星喰い竜と黄金羊の勇者

ひゐ(宵々屋)

星喰い竜と黄金羊の勇者

 黄金の羊が生まれたのなら、大切に育てなさい。

 その羊は、ある羊飼いの少年と、黄金の竜の、友情の証なのだから。


 * * *


 昔、昔のその昔。

 陽の光を浴びて鮮やかに輝く、広大な草原。そこに心優しい羊飼いの少年がいた。

 羊飼いの少年は、大地の主、黄金の竜と友達だった。

 少年は時に、竜のために歌を歌ったり、物語を聞かせたりした。

 竜は時に、少年が見失った羊を見つけだしたり、狼から羊を守ったりした。

 一人と一頭は本当に仲がよかった。

 その証が、黄金の羊達だった。

 羊飼いの少年が連れている羊は、竜の祝福の息吹を受けて、全てが黄金色に染まっていた。その毛で作った衣は光り輝いた。角は黄金そのもののようになった。

 少年が育てる羊やその毛を、多くの人間が高い価値をつけて求めた。そのため、少年が金に苦労するはなかったが、彼は決して儲けて金持ちになろうとはしなかった。生活できるほど稼げれば、残りは貧しい人に渡したり、孤児院に寄付をしたりしていた。

 そんな少年のことを、竜はとても気に入っていた。だからこそ、羊飼いの仕事を、生活していくのを、手助けしていた。


 * * *


 風が吹き荒ぶ年のある日のことだった。羊飼いの少年と竜のいる草原も、荒海のように乱れた日。

 恐ろしいほど澄んだ夜空に、真っ赤な凶星が現れた。

 凶星は人々に囁き、欲望や悪意に火をつけた。最初こそ、人々は耐えたものの、次第に世界の秩序は乱れ始めた。思いやりを忘れた人間に、傷つけられ、殺される者も出てきた。欲に溺れた人間に、全てを奪われる者も現れた。

 そうして、世界の至る所で、悲痛な叫びと、冷酷な笑いが響いた。世界は混沌に満ちた。

 けれども羊飼いの少年は、凶星の囁きに屈しなかった。それは竜の加護があったからだった。だから少年は、荒れていく世界でも、竜と羊達と共に平和に暮らしていたのだ。

 だが、それは、竜が眠っている間に起きた。

 ある日、竜が寝床にしている山でいつものように目覚め、羊飼いの少年がいる草原へ向かうと、そこはまるで凶星の輝きのような真っ赤な血に染まっていた。毛を無理矢理刈り取られ、角も折られた羊達の死体が、いくつも転がっていたのだ。

 そして竜は、血の海のような場所で、ぼろぼろになり倒れている少年を見つけた。

 凶星の囁きにより欲望に溺れた人間が、金の羊毛や金の角を目当てに、夜の内に少年と羊達を襲ったのだった。

 少年はかろうじて息をしていたが、その命の灯火はいまにも消えてしまいそうだった。彼はまだ凶星に屈していない、思いやりを胸に宿した人々に保護された。

 友達である少年がこんな目にあって、竜は深く悲しんだ。それと同時に、竜は少年をこんな目に合わせた人間達を激しく憎んだ。

 しかし復讐はしなかった――心優しい少年が、そんなことを望まないことを、竜はわかっていたからだ。

 そこで竜は、ある夜、夜空へと大きく羽ばたいた。向かっていったのは、禍々しい赤色に輝く凶星。竜は、全ての元凶であるあの星を破壊しようと考えたのだ。

 凶星は冷たい夜空に浮いていた。小さくも、目に痛いような赤色を放っていた。

 竜は息を吸うと、金色の炎を吹いた。赤色が金色に包まれる。しかしどれだけ炎を吹いても、凶星はけろりとして、そこにあった。どこも燃えてはいなかった。

 続いて竜は、燃やせないのなら、と大きく羽ばたいた。悪を吹き飛ばす風が、凶星に襲いかかる。しかし凶星はやはりびくともしなかった。少しも動こうとしない。

 それでは、と竜は金色の牙を凶星に突き立てた。それでも凶星は砕けることはなかった。傷の一つもつかなかった。

 どんな人間にもちょっとした悪意はある――まるでそのことを示すかのように、凶星は空から動かず、傷つくこともなく、輝いていた。

 最後に竜は考えた。

 この凶星を空からなくしてしまえばいいのだから、飲み込んでしまおう、と。

 この輝きがいけないのだ。この囁きがいけないのだ。だから人々から見えなくして、聞こえなくしてしまえば。

 竜は大口を開けると、まるで蛇が卵を喰らうかのように、凶星を丸呑みしてしまった。

 こうして、夜空から赤い光は消え去ったのだった。

 けれどもこれが凶星の企みだった。

 凶星を飲み込んだ瞬間、竜は焼けるような痛みに宙でもがき、まるで流星のように空から落ちた。

 竜に飲み込まれた凶星は、内側から竜を蝕み、その身体を乗っ取ろうとしたのだ。竜は真っ逆さまに地上へ落ちていった。

 竜が墜落して、世界は震えた。

 竜はしばらく動かなかったが、やがてゆっくりと起きあがった。

 しかしそのときにはもう、竜は凶星に身体を乗っ取られてしまっていたのだ。

 凶星は竜の身体を操り、その炎で草原を焼いた。羽ばたきで嵐を起こした。牙で山を崩した。

 空に凶星がなくなり、人々は我に返ったものの、秩序をすぐに戻すことができなかった。その間に竜はどんどん世界を滅ぼしていった。

 しかし、凶星に身体を乗っ取られた竜だが、意識だけははっきりしていたのだ。

 竜はこんなことしたくない、と泣きながら世界を壊していった。けれどももう、身体は言うことを聞かない。それは人間を前にしても同じだった。

 やっと正気に戻った人々は、暴れ回る竜を前に団結し、退治しようと手に剣を握った。そして立ち向かったものの、誰一人として、竜を傷つけることはおろか、生きて帰る者はいなかった。

 竜のその黄金の鱗を前に、剣はビスケットのように砕けた。その黄金の炎を前に、鎧はチョコレートのように溶けた。そして人も町もケーキのように潰されていった。


 * * *


 何をしてもかなわない。破壊の神を前にしたかのように、人々は死を、世界の終わりを、震えて待つしかなかった。竜によって町は確実に消えていき、多くの人も死んでいった。もう立ち向かおうとする者も、いなかった。

 しかし一人の勇者が、竜の前に立ち塞がった。

 人々の制止も振り切って、よろよろと竜の前に立ったのは、竜の友達である、あの羊飼いの少年だった。

 瀕死の怪我は治ってはいなかった。満身創痍のままで、歩くのにも不自由をしていて、少し動く度に全身に巻いた包帯に血が滲んだ。息も絶え絶えで、先を見つめた片目は潰れて見えなくなっていた。それでも少年は、黄金の羊の毛で作った衣をまとい、黄金の羊の角を溶かして作った剣を手に、かつての友のもとへやってきたのだ。

 まだ見えている片目で、少年は竜が涙を流しているのを見た。逃げろ、と竜は凶星に身体を乗っ取られている中でも、何とか叫んだ。だが少年は逃げなかった。微笑めば、竜へと近寄っていった。

 竜は炎を吐いた。金色の炎が少年を包み込む。けれども少年は金の衣に守られて、燃えることはなかった。そして竜の羽ばたきも、少年はものとしなかった。金の衣と金の剣の加護が、少年を守ったのだ。

 荒れ果てた大地の上。少年はやっとの思いで竜の目の前まで来た。

 竜は久しぶりに近くで見た友に、懐かしさを覚えていた。ぼろぼろになってもそこに立っていた少年は、あまりにも痛々しい姿だったものの、竜にとっては全てが懐かしかった。

 しかし次の瞬間、竜は少年に噛みついた。

 凶星を抑えることは、できなかったのだ。

 炎と風から少年を守った衣でも、竜の牙にはかなわなかった。竜の牙は少年の胸を貫いた。

 竜が口を開けた時、少年の身体は、糸の切れた人形のように地面に倒れた。

 少年の胸が真っ赤に染まり、その金の衣も血の色に染まっているのを竜は見た。そして、少年はもう、少しも動かなかった。

 竜は大粒の涙を流して泣いた。助けに来てくれた友を殺してしまったことを、ひどく悔いた。その竜の嘆きは世界を震わせるほどだった。

 けれども、少年は死んでいなかったのだ。

 友を助けるまで、死ぬわけにはいかなかったのだ。

 近づいてきた竜の胸。そこに、握っていた剣を、少年は突き刺した。

 金の鱗は、金の剣を前に割れた。黄金の羊の角で作った剣は、竜の胸に沈み込むように刺さっていき、そしてついに、少年は竜の心臓を突き刺した。

 竜は少年のすぐそばに倒れた。

 死にゆく中でも、少年は微笑んでいた。けれども、悲しげに。

 だから竜は微笑んだ。そして少年へ寄り添った。

 少年は竜の頭を抱きしめた。

 竜の中にあった凶星は、竜の心臓が貫かれたと同時に砕け散っていた。

 世界に、久々の静寂が訪れた。それはまるで、新しい朝が来るかのような静寂で、その中で一人と一頭の命は、静かに燃え尽きた。

 それでも少年と竜は、幸せだったのだ。最期の時まで、友といられたのだから。


 * * *


 これは、大昔のお話。それでも少年と竜の友情の証は、この地に残っている。それが普通の羊から希に生まれてくる黄金の羊。

 黄金の羊を、大切にしなさい。育ってその羊の毛を刈る時がきたのなら、その金の毛は風に乗せて、世界に巡らせなさい。

 この世界が平和であり続けることを祈って。


【終】

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