて敵のボイスらしき声が聞こえてきまして。

(うめき声だったので、敵キャラのアイドリング中のボイスでしょうか)

 サウンドチームの方が作業をされているのかと見に行ったのですが、どなたもおられず(フロア内には自分一人だけ)、疲れが溜まって幻聴が聞こえたのかと思い日報を書かずに退社させていただきました。

 作業については、引き続き壁テクスチャの作成を進行しております。


9月27日(火)

 本日も夜作業中に幻聴が聞こえてきました。モデル担当の方には一度病院に行くよう勧められましたが、自分としては一刻も早くこの壁の模写を終えたいと思っています。

 元の画像データは見るたびに気づきがあり、これを何とか書き写したいと思っています。

 なお、夜作業中に廊下から、どんどんと誰かが暴れているような音が何度も聞こえてきたのですが、こんな時間にレクリエーションを行っているのでしょうか。

 であれば、作業をしている人間も居るので、もう少しお静かに願いたいです。


9月28日(水)

 城嶋さんに作成中のテクスチャについて、かなり良い雰囲気が出ていると言ってもらえました。


 ただ自分としては、オリジナルとの差異が気になります。引き続きブラッシュアップに努めます。


 なお、泊まりの件に関してですが、本当に禁止なのでしょうか。

 夜、自分がフロアで作業をしている時も明かりが消えるような時刻になっても、自分以外にも何人もフロアに残っているかと思います。

 自分も泊まりで作業をし、この壁の模写を終わらせたいです。


9月29日(木)

 テクスチャ作業の延期を要望しましたが却下されました。

 また泊まりについてはやはり無いとも返されました。

 模写作業については進行中です。


9月30日(金)

 作業については進行中です。


10月3日(月)

 作業については進行中です。


10月4日(火)

 作業については進行中です。


10月5日(水)

 作業については進行中です。


10月6日(木)

 お疲れ様です。

 本日より、新たに川下さんに日報を提出することになりました。

 家村さんが体調を崩されているので、戻られるまではどうぞよろしくお願いいたします。


 本日ですが、久しぶりにモデル担当の方とお話をしました。

 夜になるとフロア内に黒い影のような不審者が出るから早く帰るようにと言われました。

 

 作業は進行中です。(シミを一つ見落としていたので、テクスチャに追記しました)


10月7日(金)

作業は進行中です。

(シミの形状に誤りがあったのでテクスチャを更新しました)


10月11日(火)

作業は進行中です。

(シミの形状に誤りがあったのでテクスチャを更新しました)


10月12日(水)

作業は進行中です。

(シミの形状に誤りがあったのでテクスチャを更新しました)


10月13日(木)

作業は進行中です。

(シミの形状に誤りがあったのでテクスチャを更新しました)


10月14日(金)

作業は進行中です。

(シミの形状に誤りがあったのでテクスチャを更新しました)


10月15日(土)

作業は進行中です。

(シミの形状に誤りがあったのでテクスチャを更新しました)


10月16日(日)

作業は進行中です。

(シミの形状に誤りがあったのでテクスチャを更新しました)


10月17日(月)

 プロジェクトの凍結が告知されました。

 皆さんに応援いただいていたのに残念です。



作業は進行中です。

(シミの形状に誤りがあったのでテクスチャを更新しました)



◆◆◆


「どう思う?」

 日報を読み終わった僕に、水原は問うてきた。

「どうって言ってもなぁ……」

 うぅーん、とうなる僕に水原はどんな事でも良いからと畳みかける。

「じゃあ、言葉を選ばずに言うと、このデザイナーさんは自分が描いとる『壁』に憑りつかれてるような気がするねんな」

「やっぱ、そうか」

「うん……。日報も最初のほうは絵文字も入ってたのに、壁のオリジナルの模写を始めてから無くなってる。あと気になるのは、夜作業中の人の気配やな。ちなみにホンマに人はおらんかってんな?」

「うちの会社入退室にカードキーが必要な会社でな。俺、作業員の勤怠管理もやってて、その入退室の記録確認できるねんけど、その時間に会社におったのは、そのデザイナー一人だけやった」


「てことは、誰もおらんのに人の気配がしてたってことになるよな。しかも日に日に気配が強くなってきてる……。最初はただの気配、次は声、そんで次は物音」

「それも、その……怪異的なもんなんか?」

「僕はそうやと思ってる。この人は違うもんやと思ってるけど、さらにその後の日報でモデル担当の人が黒い影について触れてるのに、この人自身はあんまり気にしてないようなこと書いてるやろ。――なんていうか、壁に憑りつかれて怪異に対して異様に鈍感になってしまってるような気がするねんな……。吞み込まれてる、っていうか」

 今度は水原が僕の言葉に唸る番だった。


「あとは最後に……壁かな」

「その、壁のオリジナルがやっぱ怪しいと」

「怪しい、っていうか。まぁ、それが原因な気がするねんけど、日報の記述に『見るたびに新たな発見がある』ってあったやろ。あれ、なんていうか技量が上がっての気づき、っていうよりは単純に見るたびに変わっていってるんちゃうんかなって。後半なんか、ずっと新たなシミを見つけて、って言ってるけど、こんだけずっと見ててそんな見落とすかなって」

「まぁ、そうやな……」

「気味の悪いシミっていうのも気になるし。この壁のデータって見れたりすんの? さすがに無理かな」

「守秘義務が、ってのはまぁ何とかなるかもしれんけど……、じつはそもそもそのテクスチャデータ、無いねん」

「どこにも? サーバーに上がってへんねやったら分かるけど、作業者のパソコンとかにも?」

「無い。どこにも無いんや。ただ作成自体は絶対にしてたはずやねん。現にモデル担当の人とか、デザインリーダーとかは見てたから」

「その人らのパソコンには」

「いや、模写してた子が、自席に呼んでそこで見せてたらしい」


 疑問は尽きないが、僕と水原はそこで一息ついて空いたグラスをどけながら、飲み物を注文した。

 すぐに冷えたビールが二つ運ばれてきて、それを喉に流し込む。

 

「ちなみに、そのデザイナーさんは?」

「チームが解散した後は、ようわからん。ただ、全部終わった後にその会社にお礼の挨拶行ったとき、その人がどうしてるか聞いてんけど、何か濁された感じはあったな」

「そうか」


 ビールをもう一口。

 僕は日報を思い返しながら、あることを水原に聞くべきか否か迷い続けていた。

 少々デリケートな話題でもあるので、どうしようかと悩んだものの、グラスを置いた時、結局僕はその質問を投げかけていた。


「プロジェクトの凍結理由やけどさ、もしかしてコレ?」

「……なんでそうやと?」

「まぁ、勘が殆どやねんけどな。でも、この日報の報告先が途中から変わってるやろ、病気とかで。で、その前にはもうこのデザイナーさんは壁に吞み込まれてる。現象も結構激しくなってきてるし、壁に絡まん人にも何かしらの影響が出てきてたんとちゃうんかなって」


 逡巡するようなそぶりを見せた後、水原は目をつむりそのまま首を縦に振った。

「たぶんな。正直こんなん、どこまで真面目に考えてエエんか分からんけど、でも、チームの中で体調崩す人が増え始めたんと、夜中に変なモンが出るようになったんは時期が一致してる」

「お前も見たんか?」

「いや、俺は見てない。俺、そん時はちょうど山場越えてたから、定時チョい過ぎには退社しててん」


 しばし沈黙が流れた後、水原は大きなため息をつき、席に備え付けられた注文用のタブレットを手に取り、ツマミを注文し始めた。

「まぁ、全部終わった話や。半分、俺の愚痴みたいなもんやし。これでお前がちょっとでも楽しめたんなら、儲けもんってことで」


 な? とタブレットを戻し、僕に笑いかけた。

 突発的な怪談会は、そこで幕を閉じた。

 ただ、僕はどうしても気になったので、水原に頼んで壁を見たと言うモデル担当者と、実際に壁を描いたデザイナーの氏名と会社を聞き出した。

(モデル担当の人も、外注であったらしい)


 結局その日は、気晴らしも兼ねてか馬鹿話で大いに盛り上がり、明け方に解散となった。水原から聞いたこの話はしばらく、僕のメモ帳に『壁の話』として残されることとなる。

 

 いつか巡り合わせで、この壁の話を先の二人から聞くこともあるだろうか、と当時の僕は考えていたのだが、その時というのは、思いがけず僅か2か月後に訪れたのである。


 僕が担当していたプロジェクトにて、3Dモデルの作業者が必要という事となり、僕と上司とで会社が纏めている過去協力会社のリストをもとに、他会社に人員の空きを確認することとなった。


 そうして2名ほど、デザイナーをチームに招き入れることとなったのだが、このうちの一人が、先の壁の一件でモデルを担当していたデザイナーだったのである。

(状況を考えると、水原の案件が凍結して解散した直後くらいに僕たちが各社に声掛けをしたので、件のプロジェクトのメンバーがこちらで捕まるのも道理だったのかもしれないが……)


 ちなみに僕は、そのデザイナーさんが壁の件に関わっている人であることに当時は全く気付いていなかった。脳みそが仕事用になってしまっていたのかもしれないが、水原の件との関連性に気づいたのは、ベータロムの納品が終わった後の打ち上げの頃だった。



「まぁでも、こっちのプロジェクトは上手いこと行って良かったですわ」

 ハハハと件のデザイナー、風間さんが笑う。

 風間さんは僕よりも業界歴が長く、当時ですでに9年目だった。女性の年齢をとやかく言うのも野暮の極みではあるが、情報としておおよそ30代前半頃の女性であることを、ここに記しておく。


 打ち上げの一件目は会社近くのおでん屋で行われ、そこからさらに数名の酔っぱらい達を引き連れて二件目へと梯子していた。

 二件目は居酒屋で、確か六名ほどが二次会に参加していたと記憶している。

 席は個室で、入店してすぐは扉越しに他の客の笑い声やら叫び声やらが聞こえていた。


 風間さんが先のように言ったのは、その二件目でもさらに飲み進めた、深夜の頃だった。時間も相まって客の数も少なくなり、先ほどまで聞こえていた喧噪はすでになく、どっぷりと夜に浸かっていた。


「前の案件は、あんまりやったんですか?」

 僕の席は風間さんの横だった。

「いや~、●●●●(会社名)さんとこの仕事やったんですけどね、ちょっと途中で変なことになっちゃって」

「変なこと……?」

「うん……」

 と、そこまで風間さんは言って他のメンバーを見渡し、

「皆さん、怪談とかって大丈夫な人らです? いや、オチとかは無いんで、まぁ、ただただ気味の悪い話、ってだけなんですけどね」


 その問いに、そこに居た全員が首を縦に振って即答し、じゃあと風間さんが語り始めた。


 以降はその時の彼女の語りを文章に起こしたものである。


◆◆◆


 前の案件の話なんですけどね。

 わたし、そこでもモデル作ってたんです。マップのモデル。

 あ、出向案件なんで、実際にその会社に行って、って感じですね。


 ゲームはコンシューマーで、ホラー系のゲームで。

なんで作ってたマップも、なんていうか、不気味な民家のマップでして。


 ただ工数が短い、っていうのもあって普通はしないと思うんですけど、そこではマップモデル作成と、それに張り付けるテクスチャの作成とで人を分けたんですよ。


 わたしが組んだのは、また別の会社から来た外注のデザイナーの女の子で、まぁ新人っぽい子でしたね。歴も二年目くらいやったかなと。


 そんで、その子と一緒にマップモデルを作ってくことになったんです。

 先行してわたしのほうで、モデルを仮組だけして資料作って、それぞれのテクスチャの要望をその子に投げて、それでその子が作って……ていうので進めていったんですね。


 最初のほうはやっぱり慣れてないみたいで、わたしやクライアントさんの会社のベテランの人に聞きながら進めてたんですけどね、やっぱりちょっとリアリティが無い、っていうのを気にしてたみたいで。

 そんで、そん時は9月くらいやったかなぁ……。

 三連休がどっかであって、その子、そのタイミングでいっぺん実家に帰ったんですよ。確か、お父さんの御祖父さんの七回忌とかやったかな。

 それで実家に戻って、で、こっちに帰ってきたときに、その子、ええモデル見っけた、って言ったんですよ。


 聞いたら七回忌で寺に行ったときに、いい感じに不気味な壁があったと。

 それでその写真撮ってきたから、ちょっとそれをモデルに新しいテクスチャを作ってみるって。


 写真、見してもらったんですけど、木で出来た壁っぽかったですね。

 所々、年季を感じるような汚れや大きなシミがあって、まぁ、いうてもちょっと雰囲気のある壁やなぁ、くらいのもんやったんです。


 そんときは。


 ほんでまぁ、その子が壁の写真を使ってテクスチャ作り始めたんですけど、なんかちょっと熱が入り過ぎてた、っていうか。


 会ったときは、いかにも若者って感じの明るい女の子やったんですけど、写真をもとにテクスチャを作り始めてからは、どんどん口数も減っていったし、身だしなみも気を付けんようになっていったんです。

 最初は、それだけ仕事に対して真剣なんかと思ったんですけど、どうにもそうじゃない。まぁ、その明らかに度を越してたんですね。


 泊まりで作業したいって言って、プロジェクトリーダーとかに止められたら、えらい口論になってたりとかして。じゃあ、それくらいスケジュールが遅れてるんかっていうと、そうでもない。

 その子のスケジュール自体は結構長めに取られてるし……。

 まぁ、その、あんまり言うべきじゃないんですけど究極、わたしがモデル作成終わった後にテクスチャ作成に入っても間に合うかなーって感じの難易度でもあったんですよ。


 ゲームなんでマップモデルは複数あって、それ全部わたしのほうで作ることになってたんですね。

 工数出しの時点では、どんなもん作るか決まってなかったんで、全マップのモデル作成をフルで算出してたんですけど、いざリソースの量産が始まってから仕様の変更があって、一部のマップは使いまわすことになって。

 なんで、最初はモデル作成者とテクスチャ作成者を分けて、なんていう突飛なスケジュールで考えてたけど、それも実はしなくて良くなってて……みたいなことになってたんですよ。

 まぁ、テクスチャ担当の人も雇っちゃったし、もう進んでるんで単純にプロジェクトのバッファを確保した、ってことにして進めてたんですけど。


 あぁ、話がちょっと脱線しましたね。


 そんでね、その子がちょっとおかしくなった所で、ディレクターの城嶋さんって人から「あの子、良いセンスしてるね」って言われましてね。

 何やら話の流れで、作成途中のテクスチャを見る機会があったらしいんです。

 そんで、わたしはまだ見てなかったんで、その話もあって後でちょっと見してもらったんです。


 年季入った木造の壁っていうのは変わらずやったんですけど、そこに黒いシミが入ってて、それが微妙に人の影っぽく見えるんです。

 下からぬうぅて出てくるみたいな影に、ちょうどそこだけ焼けてないみたいに、目と口の所だけ白くなってる。ただ、その目と口の位置は微妙にずれてて、何とかぎりぎり人に見えるか見えへんかみたいな感じ。


 なんか、人間もどき、みたいなもんがこっちを見てる、みたいな……。


 そういう影が壁の中にあったんです。

 

 こういう指示は特に出ていませんでした。言うてみれば、これはデザイナーの遊びですね。ただ、こういう遊びが出来る子は重宝されるもんです。

 城嶋さんが褒めてたのも分かる。


 わたしも、そう思ったんです。

 そら夢中になって描くわけや。楽しいもんな、って。

 

 でも、そんな風に話しかけると、その子は「いいえ」って言う。

 まだまだ再現出来てないんです、って。


 再現、って何と。わたしは思うわけです。

 正直、元の壁の写真の再現から、彼女はアレンジまで入っているので、どうしてここで再現の話が出るのかなって。


 それで気になって、どこがまだなん? って聞いたら、ここですよ、ってその子が元の写真をパソコンに出してくれたんです。


 

 年季の入った木の壁が表示されるんですけど、その真ん中にその子が描いたような黒いシミがあったんです。それも、比率で言うたらテクスチャのものよりも大きいやつが。


 えぇ。

 そんなん、最初見た時はありませんでした。

 でもいつの間にか、そのシミが出来とるんです。

 わたしはそれがえらい不気味に感じたんですけど、当のその子はそれどころじゃないって感じで、模写が出来てないって言うんですね。

 そんなシミが無かった事を気にしてないみたいに。


 正直、そういう体験は初めてやったんで、わたしもあんまり気の利いたことは言えんで……。その日は「根詰めたらアカンで」だけ言うて帰りました。



 で、そこから一週間くらい経ったある日。

ちょっとわたしも残業することになりまして、テクスチャ担当の子と一緒に会社に残ってたんですよ。

 そのちょっと前くらいから、夜中に物音がするとか人の気配がするとかって話がチームの中で出てましてね。

なんや前に見た壁のシミの事もあって、正直えらい気味が悪かったんですけど、その日はわたしとその子以外にも結構な人数のチームのメンバーが残ってたんですよ。


 タイミング的に、中間納品日の近くっていうこともあったからでしょうね。

 大体、20人以上は同じフロアにいました。

 まぁ、それくらい居れば安心かなって。そう思って会社に残ったんです。


 それで残って作業して……確か23時くらいだったかな。

 まぁちょっと小腹も空いたし、飲み物と軽食でも買いにコンビニでも行くかと思って席を立ったんです。

 その時作業してたのは、ビルの四階で一階に降りてすぐの所にコンビニがあったんで、そこに行こうと。


 で、コンビニに行こうと出入口の扉を開けようとしたら、その扉がばって開いたんです。開けたんはディレクターの城嶋さんでした。

 めちゃくちゃ焦った表情でわたしをみて、そのまま後ろ手で扉を閉めたんです。


 そんで


「今は出んほうが良いです」


 って、えらい怯えた様子で言うんです。

 わたしが何でですのん、って言うても、歯切れの悪い返事をするだけ。


 出入口の所で、わたしと城嶋さんがあーだこーだ言ってると、後ろからもうすぐ終電無くなるから帰りますーって他の人らが来る。

 出入口は一個しかないんで、あたしらが今おる所に来るんですけど、それも城嶋さんは止める。


 でも、そろそろ帰らないと終電が無くなるんで、部屋から出たい。

 わたしは家が近かったんで、最悪タクシーでも良いかと思ってたんですけど、まぁ遠い人らはそうもいかんですよね。


 ちょっとした言い合いになって、どさくさに紛れて誰かが「なんかヤバい事になってるんすか」って、扉を開けたんですよ。

 ただ、城嶋さんが止めてた手前、外には出んとフロアから外を覗くみたいな感じで。


扉の前は廊下になってて正面に階段があって、右手に別フロアに続く廊下とエレベーターがあったんですね。

 四階には、わたしらが居たようなのと同じフロアがもう二個ほどあって、それが扉から出て右手にずーっと続いてるんです。でも、そのフロアの他のプロジェクトはそんなに忙しくないから皆帰ってて、明かりが全部消えてる。


 廊下の明かりも消えてるから、どんつきまでずーっと暗いんですね。

 

でね。

 その暗い廊下の向こうで、何かが動いてたんです。


 ぺたぺた、ぺたぺたって、裸足で歩く音がする。


 最初は見回りに来た守衛さんかと思ったんですけど、それやったらライトがあるはずやし、そもそもそんな裸足で歩いたみたいな音はしません。

 なんや、て扉の近くに居た4人くらいでじぃっとそれを見てたんです。

 

 何かが、ふらふら揺れとる。影だけなんですけどね、酔っぱらいが千鳥足でひょこひょこ歩いてるみたいな感じやったんですよ。

 で、じっと見とったら、その影がぴたって止まって、


 ぐ、ぐ、ぐ、ぐぐぐぐ


 って、体を捻りだしたんです。

 それも首から上だけ。


暗かったんで本当にそうかは分からんのですけど、でも見えた所ではちょうどその影の一番上らへんだけがぐりぐりぐりって、捻られたように見えたんです。


 下半分はなんも動く気配がない。せやのに首から上が、ぐぐぐぐ、って回り続ける。

 

 いくら酔っぱらいでも、こんな変なことしませんでしょ?

 せやから、皆、これはちょっとホンマに……って思ったでしょうね。

 首が捻られる。ってことは『ソイツ』の顔を見てしまう。

 いや、そればかりか、わたしらのフロアは明かりがついてますから、ここに居ることがバレてまう。


 せやのに、誰もそこから動けやんのです。


 怖いもの見たさ言うんでしょうか。


顔を見られたらどうすんねんとか、目と目があっても大丈夫か、とか色々あったと思うんですけど、そん時はもう頭真っ白になってて。


 顔でした。

 ソイツが体をねじ切り終えてコッチ向いたらね、見えたんです。顔が。

 暗い所でなお、より色の濃い箇所が三つ。


 微妙にずれた白い目と口。


 数秒だけやと思うんですけど、しばらくお互いに見合ってたと思います。

 もう動けんかったというか。

 

「痛い」

 って聞こえたんです。

 音がしたんはソイツからやったはずです。

 でも暗闇の中のソイツの口は全然動いてない。


 最初は、は? って思って見てたんですけど、どんどん、どんどん、


 どんどん、いたい、いたい、って連呼しだしたんです。

 それも、「いたい」とか「いたーい」とか、ちょくちょく調子外れたレコードみたいに繰り返しながら、体ねじったままこっちにぺたぺた歩いてくるんです。



「閉めろ!」


 て声が聞こえました。

 多分、城嶋さんが言ったんやと思います。

 その声でバネみたいに扉から皆フロアに戻って、誰かが扉を閉めました。


 フロアの扉は電子キーで自動施錠されるタイプなんで、閉めるだけでロックがかかります。


 セキュリティ的には一番信用できるんですけど、この時ばかりはもうガチャって、鍵使って閉められたほうが良かったです。自動ロックって、ホンマにかかってるかどうかぱっと見は分からんもんですから。


「どうしたんですか?」

 一部始終をちょっと離れた所から見てた、他のチームメンバーが声をかけてきたんです。

 そこでようやく、気持ちが元の世界に帰ってきたっていうか。そんな気がしたんですね。もしかしたら、疲れで変なモンでも見てもうたんかもって。

「いやね、何か変な――」

 ってわたしが言おうとした時に、どん、って扉が叩かれたんです。

 いや、叩かれたっていうよりは何かが体当たりしてきたっていうか。


 でそれが、どん、どん、どん、どん……って、ずっと続く。

 もうフロアの皆、しんとしてもうて外から叩かれる扉をじっと見つめてるんです。


 いたい、いたい


 って、またあの声が、今度は扉の外からするんです。

 ドンドンドンドン、扉を叩きながら。

 

 おる。

 まだ居る。


 もう明らかに普通じゃないってことは、フロアの中の皆が察してました。

 とりあえず、守衛さんを呼ぼうって城嶋さんが電話を掛けました。

 その間、ずっと扉の前でドンドンいってるんです。


 皆怯えながら、じっと待ってたら今度は急に、


バツ、ってフロアの明かりが消えたんです。


で、もうタイミングがタイミングやったんで、ちょっと軽い悲鳴が上がったんですけど、それとは違う所で舌打ちやら、誰か怒った声が聞こえてきましてね。


 どうやらパソコンの電源が落ちたらしいんです。

 ――停電したんですね。


 そしたら、ガチャって、扉のノブが回ったんです。


電子ロックされてた扉が、いきなりバツン、って開かれる

ソイツが叫びながら入って来る。


 もう、パニックでした。

 わたしも薄っすらとして見えてないんですけど、そいつ、多分女やったと思うんです。


 頭振り回しながら、長い髪の毛をぶんぶん振り回して、細い手もばたばたしながら、痛い痛い、って言いながら真っ暗なフロアの中に入ってくる。



「皆逃げろ!」

 って、城嶋さんが叫んでました。


 もうわたしはその声よりも先に体が動いて、走ってましたね。

 着の身着のままっていうか、何も持たずに出入り口に向かって走って、気が付いたら皆ビル一階の玄関の外に居ました。

 

 皆、さっきのがなんやったのかとかは誰も何も話しませんでした。

 もう、無かったことにしたい、っていうか。そんな雰囲気で。

 皆慌てて出てきたんで、財布やらが置きっぱなしの人とかもおったんで、そういう人らの面倒見る人だけ決めて、その日は最低限の会話だけして解散しました。


 会社に色々置きっぱなしにしたんで、わたしは翌日から普通に出社しました。

 以降は割と普通に仕事してましたね。さすがに夜の残業はしなくなりましたが……。


 何人かは体調が悪くなったみたいで、長期の休暇に入りました。病名とかはさすがに公開されませんでしたけど、まぁ多分、アレを見たんで、何か精神的に良くない影響が出たであろうことは想像に難くないですね……。


 ほんであんな事があったから、なのかは分からないんですけど、プロジェクト自体も上手くいかなくなって、結局、凍結しちゃったんですね。

 あれがあってから、モチベーションが保てなくなったっていうか。


 ちなみにさっきの件は、不審者の侵入ってことで警備会社に色々調べてもらったんですけど、結局人が入った痕跡は見つからんかったんです。

 ただ、フロアの中には異様に長い髪の毛が落ちてたし、ディスプレイのいくつかには妙にデカい手形が着いてたんで、集団幻覚を見た、ってわけではなさそうやったんです。


 ――あ。

そういえばちょっとこれはオチっぽいんですけど。


わたしら、外注なんで日報書いてたんですよ。

でね、事件があった日って、皆慌てて外に出たんで日報なんて書いてないんです。専用のツール使ってるんで、会社のパソコンでしか書けない代物で出先とかでも書けないんですね。


でもね、その日、ちゃんと日報書いてた人がおったんですよ。


えぇ、あの壁のテクスチャ描いてた子です。

あの子だけ、ちゃぁんと日報書いてたんです。


それも、わたしらが飛び出してから暫く後の時刻で。


◆◆◆


 当時の僕は、壁のシミの怪異譚を水原と風間氏から聞いた内容でひとまず、了とした。

 件のデザイナーには相変わらず連絡が着かず、問題の壁もどこのものかも分からないという状態であるため、行き詰ってしまったのである。


 ことが動いたのは、それから一年が経った頃だ。


 プライベートで付き合いのある飲食店の友人が、自分の店に卸す日本酒の蔵巡りをすると言い出したのである。そんなことをわざわざ僕を捕まえて言うものだから、さもありなんといった風に、僕も道連れとなったのである。


 何度か蔵巡り自体は一緒にしたことがあり、その時は京都や大阪といった近場だったのだが、今回は中部地方を巡ることとなった。


 今回の酒蔵巡りでも、昼間に少量の酒を試飲して、夜は大衆居酒屋に入ることをルーティーンとしていた。

 ただ、明日には大阪に帰る、という最後の夜に居酒屋で食事を済ませた後に友人が「最後だからもう少し遊ぼう」と誘ってきた。


 そうして連れていかれたのがキャバクラである。

 彼がキャバクラ好きなのは知っているし、こういう展開になることも考えていないわけではなかったのだが、いかんせん、僕と言う人間はキャバクラというものが苦手だった。


 初対面の女性と会話を続けるというのが、どうにも僕は得意ではない。

 友人はそれを楽しんでいるようだが、僕としては、事実楽しい瞬間もあるがそれよりも気疲れのほうが勝ってしまうことが多かったように思う。


 とはいえ、どうしても嫌、というほどでもないため、その日も彼のキャバクラに同伴することとした。


そうして店に入り、僕と友人に一人ずつ女の子がつく。


 懐事情としては、少なくないが多くもない、といったことであったため、僕は場内指定をすることなく、横に着く女の子がぐるぐると交代していった。

 対して友人は最終日ということもあってか、ご機嫌な様子で杯を開け、息が合ったらしい女性を一人指名していた。


「サナです」

 と何人目かの女の子が横に着く。

 眼鏡をかけ、黒い髪を長く伸ばした女の子で、仕草や表情、声色から大層おとなしそうな印象を受けたし、人と成りも印象通りであった。

 最初に名刺を差し出して以降、彼女はこちらをオドオドと盗み見るばかりで、何も話そうとしない。

 いや、話そうとしないというよりは、話すべきなのだが何と言って会話を始めれば良いか分からずビクついている、といった感じだっただろうか。


 こういう場合はこちらから会話を切り出すのだが、僕としてもそういう会話をこの短時間で数度は繰り返していたので、少々食傷気味であった。

 それに、昼間、夕食、そして今と少ないながらもチミチミと酒を飲み続けたこともあって酔いが回っており、正常な判断が出来る、とは言い難い状態でもあった。


 なので、僕はついポロリと、そのサナと名乗った女の子に「何か怖い話を知っていませんか?」と聞いてしまったのである。

 ごく稀に、こんな風に他人に尋ねる時があるのだが、大抵は笑って『ありません』と返されるか、テレビで聞いたような話が返ってくるだけだった。


 けれども、今回は珍しく功を奏したようで、僕のその質問でサナ嬢の口は軽くなったらしく、しどろもどろではあるものの「あります」と彼女は返答した。


 以降は、サナ嬢の語りを起こしたものである。

 少々説明に乱れがあるが、極力聞いたままを書いたつもりであるので、ご容赦願いたい。


◆◆◆


●●●山ってご存じですか? 

じつは、そこすごく昔……江戸時代くらいに怪物が出てたらしいんです。


人の声を出して、呼び寄せて取って食うっていう。

麓の村の人は、もうすっかり怯えちゃってたんですけど、ある日、山とは逆の方角からお侍さんが来たんです。

そのお侍さんたちは旅の商人の護衛をしてたらしくて、ちょうどその山を越えるつもりだったらしいんです。

事情を聴いたお侍さんたちは、じゃあ自分たちでその怪物を退治してやると言って、商人を置いて山に入っていきました。


 山に入ると、噂通りの声が聞こえる。

 女が助けを呼ぶような声でした。


 お侍さんたちが、恐る恐る声のするほうに歩いていくと、そこに着物を着た女がしゃがみ込んで泣いていた。

 で、事情を聞こうとしたところで――後ろから襲われたんです。


 ――山賊だったんです。怪物の正体は。


 女が旅人を誘い込んで、仲間の男たちが袋叩きにして殺してしまう。そして身ぐるみをはいで、その辺りに死体を捨てる。

 死体は獣が食い散らかして、まるで大きな何かに襲われたような死体が出来上がる。


 ただ、今度の相手は腕の立つお侍さんということもあってか、男たちは返り討ちにあい、山賊一同は捕まることとなりました。


 お侍さんが麓の村の人々に事情を説明すると、村人たちはその山賊に殺した人間の持ち物をどこにやったか聞きたいと言い出しました。

 犠牲者の中には旅人だけでなく、その村人たちの家族、親友もいたので、遺品を取り返したいというのがあったんだと思います。


 そこでお侍さんたちが山賊を縛り上げ、村人たちに詰問させる場を設けました。

 

誰誰の着物はどこどこに売った、捨てた、隠したなどなど。一人一人、遺品の場所を確認していったのですが、遡って確認していくとちらほら、山賊たちが「それは知らん」と答えることがありました。


そんなはずはないと、村人たちに詰められても、本当に知らないのだと返すばかり。


曰く、山賊がその山を根城にしたのはつい最近のことで、その山が『怪物が出る山として恐れられているから』根城にしたと言い出すのです。

 そして、山賊たちが知らんと言った人々は、彼らがやってくる前に消えた人々だった。


 これはどういうことだと、皆が困惑していると、山賊の仲間の女が、その怪物に心当たりがあると言い出します。

 女が言うには、自分たちが山に入ってから旅人をおびき寄せるようになって、しばらくしてから、自分と同じような声が聞こえることがあったそうです。


 気になって、声のほうに向かっていくと、黒い影が見えたそうです。

 靄のような、まるで毛虫が立っているようなものが、うねうねと動きながら、でも確実にそこから自分の声がしているのです。


 それは体をくねらせながら、声を発してぐるぐると辺りを回っていました。

 あまりにも不気味な光景でしたが女は目をそらず事が出来ず、しばらく見続けているとその影は飽きたのか、体をくねらせるのをやめ、傍に生えていた大きな木の中に消えていったのです。


 女は、自分が見たものこそが怪物の正体だ、と皆に告げ、さらにその木の場所も覚えていると言いました。


 村人たちは困惑しましたが、お侍さんたちは勢いがついてしまっていたのか、案内せいと女に言い、何人かの村人を連れて、山へと入っていきました。


 女の言う通りに山中を進み、やがて大きな木にたどり着きました。


 遠くから見る分には何の変哲もない、普通の木だったのですが近づいて見てみると、その木には妙なシミがあったそうです。

 大きな人のような影が、下からぬぅっと伸びていたのです。

 今でいうと、3メートルくらいの大きさでしょうか。

 顔、肩、胴と見て取れるような形のその影が、じぃっとこちらを見下ろしている。

 よくよく見れば、顔らしい所にはぽつぽつと3つの点があり、そこだけシミが無いせいで出鱈目な顔に見えたそうです。


 これは不吉だという事で、お侍さんたちは村人たちと共にその木を切り倒し、供養しようとしたそうです。

 しかし、ここに商人が待ったをかけたのです。


 曰く、これは不吉であるがゆえに価値がつくかもしれない、と。

 そうして渋々、商人の命により、そのシミの部分は綺麗に残しつつ、木は切り倒すこととなりました。

 ――まぁ、お侍さんたちとしても、そのシミの所をばっさり行くのは気が引けたかと思いますので、これでも良かったのかなと……。


 そうして、商人の手により材木に変えられた木は、山を越えた先の村で意外にもすぐに買い手が付きました。

 そうした忌物を好む物好きな豪族の男が居たようで、その人物が引き取ったそうです。

 男はその木材で大工に新たに屋敷を建てさせます。

 恐ろしい物の怪も、自分にとっては何のことはなく、ただの材料でしかないのだと、周囲にそう知らしめたかったそうです。

 

 しかし、その建物が出来てからのある夜、突然、その豪族一家が居なくなってしまったのです。

 一家、というよりは、もっというと、その家に住んでいた人全員ですね。


 家で飼っていた家畜が妙に騒ぐものだから、気になった村の人が家を覗くと誰も居ない。

 無礼を承知で村人たちが屋敷に入って検めますが、やはり誰も居ない。

 誰かが寝ていたであろう布団は乱暴に捲られた後があるのですが、抜け出た人はどこに居ない。賊が入ったのなら、どこかに刀傷や、血の跡がありそうなものですがそれも無い。


 ただ、廊下に泥が落ちていました。

 足跡のようにそれが、ぺたぺたと続いていきます。


 村人たちはこれが賊の足跡だと思ったようですが、それを追ううちに次第にその足跡の感覚が人の歩幅ではありえないほどに広がっていくのです。

 

 何かの足跡を追ってたどり着いたのは、来客用の控えの間でした。

 閉められた襖を、恐る恐る開くと、泥は奥の壁まで続いていました。


 真っ黒でした、奥の壁はその一面が。


 最初はそういう色のものかと思ったようですが、どうにも違う。

 これは何だと村人の一人がジィっと見ていると、

「こっち見とる」


 と別の村人が見上げながらつぶやいたそうです。

 見れば、天井一面に黒いシミが広がっていて、その中に白い丸が三つ、出鱈目にあったそうです。


 陽が昇っても豪族一家は帰ってきませんでした。

 やがて数日間留守が続き、その屋敷は取り壊されることになったそうです。


 後日談、というわけでもないのですが、屋敷が取り壊される前。

その話を聞きつけた妖怪専門の絵師がぜひとも見たいと言って絵を描きに屋敷に入ったそうです。

 彼は一晩かけて、屋敷に泊まり込みで絵を描いたそうですが、二日以上たっても屋敷から出てくることはなく、気になった村人たちが渋々中に入ると、絵師は居なくなっており、びりびりに破かれたシミの模写だけがあったそうです。


 えぇ、お話としては以上です。

 

あ……すみません、延長扱いになっちゃってたみたいなんですけど……良かったですか?

あぁ……、そうですか、ありがとうございます。


――山賊の女が何と言って、人を呼び寄せていたか、ですか?


う~ん、それは分かりませんけど……。

あぁ、でも助けを呼ぶフリをしていたそうなので、



いたい、いたい、



とかじゃないですかね?


◆◆◆


 語り終えたサナ嬢に、どこで聞いた話なのかと問うと、彼女は母方の祖母から聞いたと答えた。

 祖母の故郷では、●●●山を『バチ山』と呼んで不要な立ち入りが禁じられており、先の話は、その風習に対する理由として口伝されていたものらしい。


 一般的に伐採や植樹をする際に事故などが多い山のことを、そのように指すことがあり、近い言葉では『ケ山』『ノレ地』とも言われることがある。

 どれも忌地を指し示す言葉である。



 なお、語りの最後にサナ嬢は

『しかし屋敷を取り壊した翌日、材木の一部が紛失していたのです』

 とオチを語ってくれた。


 当然、材木の行方など知る由もないが。

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