回収依頼9

 シグは体の起こりを悟られぬよう浅く、短く呼吸を繰り返していた。


 1.5メートルほどの短槍の柄を肩幅の辺りできつく握りしめている両手からはその感覚を奪い去るほどの痺れを感じている。訳も分からないまま突然の一撃に対して短槍の柄で防御が出来たのは偶然に近く、更に短槍を落とさなかったのはほとんど奇跡に近かったが、このままではまともな戦闘などを行うことは難しいだろう。出会い頭の一撃を辛うじて受けられたのは僥倖と言う他無かった。


(俺たちが言えたセリフじゃねぇが通路で出会ってそのまま蹴りかかってくるなんざ、まともな冒険者じゃねぇ)

 

 シグは20センチほどの長さがある短槍の穂先を黒いコートを着た男に向かって突き出しながら、両手の痺れが少しでも回復するまで牽制を行うことしか出来なかった。


 黒コートの男は左肩を前にして半身の体勢で両手をだらりと下げ、若干の前傾姿勢を取りながら黒い瞳でまっすぐにシグを射抜くように見据えている。

 

熊男ワーベアの一撃を防いだ時でさえ、此処までの衝撃は無かったぞ。人間かこいつ)


 シグは額から流れ落ちる汗を拭い去ることもできずにそう心の中で毒づいていると、いつの間にか黒コートの男はシグとの距離を詰めていた。


(いつ動いた!?)


 それに気づいたシグは内心では冷や汗を流しながら未だ痺れたまま握力が戻らない両手を使って短槍の穂を牽制の意味を込め、黒コートの胸のあたりに向かって軽く突き出した。ただ、軽くとは言え新米冒険者の安物の皮鎧ならば、数枚重ねたとしても容易く貫いてしまうだけの威力は持っている。


 それをあっさりと黒コートの男は左肩と左足を素早く引き最小限の動きで躱すが、シグはそのまま柄の中程を握りしめる左手を引き、石突のやや先を握りしめる右手を突き出すことで、石突が半円を書くようにして黒コートの男の足元から掬い上げる様にして打ち掛けられた。


 鈍く空気を裂く音を立てながら鳩尾の辺りに迫る石突を黒コートの男は一歩下がることで再び躱す。シグはそうして出来た僅かな空間を更に広げるために大きくバックステップをして距離を取るが、また不意に黒コートの男がいつの間にかその距離を縮めていた。


(訳が分からん!)


 シグは慌てて二度、三度と大きなステップを踏み、一度大きく距離を取った。黒コートの男は今度は直ぐに距離を詰めることを止めたのか、再び左肩を前に出した半身の体勢で構えている。


(時間を稼ぐしかない。ネルとアニーも間もなく駆けつけるはずだ)


 2メートルほど空いた距離と、少しずつ回復し始めた握力に安堵しながらシグは改めて短槍の穂先を黒コートの男に向ける。だが、黒コートの男は微笑むように唇を歪めると左肩を少しだけ傾けるようにしたのがシグの目に映った。


 次の瞬間には一歩の距離が詰められている。黒コートの男の体はほとんど動いていないように見えたが恐るべきスピードだった。生命線そのものの距離を食いつぶしながらも判明したのは足の運び方。コートの裾に隠れてその動きは分かりにくいが、砂利だらけの通路の上を音も立てずに静かにゆっくりと動かしている。シグには理解は出来なかったがそう言う歩法があるのだろう。距離を離し黒コートの男の全身を視界に入れることで気付くことが出来たが、それに気が付いたところで対応策は何一つ浮かぶことは無かった。ただ一つ理解できたことはこのまま距離を詰められればあっさりと命を奪われると言うことだけだ。

 

(こいつ冒険者狩りに慣れすぎだろ!)


 点での攻撃はあっさりと躱された。不意を付けたとしても必殺の突きは当たる気がしない。ならば、線での攻撃を行うしかない。そう決断しシグは床を滑るようにして近づいてくる黒コートの男に向かい穂先を袈裟懸けに叩きつける。狙いは左の脇腹から右の腰に穂先が抜けるように。


 だが、黒コートの男は初めて目に見える動作で頭を少しだけ下げると、今までの速度が霞んで見えるように加速した。そして太刀打ちの部分をそのまま自分の左脇腹で受け止めた。


(ば……か……じゃ、ねぇのかこいつ!)


 シグの両手にはしっかりと肋骨を砕いた手応えが伝わってきた。まさか穂先ではないとは言え、体で受け止められるとは想像していなかったため一瞬その動きを止めてしまった。それを見越していたのか、予定済みの行動だったのかシグには分からなかったが、黒コートの男の左手が脇腹で止まっていた短槍の柄をしっかりと握りしめた。


 手が痺れているとは言え、魔物の素材を使用して精錬された金属で作られたこの短槍は僅かばかりではあるがその身に魔力を宿している。そうした武器であれば下等悪魔レッサーデーモン程度が相手であれば、その首を圧し折ることぐらいは出来る威力を持っている。それが人間の体であればどうなるのかは伝わってきた感触が雄弁に語っていた。


(少しくらい痛そうな顔しろってんだ!)


 シグは喚き散らしそうになるのを何とかこらえ、反射的に短槍を取られまいと両手に力を込め自分の方へと引っ張ろうとした。だが、抵抗はない。それどころか黒コートの男は左手に握りしめた短槍の柄をシグの方へと押し付けるようにして力を込めた。


「なぁ……!?」


 思わず声を漏らしたシグはあっさりとバランスを崩して両足を地面から少しだけ浮かせた。すると次の瞬間には恐るべき力で手前、つまりは黒コートの男に向かって引き寄せられるが、地面を踏みしめていない足では踏ん張ることも出来ない。結果としてその力に耐えることなど出来なかった。


 それでも、シグが短槍を手放していれば結果は違ったかもしれなかった。この瞬間だけは、だが。


 上体を泳がせるようにして倒れこむシグの顔面に黒コートの男の右の膝がめり込んだ。

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ある狩人の日常 @yoll

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